159.弟の羨望
意気揚々と乗り出した結果、彼は捕まった。
誰に?
姉の友人と名乗る四人組、つまり全く知らない他人にだ。
「ベネッタ、ここって何がいいの?」
「スノラならサーモンかなー」
「……ルクス、イカスミって何だ?」
「イカスミ知らないのかい? あぁ、カレッラは山だから馴染み無くて当然か……」
スノラにある魚介料理の店の個室でアルム達四人はメニューを眺めていた。そして四人が向かい合う四角い木製のテーブルの端には一人だけまるで主役のように座らされているアスタがいる。
四人中二人、ルクス・オルリックとベネッタ・ニードロスは一方的にだが知っている。もう二人は全く知らない顔だ。
「あなた何にする?」
「え、いえ、その……」
「心配しなくてもお金は出すわよ、ルクスが」
「別に良いけどそこは嘘でも自分でのほうがかっこつくんじゃないかなエルミラ……」
あれやこれやと話は進み、固まって流されるままのアスタとは裏腹にごく自然にアルム達は注文を終えた。
料理が来るまでの間、当然注目は町中を歩いていたアスタに集まった。友人の弟というだけでも興味の対象になる上に、仮にも当主継承式を控えたカエシウス家の長男が普通に町中を歩いていたというのだから当然といえるだろう。
「それにしても似てるわね……ミスティも男ならこんな美男子だったのかしら」
「カエシウス家の御姉弟はみんな似てるよー」
「ごめんね、急に連れ出しちゃって……流石にあなたみたいな子供があの時間一人で歩いてるのを見過ごすわけにもいかないわ。友達の弟だって事も含めてね」
「は、はい……」
エルミラの声色は優しいが、それでもアスタは顔を俯かせていた。
城から抜け出す事はアスタ自身いけない事だと思っていたし、まだ平民の前では顔を出した事がないとはいえ、こうしてばれるような事があるかもという危惧もあった。
それでも城を抜け出したかったのだ。何故かと問われれば答えられない。
日々の勉学に嫌気が差した? 城の外に興味があった?
どちらも理由として妥当ではあるものの、アスタ自身何故かそうだと頷けない。
「ま、でもそんな時ってあるわよね。見なかった事にはするからとりあえず今日は私達に付き合いなさいな」
「え?」
予想外のエルミラの声でアスタは顔を上げる。
「うん、わかるわかるー。いやだーって家抜け出したくなる時あるよねー」
「そうなのか?」
「僕も子供の頃あったな……執事に言って町に連れ出してもらったんだけど、帰ってきたら執事が怒られてて申し訳ないと思ったよ」
「へぇ……」
アスタの予想に反して理解を示す声が挙がる。一名、その感覚がわからないものはいるが、共通しているのは城を抜け出しているアスタにどうこうしようという人間は一人もいないということだった。
「あの……怒らないのですか?」
「何でよ?」
「てっきり怒られるか、その……」
「自分の家をよろしくと媚を売られると思った、ですか?」
見透かすようにルクスが続きを語った。ルクス自身の経験であるかのように。
アスタは頷く。
「ボク達をそんな貴族達と一緒にされては困りますねー、アスタ様」
「私達があなたを連れてきた理由は一つよ」
「な、なんでしょう……」
ベネッタとエルミラがそう言うとごくりとアスタは生唾を飲み込む。
自身の予想を超える要求をカエシウス家にするつもりだろうかと戦慄するも。
「ミスティは大丈夫?」
「は、はい?」
つい聞き返してしまう。
あまりに平凡でありふれた、そして家など関係ない質問だったゆえに。
「だからあなたのお姉さんよ。流石のミスティも当主継承式なんて緊張してるんじゃないかって……」
「体調とか崩してないー?」
「流石に城に様子を見に行くわけにもいかないからな、いつも通りならいいんだが」
聞いてくるアルム達を見てアスタは目を丸くする。
真剣な眼差しが自分の答えを待っていると気付くと、アスタはゆっくりと口を開いた。
「は、はい……僕が城から出る前には使用人と一緒に一日目のドレスの試着をしているようでした……」
アスタがそう言うと、エルミラはほっとしたように椅子の背もたれに背中を預けた。
「そっか……ならいいんだけど……」
「なんだかんだ一週間以上会えてないもんねー」
「帰郷期間中はそれ以上だったけどな。その時もエルミラはずっと心配してた」
「余計なこと言わなくていいの!」
エルミラもベネッタもそれ以上アスタに何かを聞こうとはしない。
それも当然。アルム達が町中で見かけたアスタを連れてきた目的は一つ。ミスティの様子について聞くためだ。
道中はミスティの護衛はルクスとルクスの父親が買って出てくれていたが、ミスティがトランス城についた今護衛と呼べる人間はおらず、ミスティの様子を確認する術がない。
トランス城に着いたとはいえ、ミスティを狙う補佐貴族について犯人もわかっていない。そんな中、身内から直接聞かされるミスティの様子はここ最近ミスティの安全をずっと考えていたアルム達にとってこれ以上無い朗報だ。
「アスタ殿、詮索するようで申し訳ないのですが、城に誰か出入りしていたりはしますか?」
「出入り……? どうでしょう、さっきドレスショップの方がグレイシャお姉様のドレスを届けにいらっしゃったくらいでしょうか? 当主継承式が終わるまではお客様の出入りはほとんど遠慮させてもらっているので……」
「そうですか……ありがとうございます」
ルクスだけはもう一つ質問があったようで、アスタから返ってくる答えを聞いて難しい顔を浮かべる。
「さ、聞く事聞いたし後は料理を待つだけね」
「あ、本当にそれだけなのですね……」
「何? 抜け出す理由とか聞いてほしかった?」
エルミラに聞かれ、虚を突かれたように一瞬アスタの時間が止まる。
「そんなの聞かれたくないでしょ? 理由がなんであれ、ね」
「……そうですね」
何故かはわかっていない。
わかっていないにも関わらず、エルミラの言う通り何故かアスタはそう聞かれたくはなかった。
「俺なんかは聞いても共感すらできないだろうしな。貴族のあるあるはわからん」
「アルムくん家出とかしたことないのー?」
机に乗り出したベネッタが聞くと、アルムは少し上を向いてうーんと考える。
「無いな……家を出た所で見知った山があるだけだし……魔獣も少なくないから家を勝手に出て襲われたら子供の頃では流石にひとたまりもない」
「ははは、それはそれですごい環境だ」
「アルム、さらっと魔獣を放置する領主を批判するなんていよいよ私と気が合ってきたかしら?」
「何? そ、そうなるのか? 批判になるのかこれは?」
狼狽えるアルムをからかうように冗談よ、とエルミラは笑った。
そんな四人の会話を聞いて、
「……よかったです」
アスタは静かに呟いた。
静かでありながら滑らかに通る声は話していた四人の耳に届き、全員の視線がアスタのほうに向く。
「ミスティお姉様の御友人がお優しそうな方で、その、安心したといいますか……」
連れてきた時とは打って変わって穏やかな表情を浮かべるアスタの顔を覗き込むようにしながらエルミラはにやにやと笑う。
「わかんないわよ? 実はあなたに優しくしてカエシウス家に近付こうとしてるのかもしれないわ」
「実際エルミラは最初そうだったもんね、最初だけは」
含みのあるルクスの言い方が気になったのか、エルミラは正面のルクスにわざとらしい笑顔を向ける。
「あら、最初どころか今もかもしれないわよ? ルクス?」
「おっと……ここは笑いどころでいいかい? エルミラ?」
「ぶふっ!」
ツボだったのか、ベネッタはエルミラの隣で笑いを噴き出してしまう。
貼りついたようなわざとらしい笑顔が今度はベネッタに向いた。
「ベネッタ……後で覚えてなさいよ」
「エルミラ……これは俺から出来る数少ない助言として聞いて欲しいんだが、エルミラにはそういう悪ぶり方は似合ってない」
「アルムもうっさい!」
最終的にエルミラの怒りの矛先は余計な一言を添えたアルムへ。
目の前にある自分は知り得ないような関係性。そんな光景に自分の姉もいたのだろうとアスタは幻視する。
「これでも、その、子供ながらに人を見る目はあるつもりなのです。ミスティお姉様に擦寄る貴族の方達をずっと見てきました、見させられて、いましたから。それが当たり前だったのです、ミスティお姉様は。グレイシャお姉様が家におらず、僕も幼かったので……その人達を相手にするのはお父様かミスティお姉様で……ほとんどが、その……僕は、苦手な人達でした。考えられません、僕と同じ歳の頃から、そんな人達相手にずっと笑顔を貼り付けて、お父様と同じように対応するなんて……」
実感のこもった十歳の吐露。
それは恐らく先程アルム達がホテルのロビーで感じたものとはまた別の種類の視線でありながら同じ汚さの視線だったであろう。苦手、とオブラートに包む言い方をしているものの、意味する事は聞いている四人にも理解できる。
「だから、安心したのです。周りに貴族の方達ばかりの魔法学院に行ってもまた、そういう方達しか周りにいないのではと……ですが、皆さんとお会いして違うのだとわかりました」
最初は少し恐かったですが、と付け足してアスタは笑う。
「ミスティお姉様はとても凄い方なのです。自分に向けられる何もかもを背負いながら常に毅然としておられる強い方……弟としても一人の人間としても尊敬していますが……それに加えて皆さんのような友人がいるのですから流石です。
やはりミスティお姉様のような凄い方は……何でも持っていらっしゃるのですね……」
ルクス達はアスタの吐きだした言葉に何も言わなかった。いや、言えなかった。
それは言葉だけ聞けば自分の姉を尊敬する言葉。だが、言葉の中には明らかに姉であるミスティに対する劣等感が含まれていた。あんな風になれたらと伝わるような。
そんなアスタの吐露に、アルムだけが意外そうな表情を浮かべていた。
「俺からすれば貴族ってだけでアスタも凄いんだが……そうか……そんな風に悩むのか……」
「そりゃそうでしょ……」
「貴族だって人間だよー?」
アルムの正面に座るエルミラとベネッタは呆れたような声だった。特にエルミラは何当たり前の事言ってるのよと深いため息をついている。
「あ、いや、それはわかってるんだが……」
「えっと、貴族ってだけでとはどういう……?」
妙な言い回しにアスタは微笑ましそうにそのやり取りを見ていたルクスのほうに目をやる。
「彼は平民なんですよ、アスタ殿」
「え? あ、では彼が噂になっていた……」
アルムの事は一時期、貴族の間で話題になっていた。
魔法の才能は貴族しか持ちえない。それが常識だ。
そんな常識を覆した平民がベラルタ魔法学院に入学したという話はすぐに貴族の世界で話題になった。
だが、話題が鎮火するのもまた早かった。
何故ならその平民は無属性魔法しか使えない欠陥品。魔法使いの卵とも呼べないその事実もすぐに貴族の世界に流れ、ただ物珍しい程度の認識に落ち着いた。
オルリック家のルクスと引き分けたという話も同じ頃に流れたのだが、その事実は鼻で笑われるだけとなる。無属性魔法しか使えない欠陥品がオルリック家に勝つなどあり得ない。それが魔法を知る者にとっては当たり前の認識だからだ。
「改めてそう思っただけというか……いや、そうだよな、すまん……」
「別に謝らなくてもいいけど……」
「アルムくん、どうしたのー?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
そう言うアルムの瞳は、ここではなく何処か違う場所を映していたようだった。
アルムは無言でその瞳に映る場所を見つめ続け、注文した料理が来るまで一言も言葉を発する事は無かった。
今日はもう一本更新します。
3/24追記
もう一本更新すると言っていながら更新できておらず申し訳ありません。
書いている内に、分ける必要ない部分まで分けているなと感じた為に次更新する予定だった部分をこちらに手を加えて少し追記しました。すでに読んでしまっている方には読みにくい事をしてしまって申し訳ありません。