157.見知ったもの
フロリアとネロエラの情報共有とアルムのダンスの練習をしていたらすっかり夜となっていた。
一日目だが、複数の貴族から教えられたこともあってアルムの上達は目覚ましいものがあった。あくまで素人の範囲、しかも一曲だけに限っての話にはなるのだが。
コツを掴む決め手となったのはベネッタの後、ルクスが教えた時だろう。ルクスはリードとフォローどちらの側もする事が出来る為、アルムを誘導して踊らせたり、アルムの動きに合わせて踊ったりと、動きで覚えさせたせいか上達が早かったのだ。無論、それまでに基本のステップを根気よく教えていたエルミラ達のおかげでもある。
「……ネロエラに嫌われているのだろうか」
「急にどうしたんだい?」
「……」
「……」
階段を下りながらアルムは覇気の無い声で呟く。その呟きに声で反応を示したのは隣を歩くルクスだけだったが、当然先を歩いているエルミラとベネッタも耳には入っていた。
フロリアとネロエラは別のホテルに事前に予約を取っている。自分の家への報告も兼ねて二人はそれぞれ自分達のホテルへと戻っていった。
スノラは貴族が多く行き交うので宿泊施設が多く、その上秘匿性が高い。通常ホテルや宿にどの家の人間が泊まっているかは重要な情報になり得るが……ここスノラでは賄賂や貴族である事を笠に着た情報収集はまず行われない。
何せここはカエシウス家の御膝元。ホテルに勤める平民一人から情報を絞り出そうとした結果、自分の家名が地上から消えるなんて事はごめんである。カエシウス家どころか、周りの貴族に弱みを握られてもアウトなのでそんなリスクを冒す馬鹿はまずいないのだ。
「ああも拒まれてしまうとそう思わざるを得ないというか……いや、確かに会ったばかりの俺に教える義理があるわけでもないから当然なんだが……」
ベネッタが足を踏まれた後、ネロエラにアルムを教えるようにエルミラが言ったのだが、ネロエラは顔を赤くしながら首がちぎれるのではないかというほど首を横に振って拒否したのだった。
「うーん、あれは何だろうね……僕はネロエラに会ったばかりだからよくわからないけど、何かしたのかい?」
「ベネッタが襲われた時に戦ったが……その後は普通に話してくれたからな……それに話してもいいと言ってもくれたし……まさか、汗臭かったとかか?」
「いや、スノラは気温も低いし、手汗くらいはかくかもしれないけど……少なくとも僕は気にならなかったよ」
ルクスにそう言われるもアルムは真剣に自分の体に鼻を鳴らし始める。ホテルの階段でやるには異様な動きだ。
前で歩く二人は後ろで繰り広げられる会話を聞いて顔を寄せていた。
「ねぇ、誤解してるよー?」
「うーん、でもそれこそ私達が教えるのは野暮じゃない?」
「そうだよねー……でもルクスくんなら気付きそうなもんだけどー……」
ベネッタはちらっと後ろを見るも、ルクスも何故ネロエラが拒否したのかわからないようで、何でだろうね、などとアルムと一緒に考えているようだった。
「いや、ルクスは気付いてないんでしょ」
「え? うん、それはわかってるけどー……ルクスくんって察し悪くないどころかいいタイプじゃない?」
「そうじゃなくて。ネロエラが女だって気付いてないんでしょ」
エルミラに言われて、ベネッタは口と目を丸くした。
「あ、なるほどー……」
「ルクスって相手によって呼び方結構変えるから初対面のネロエラを呼び捨てにするのはちょっと不自然だと思ったのよ。ベネッタも未だにベネッタくんって呼ばれるでしょ」
「でもエルミラは呼び捨てだよー?」
そう言われて、今度はエルミラが目を丸くした。少し考えて唇を一度きゅっとさせたかと思うと、目を泳がせながら少し言葉に詰まるように。
「……そこは、まぁ、し、知らないけど」
小さくそう言った。
「……エルミラって可愛いよねー」
「うっさい!」
「いひゃい! ほっへ! ほっへー!」
照れ隠しにしては強い力でベネッタの頬を限界まで両手で伸ばすエルミラ。
先程のいじらしい姿はもうどこかへ消えていた。
「ちぎれるんじゃないか?」
「仲裁役のミスティ殿がいないからその可能性も捨てきれないね」
「ルクス、ちょっと!」
「おっと、飛び火かな?」
「いいから!」
階段を下りた所で、ははは、と苦笑いを浮かべながらルクスは少し小走りでベネッタの頬を引っぱるエルミラのほうへ。
「ネロエラは女よ」
「え!?」
そして勘違いしていた事実をエルミラから伝えられる。
ルクスは驚いて思わず跳ね上がるように体が動いた。
「つまり……わかるでしょ?」
エルミラが後ろに立つアルムのほうに目配せする。その視線を追ってルクスもアルムのほうを見た。
「あー、なるほど……それなら確かに……でも、きっかけは? 会ったばかりだろう?」
「馬車でちょっとね。だからそれを踏まえて、てきとうにフォローして」
「……了解」
エルミラに頼まれ、ルクスは今度はアルムの所へと。
「アルム」
「なんだ?」
「まぁ、気にしないほうがいい。ネロエラくんも何か思う所があったんだろう。そうだな……ダンスがあまり得意じゃなかったから遠慮してたんじゃないかな」
「そういうものか? 俺の方が絶対下手なのにか?」
「周りにはボク達もいたんだ。きっと不得手なのを見られるのを嫌ったんじゃないかな」
「なるほど……それはそれで悪いことしたな……」
「知らなかったんだから仕方ないさ、それに――」
そこまで喋って、ルクスは周囲の気配に気付く。
ここは階段を下りた先のホテルのロビー。丁度夕食時の頃、部屋で支度する家族を待っているのか、それとも食事を共にする交友ある家を待っているのか、広いロビーに置かれている豪奢な椅子やソファに座る貴族達が大勢いた。
ルクスはマナリルの四大貴族オルリック家の長男。学院に入るまでにも社交界や家に招かれ、又は家に招きと貴族との交流の機会を多く経験している。その経験が、周囲の嫌な空気を感じ取っていた。
「あれが噂の平民か」
「見るからに粗野な……」
「あんなのがベラルタ魔法学院に通っているとは……」
「我が物顔で歩いちゃって……学院に通えたから自分は貴族と対等だとでも思っているのかしら」
「もどきが手を差し伸べられて勘違いしてしまったんでしょうな、可哀想に」
「そう考えると……流石オルリック家、と言ったほうが我々の言葉も聞こえがいいですな?」
「案外あの平民が靴でも舐めたのかもしれませんな、ははは。オルリック家に取り入ればそりゃ楽でしょうからな」
アルムに向けられる蔑みと嘲笑。
どれもルクス自身がかつて晒された視線だ。ルクスの場合はオルリック家の家名だけ見た媚びる声もあったがこの場にそれは無い。
耳を澄まして聞こえてくる声にルクスは辟易する。中には聞こえるようにわざと声量を上げて言っている者もいるようだった。
ルクスは聞こえるように言ってくる者に目を向けた。聞こえるように言っていた癖に見られたらばつが悪そうに咳払いをしてそっぽを向くのだから始末に置けない。
数か月前、自分はこんなやつらと同じような目でアルムを見ていたかと思うとルクスは吐き気がした。
幸いなのは、そういった貴族はロビーにいる半数程度で残りの半数は我関せずと無視している事だろうか。
「アルム、出ようか」
「ん? ああ……周りの声なら気にしなくていいぞ」
アルム自身、こういった声があるであろう事は予想していた。
アルムは自分が異分子である事を理解している。だからこそ、自分を見下すような声が聞こえてきても平然としていた。彼らは平民を見下しているのではなく、平民でありながら魔法使いになろうとしている自分を嫌うのだろうと知っているから。
「いや、ただ僕がお腹を空かせただけさ」
そんなアルムを見てルクスは周囲にアピールするようにアルムの背中を叩いて友好的な所をアピールする。オルリック家の名前を利用し、せめて直接嫌がらせをされるような事だけは避けようとわざとらしく、そしてアルムを急かして早くホテルを出る為に。
まさか自分達が守るべき平民に嫌がらせをするような馬鹿な家は無いとルクスは信じたいが、周囲の声がそうさせてくれない。
「エルミラとベネッタも行こう」
「……雑魚が何か言ってるみたいね」
「アルムくん……大丈夫ー?」
エルミラも聞こえてくる声に怒りを感じているようでその声が少し冷たい。ベネッタもアルムの顔を心配そうに覗き込む。
「別にいいさ。こうして怒ってくれる人がいるだけで嬉しい」
「そう。ならいいけど」
「うん、早くご飯いこー!」
周囲の声を無視してアルム達四人はホテルから出る。背中には視線が刺さっていたが振り向く事すらしなかった。
ホテルの建っている丘を下ったところで、
「あー、むかつく」
エルミラが舌打ちしながらそう言った。
スノラは夜になっても人通りが多い。通りと面した建物には外灯が複数設置されていて、その外灯が町全体を照らしている。
「怒ってくれてありがとう、エルミラ」
「礼を言うのはどっちかというとこっちよ。あんたがいなきゃ私が何か言われてたわ」
「エルミラは貴族だろう?」
「没落がつくね。ああいうのは下っぽいやつを見て優越感に浸りたいだけだから誰がいてもそれっぽいのが陰口の対象にされるのよ」
「で、エルミラがいなかったら多分ボクだねー。ニードロス家は評判よくないから」
「へぇ……」
そういうものか、とアルムは軽く返事をする。
ほんの少しだけ、アルムは誇らしい気持ちになった。意図していないものの、友人の盾になれていたのかもしれないと考えて。
「いや、それは少し虫がよすぎるか……?」
「なにがー?」
「いや、なんでも……ん?」
そんな中、アルムが町の様子を眺めていると一人の少年が目に入った。
「どうしたんだい?」
「いや何か……ミスティに似ている男の子がいるような?」
アルムの視線の先には灰色のローブを羽織った少年。
その横顔には見知った友人の面影があった。
相変わらず進みが遅くて申し訳ないです。
次の日曜は私用で更新できませんので、月曜に二回更新しようと思います。