160.問い掛け
「今日はありがとうございました」
注文された料理を一時間ほど堪能して店から出るとアスタは灰色のローブを被りながら四人に頭を下げた。
あれから一時間経ってもスノラの人通りは減っているようには見えない。それどころかむしろ増えているくらいだ。学院の生徒が中心となっているベラルタと違ってスノラはあくまで平民達が暮らす町。例え当主継承式の為に貴族が多く来ていても町の様子が変わることは無い。
「こっちこそありがとうね、ミスティの様子を聞けて私達も助かったわ」
「いえ、あのようなお話でよければ……流石に毎日抜け出すわけにはいかないのでまた報告に来る事はできませんが」
「そんな事させたら私の家本格的に潰されるわよ……」
冗談だと思ってアスタは笑うが、エルミラの方は苦笑いだった。
「皆さんも当主継承式に来られるんですよね?」
「ええ、勿論」
「それではまたその時にお会いできますね。今日は本当にありがとうございました」
アスタはそう言ってもう一度頭を下げると小走りで去っていく。
思ったより時間がまずかったのか、思いの外アスタの後ろ姿が見えなくなるのは早かった。
アスタの様子が見えなくなると、今度はこっちの番だとルクス達はアルムのほうに目を向ける。
「それで? アルムはどうしたの?」
「え?」
「うんうん、もういいんじゃないー?」
「な、なんだ?」
「さっきの話だよ。何か考えてただろう?」
「あ、ああ……」
四人はホテルへの帰り道を歩きながら話題はさっき様子がおかしかったアルムの話へ。
アルムがアスタの話を聞いてから何処となく上の空だったのは三人とも気付いている。
料理が来てからもそんな調子で、まともに喋ったのはそれこそイカスミで歯が黒くなったのに驚いた時くらいだった。
「その……これは失望してくれて構わないし、心の狭い奴だと思ってくれて構わないんだが」
「そういうのいいから」
エルミラの表情はそんな事有り得ないと言っているようだった。
「……アスタの話を聞いた時、少しいらっとしたんだ」
躊躇いがちにアルムがそう言うと、流石に予想外だったのかエルミラとベネッタは驚いたようだった。
アルムは基本穏やかな人間だ。ベネッタに至ってはアルムが怒っている所を見たことがない。
自分を軽んじられる事をどうも思っておらず、学院でもそうだが、先程ホテルで周囲の貴族に陰口を言われていても怒るどころか嫌な顔一つしない。ただ仕方ないと許容する。
それは何故なのかは、エルミラ達も何となくわかっていた。
「珍しいね」
この中で唯一アルムを怒らせた事のあるルクスが話を続ける。
ルクスにとって忘れもしない入学式の日、彼はアルムの師匠を軽んじた。その時だけアルムは明確な怒気をルクスに向けたのである。
「大人気ないだろ? ミスティは全て持ってる、なんて言ってる自分はどうなんだって思ってしまったんだ」
スノラの町から見えるトランス城に目を向ける。
灰色の雲で星空が遮られていても、スノラの町もトランス城も外灯で明るかった。
「ミスティの事は知ってるし、皆が色々教えてくれたからカエシウス家が凄いのもなんとなくわかってきた。きっとあんな事を言っていてもアスタは魔法使いになるんだろう。それにあんな城に住んでいて、ラナさんのような使用人に囲まれて育っただろうに……まるで自分は何も持ってないような言い方をするアスタが、何かいらっとしたんだ」
「うん」
「きっと、彼は特別なのに」
「うん」
横でルクスが頷く。
一歩後ろを歩きながら、エルミラとベネッタも静かにその声を聞いている。
「でも、すぐに気付いた。アスタは特別で色々なものを持ってるからあんな風に悩んでたんだ。色々なものを持ってるから劣等感を感じてる。色々なものを持ってるからこそ自分の価値をそれに相応しいものにしないといけないって悩んでるんだ。貴族なのに、じゃない。貴族だから悩んでたんだ。色々なものを持ってるから……きっと姉の、ミスティの存在が重いんだ。前に自分以上の荷物を持って歩ける人がいるから。
そんなアスタを平民で何も持とうとしていない身軽な俺がいらつく権利が無い」
アルムはぽつぽつと語りながら通りすがる人達を眺めていた。
その多くがアルムと同じ平民。仕事を終えて帰宅したり、飲み屋に向かう人々だ。
「それに俺も人の事は言えない。孤児だったけど拾われて育って、魔法使いになりたいと思ってたら師匠が来て魔法を教えてくれて……ベラルタに来て皆と友人になれている。皆のように何かを持ってるわけじゃないのに、普通ならなれない魔法使いを目指せてる。他の人からすれば恵まれすぎてると言っていい。
血筋も無い、領地も無い、歴史も伝統も無い。魔法使いが背負っていく何もかもが俺には無いのに、魔法使いになる為の場所にいられてる。誰も期待していないのに、自分の憧れだけでここにいられている。むしろ幸運だ」
通りすがる誰よりも自分は中途半端だ。
貴族である事も、平民である事も自分はしていない。
自分にあるのは重荷ですら無い魔法使いになりたいという漠然とした憧れだけ。それはきっと形の無いただの星見。
"どんな魔法使いになりたいんだい?"
故郷を出る際に聞いた師匠の言葉がアルムの頭に自然と浮かぶ。未だにその答えは出ていなかった。
「アルム。それは――」
「エルミラ」
エルミラが声を掛けようとするがルクスが振りかえって制止する。
ルクスは首を横に振って、エルミラにその先を言わせない。
「ああ、だからって自分を悲観してるとか、魔法使いにならないとか言う気はないからな?
ただ何も持っていないなりに、考えるきっかけになったというかだな……見つめ直すきっかけになってよかったというか……個人的には前向きな話なんだが……」
「それはよかった。それを言ったら多分三人分のパンチが飛んできたと思うよ」
「私は蹴りよ」
「ボクは平手だよー」
「え」
ベネッタはともかく、エルミラは本気で蹴ってきそうでアルムの背中がぞわっとする。
いや、一番やりそうなのは隣で拳を作っていたルクスだろうか。表情が穏やかだが、不自然に作られた拳に妙なリアリティをアルムは感じた。
四人はホテルのある丘につき、坂を登っていく。流石にここまで来るとすれ違う人達はいない。
「まぁ、いくつか言いたい事はあるけど……一つだけ明確な勘違いがあるね」
「勘違い?」
「期待ならあるよ。少なくともここに三人分とトランス城に一人分」
誰からのなんて聞くまでも無い。
ルクスの言葉をエルミラとベネッタは当然否定などせず、きっと城にいるミスティも強く頷いてくれるだろう。そんな根拠のない信頼があった。
"魔法使いになりたい"
何で?
"誰かを助けたい"
誰を?
それはずっとアルムの中にある漠然とした二つの願望。
答えの出ない問い掛けがまた空虚に溶けていく。今すぐに答えを出せるわけもない。
自分の憧れは一体何処から来たものだったのだろう?
アルムは誰にでもなく、何度も、何度も頭の中で問い掛けた。