161.補佐貴族6
コリン・クトラメルは地道な追跡を今日に至るまで繰り返していた。ドースとの会話はミスティを狙う犯人とは思えないものだったが、語った話の全てが真実かはわからない。状況から言えば一番怪しい事には変わりないドースをコリンはスレヌイの村からスノラに来るまでの間追跡していた。一度遭遇してしまった事を考慮して慎重に、顔を直接合わせないように距離をおいて。
ミスティがトランス城に着けば補佐貴族には手の出しようは無いが、それでも諦めていなかった場合を考慮してコリンはスノラでもドースの動向を整理していた。
目撃証言を辿った先で辿り着いたのはスノラの運河近くにある酒屋だった。人通りは決して多くない場所だが、目撃情報は容易に手に入れる事ができた。
ドースの昨日の動きは酒屋に行って酒を買うの繰り返し。スノラの酒屋は大体がホテルに直接送ってくれるサービスもあるのでそれを利用している事までは簡単に突き止められた。
しかし、ここに来ておかしな点が一つ出てきた。
「……何故ここで止まるのでしょう?」
ここまであっさりと、誘いかと思われるほどにドースの足取りを追えていたにも関わらず、ここからの動きが途絶えている。
ドースはふくよかな体型で身長も大きく目立つ。ここに至るまでのドースのスノラでの動向は、酒屋の店主や通行人、店先で花を売っていた花屋からドレスショップの店内で接客をしていた店員までもがその存在を覚えていて、いつ通った、いつここに来たなどの情報を手に入れる事が出来た。
そしてその目撃情報がこの酒屋を最後に途絶えたのだ。
「明日出直したほうがいいでしょうか……?」
運河を見ながらコリンは呟く。
すでに日は沈んでいて、ここから見える小さな橋の上を真っ直ぐ家へと帰るであろう住人達が渡っている。運河の脇に泊めてある木製の船は運河の流れで揺れており、その脇の道にはもう人はいなかった。
遠くに見える丘の上のホテル付近とここでは明るさすら違う。ここはスノラの住人が多く住んでいる住宅街。そこらの町や村よりは外灯で明るいものの薄暗い。近くにあった酒屋は古めかしく、ホテルに泊まる貴族向けという雰囲気ではなかったので住民に寄り添うような店なのだろう。いわゆる穴場というやつなのかもしれない。
運河を見ながら背中を丸めて立ち尽くしているコリンはお世辞にも貴族には見えない。
近くを通った厚着の住人が不審者を見るような目で近くを通り過ぎた頃、コリンはとある影を見つける。
「……ん?」
明かりの少ない運河脇の道をこそこそと歩くローブがいた。
運河は町の中心では華やかな景観になっているが、ここらは物資を運ぶ船が泊まっているだけでわざわざ運河を眺めるような人もいない。住宅街で見慣れた光景であるスノラの住人なら尚更だ。
「なんだ……?」
コリンも影に合わせて動く。
スノラは当主継承式で貴族の数が観光シーズンの時期よりも多くなっている。スノラの住人は比較的裕福な平民が多いが、それでも観光シーズンには貴族の持ち物を狙ったスリや盗難が数件起きたりする。それでも住人の人数からすれば少ない方なのだが、当主継承式で貴族の数が多い今、観光シーズンよりもそういった盗難の被害が多くなるのは想像に難くない。
スノラに配置されている憲兵は町を囲む壁やホテル付近には多くいるものの、貴族がいないような場所には配置されておらず、コリンが見た影を確認するような者はいない。
「……見てしまっては仕方ないですね」
少し面倒そうに影の動きに注視しながらコリンも運河脇の道へ階段で下りていく。
クトラメル家は比較的新しい貴族である。百年ほど前、南部で没落した貴族の娘が血統魔法を生み出した事によって急速に成長し、当時反魔法組織に加担していた北部の補佐貴族を捕縛した事からその穴を埋める形で補佐貴族となった。
コリン・クトラメルは正義感の強い人間では無いが、目の前で起きる犯罪や不審な人物を見逃すほど怠惰ではない。今回ミスティを狙う補佐貴族の調査を続けているのも強い当主がいれば北部の平民の為となるからだった。ミスティが当主になる事でクトラメル家に直接の利益があるわけではない。
「消えた……?」
観察していた影が橋の所で姿を消す。
音はあまり立てないようにして橋の所までコリンは走る。人気は無く、明かりも無いので橋の陰は特別暗かった。
「扉……水路か」
橋の下を見回すとそこには格子状の扉があった。扉を引いてみるが、開く気配は無い。
ここではないのかと周りを見渡すが、やはり周りに人影は無く、コリンが見かけた影は橋の向こうに走っていったような気配も無かった。
「という事は……」
コリンは格子を掴むと、右に左に動かしてみたり、何か引っ掛かっているのかもと押したり引いたり色々と扉を動かしてみる。
動かしている内に、この扉がしっかりと壁にはまっていない事に気付いて色々と試してみると。
「お……やってみるものですね」
がこん、と音を立てて格子状の扉は外れた。
壊れていてもそのままにされているのは普段こんな所に近寄る人間がいないからか、それとも奥に別段重要なものがないからか、どちらにせよ不用心だと思いながらコリンは扉を元のようにはめ直す。
奥を見ようと目をこらすが、この時間では暗くて何も見えない。スノラは灰色の雲に覆われていて今夜は月明りも無かった。夕暮れの時に少しだけ顔を出していた橙色の太陽が少しだけ恋しくなる。
「『幾多の光』」
しかし、コリンには関係ない。
彼の使う属性は"光"。唱えるとともに現れた数個の光の玉が暗闇を照らす。扉から入ってすぐのところに階段があった。
コリンの周囲に浮く光の玉は指で操っているのか、コリンが片手の指を振ると同時に光の玉を階段の下に飛ばすと、光の玉は等間隔に空中で止まり、階段の下までの明かりを確保する。コリン自身がすぐに降りて行かないのはこの光の玉を囮としても使っているからだ。
一分ほど待って、物音も声も聞こえないのでコリンも階段を下りていく。
「広いな……スノラに地下水路があるのは知っていたが……」
光の玉をできるだけ遠くに飛ばして光源を確保する。
通路は広く、横を見ると静かに水は流れていて、壁には古びた燭台がかかっている。床は人間四人分くらいの幅があって大勢で入る事も想定されているようだった。少しかび臭いものの壁と床は思ったよりも綺麗で、もしかすれば今も定期的に整備されているのかもしれない。
水路の様子を見てかコリンは通路を歩き始める。ここに入ったであろう人影は見えない。
「ん?」
壁にかかっている燭台の造形などを見ながら歩き始めると、ぴしっ、と硝子を踏むような音がした。
コリンが床を見るとそこには予想通り硝子が散らばっている。その硝子は汚れてはいるが、埃や砂がかかってはいない。
「新しいですね……」
そして何処か見覚えがある色だった。
「……。……!?」
見覚えがあって当然だった。コリンは最近これを見ている。
これは数日前にドースを追って寄っていたスレヌイで作られている――
「これには手出していいんだよな?」
"当然だ"
「!!」
コリンは後ろから聞こえる声で全速力で通路の奥へと走った。
いつ? どうやって後ろに? 見渡した時には間違いなくいなかった。声の主の姿を確認する前に距離をとる為にコリンは走る。
「おっと、逃げたって感じじゃねえな」
"距離をとっているだけだろう"
コリンは聞こえてくる声から体を反転させる。
一人は乱暴な口調の、もう一人はこもったような声。
「なに……!?」
しかし、コリンが振り返っても人は一人しかいなかった。
出口への道を塞ぐように立つボサボサ頭の男が一人、光で照らされているその男は身なりが妙だった。服自体はいいものだが、上着はサイズがあっていないようで袖がだぼついている。上下の服装もどこかちぐはぐな印象をうけた。
もう一人の声の主は周囲をいくら照らしても見当たらない。
照らされたボサボサ頭の男が周囲に散らばった光を嫌そうに見ていた。光が眩しそうな様子ではない。
「あー……なぁ、あんた、これ光属性?」
「……それがどうかしましたか?」
男の姿に見覚えは無い。属性の事を聞いてくるという事は魔法使いか。魔法使いだとすれば他国の魔法使いの可能性が高いか。
冷や汗を流しながらコリンは思考する。コリンに魔法使いとの実戦経験は無い。コリンどころかいくらベラルタ魔法学院の生徒と言えど、一年生で敵の魔法使いと戦う経験をする人間などほとんどいないだろう。そういった経験をする可能性があるのは王都に出向し始める二年からだ。
「あー……光か……こりゃつまんねえな……あのドースってデブよりあっさり終わりそうだ」
「……!」
男の口ぶりからドースがどうなったかは想像がつく。殺されたか捕縛されているか。
ペントラ家は貴族として武勇のある一族ではない。ドースではこの男には勝てなかったという事だろう。しかし、男の言葉はいくら実戦経験のないコリンでも聞き捨てならない。
「あっさりですか……実力も見ずによく言えたものですね」
「ああ、違う違う。そういう事じゃねえよ。いや、そりゃこのままやっても俺が勝つだろうけどな? それ以前の問題なんだなこりゃ」
「何を言っている……?」
「まぁまぁ、すぐにわかる」
男はそう言って誰かに道を譲るようにコリンの正面から壁際に寄った。
「出口へご案内って感じでは無さそうですが?」
「かっかっか! おもしれえな、旦那を倒せたらそうしてやってもいいぜ?」
「……旦那?」
その瞬間、辺りを照らしていた光の玉が一つ消える。
「なんだ……?」
「俺じゃねえからな?」
一つ。また一つ。コリンの魔法で出した光の玉が消えていく。
最後の光が消える瞬間、消えた先で一つの影が移動しているのをコリンは目視する。
「『光の尖刃』!」
影に向けてコリンは中位の光属性魔法を放つ。周囲を照らしながら放たれるは閃光の刃。
その光り輝く刃は影に届いた瞬間、まるで魔法など無かったかのように消えてしまう。
「な……!?」
影に向かいながら周囲を照らしていた光は突如消え、魔法は音も無く。刃は影にも壁にも命中した気配は無い。
コリンの驚愕の声だけが暗闇の中に現れる。
「残酷だよなー、世の中って。まだ俺相手のほうが勝ち目があったろうに……旦那、手加減してやれよな」
声はボサボサ頭の男のもの。闇の中に光る琥珀色が妙に目立つ。
しかし、魔法が消えたのはこの男が何かしたわけではない。
"無駄な話だ。手心を加えようが加えまいが……結末は決まっている"
「……っ!」
コリンの耳元で聞こえる声。
干上がった喉でコリンは数度魔法を放ち抵抗するも、その魔法のどれもがたちまちに消えていく。
コリンの体が床に転がるのに時間はかからなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
遅くなりました!