155.城内から
「この挨拶嫌いじゃないけれど……お父様相手にするのが毎回違和感あるのよね」
「お姉様……流石にお父様に失礼ですわ」
「……」
トランス城ノルド私室。
儀式にも等しい挨拶を終えてカエシウス家の当主候補は三人とも立ち上がる。
「三人ともよく帰ってきてくれた。こうして――」
「そういうのいいんじゃない? 当主継承の話なんてわかりきっているのですから早く済ませてしまいましょうよ」
ノルドが前置きを話そうとするも、気怠そうにグレイシャが口を挟む。
確かにここに呼ばれた理由は明白だが、当主の言葉を妨げるのは本来失礼にあたる行為だ。例えそれが親子だとしても。
「お姉様……」
「何よ? 私一日目に着るドレスの試着しに行きたいの」
「なるほど、私達をお姉様が直々に呼びにいらしたのはそういう事でしたか……」
「ええ、人任せにしたら時間がかかるかもしれないでしょう? 人任せにしていらつくなんて非効率的で美しくないのは嫌いなの」
「ふふ、お姉様らしいですわ」
カエシウス家の当主継承式は二日かけて行われる。
一日目の夜には舞踏会が開かれ、二日目に正式な当主継承式が行われた後、新当主お披露目の為にスノラの町を馬車で回り、夜になれば再び城に戻って継承祝いのパーティが行われる。その時にはスノラの町もお祭り騒ぎだ。
普通の貴族であれば二日かけての継承式などあり得ない。書状によって王や繋がりのある貴族に当主継承を伝えて終わりの家だってあるほどだ。
ここまで盛大なのは、かつてカエシウス家が王族だった時の戴冠式の形式をそのまま今の時代に継承式としているからに他ならない。
「まぁ、そうだな……話は早いほうがよいのはその通りだ。他の貴族と話す癖でつい固い物言いをするとこだった」
「そうそう。堅苦しいのは形式だけで充分ですもの。ねぇ、お父様?」
「あ、あぁ……」
そう言ってグレイシャが笑い掛ける。
首を少し傾けて問いかけるその姿は妖艶でありながら白銀に流れる髪と相まって清らかさも感じさせる。透明に澄んだ酒のような美しさだ。
対して、笑い掛けられたノルドの表情は少しぎこちない。
「お父様……何だか疲れていらっしゃいませんか?」
「……相変わらず王都や補佐貴族の管理地域に遠征に行ったりと忙しくてな。そのせいかもしれん。当主継承にあたって色々やる事も増えたからな」
「くれぐれも御自愛くださいませ。当主である今は勿論、これからもお父様を必要とする方は多いのですから」
「……とはいってもな、もう若い時のようにはいかぬよ」
「……?」
珍しく弱気な父ノルドの発言にミスティは不思議に思う。
自分の父と言えばカエシウスに相応しくない才能と言われながらも周囲をその仕事ぶりで捻じ伏せてきた人だ。進む先の悪意を意思によって跳ね返し、指してくる後ろ指を実績で叩き折る。ミスティが見てきたのは胸を張り、自他に厳しく、そして家族にだけちょっと甘いそんな父の姿。
その父が弱気になっているのは疲労のせいなのか、それとも本当に歳による衰えを感じているのだろうか。もしかすれば……当主の間、家族にもそう見えるよう強がり続けていたのかもしれない。
いずれにしても、これ以上掘り下げようとするのは娘のやるべき事ではない。ミスティは尊敬する父の尊厳の為に追及はせずに黙する。
「どうせ次期当主はミスティでしょ?」
さらっとグレイシャは本題へと入る。
ノルドの私室にミスティ達三人が集められたのは当然、四日後に控える当主継承式の事についてだ。
「……その通りだ」
「それで、他に話あるのかしら? 一日目の段取りは普段通り、私達はオープニングのダンスが終わるまで動かないで、終わったら拍手ってくらいなものでしょう?
私踊る相手も多いし、私の作品を贔屓にしてくれる貴族に挨拶したりと忙しないから細かい点は協力できないわ」
「お姉様……いいのですか? 次の当主の件についてそんなあっさり……」
聞きにくそうにミスティは顔を俯かせる。普通ならば当主となるのは長女のグレイシャでもおかしくない。
家の当主。それは貴族ならば誰もが求める地位の一つだ。カエシウス家の当主となれば尚更。
決してグレイシャに当主の器が無いわけではない。魔法の腕も高く、無名からたった数年で芸術家としても成功するその手腕は間違いなく当主としてカエシウス家を牽引できる能力がある。
それなのに、あっさりと身を引く姿がミスティにはどうにも腑に落ちなかった。
「何でよ? 魔法の腕で考えればミスティ以外無いじゃない。私だってそこらの雑魚に比べたら一流だし、アスタも中々の才能があるとは思うけど……流石にミスティには劣るでしょう」
「……お姉様は当主にはなりたくないのですか?」
躊躇いがちに、ミスティは質問を投げかける。
「なりたいに決まってるじゃない。むしろ私こそが相応しいと思ってるわ」
そんなミスティの問いにグレイシャはまたもあっさりと答えた。そんな当然の事聞かないでよと言わんばかりの表情だ。
「ならお姉様は何故そんな……」
「あなたを認めているからに決まってるからじゃない」
「え……」
「魔法の腕で考えればカエシウス家どころか、マナリル全土を探してもあなたになるんじゃないかしら? 違う?」
ミスティの胸が何かが沸きあがってきたかのように熱くなる。
グレイシャはミスティとずっとこの家で過ごしていたわけではない。学院に通う為にベラルタに行き、卒業後も家に帰らずに芸術家の道へと進んだ貴族としては変わった道を歩んだ女性だ。
それでも家を出てからの活躍はずっとミスティの下にも届いている。学院という魔法使いを育成する場所から巣立ったにも関わらず自由に活躍する姉をミスティは尊敬していた。
そんな尊敬する姉からの信頼の声があまりに嬉しくてつい、言葉を失ってしまったのだった。
「アスタも問題ないでしょ?」
「っ……!」
話を振られてアスタはうんうんと力強く頷く。
アスタにとってもミスティは才能に溢れた尊敬する姉だ。グレイシャに怯えつつも、その意思に偽りはない。
「では、決まりだな。五日後をもってカエシウス家の当主はノルド・トランス・カエシウスからミスティ・トランス・カエシウスになるものとする」
「はい。我が国マナリルの為……カエシウス家の名に恥じぬよう努めます」
「よろしい。だが、ミスティはまだ学生……当主の名は代わっても実務はミスティが学院を卒業するまで私が務める事にする。今回の当主継承式はカエシウス家の力が千年経った今でも健在である事を周囲にアピールする為の意味が大きい。ミスティは先のミレルの事件で名前が平民にも知られているからな」
ノルドは三人の顔を見て異論が無い事を確認すると、椅子の背もたれに寄りかかる。
「では、行っていい。まずは当主継承式前日のパーティを楽しむようにな」
「え、お、お父様……?」
もう一つ、話があるのではと身構えていたミスティはつい口を開いた。
「なんだ? ミスティも当日までに準備があるだろう?」
「あ……い、いえ……なんでもありません。失礼致します」
ミスティはノルドから話がある様子が無かったので一歩下がって頭を下げる。それに合わせてグレイシャとアスタも小さく頭を下げた。その所作はやはり三人とも美しい。
もう一つ、ミスティが予想していたのは自分の婿についてだ。
当主になるとあれば伴侶の存在があって当然。普段からカエシウス家に飛び込んでくる見合い話が今回こそ話に上がるのかとミスティは身構えていた。未来の婿候補を文字通り山ほど紹介されるのだろうと。
だが、ノルドは婿について話し始める気配は無く、話は終わったと言わんばかりに机の上に置かれる紙に目を通し始めている。
正直触れたいかと聞かれると微妙な話題なのでミスティは具体的に問うことは無かった。当主を継承するといっても実務は卒業まで父が務めると言っていた。ならば卒業後に正式に仕事を引き継ぎ、婿の話もその時になるのかもしれない。
それはそれでミスティにとっては好都合だった。正直、自分が誰かとそういった関係になるというのは今は想像もつかない。
「そういえば……お付きの使用人の方が変わったんですのね」
先程からノルドの後ろで表情を全く変えず、綺麗な姿勢を保ち続ける使用人にミスティは目をやる。
その瞬間、ノルドはぴくんと体を震わせた。
「そういえばそうね?」
「お父様、こちらの方は?」
「ああ……最近雇ったんだ……スノラにいる商人の娘だそうだ」
「そうでしたか。お名前は?」
ミスティが聞くと、その使用人は一歩前に出て一度頭を下げる。
その所作はミスティ達ほどではないが、しっかりとしていてある程度教育を受けた人間であるという事がわかった。
顔を上げると、その使用人は口を開いた。
「"モミジ"といいます。以後お見知りおきを」
「よろしくお願い致します」
新しい使用人との挨拶を終えるとグレイシャ、ミスティ、アスタの三人はノルドの私室からそのまま退出し、長い廊下を歩き始める。
「ミスティあなた、ドレスは決めてあるの?」
「ええ、一応……お姉様のようにセンスはありませんが……」
「何言ってるのよ。こういうのはね、自分に似合う物さえ選べれば……あなた、その首飾りどうしたの? あなたがこんなの買うなんて珍しいんじゃない?」
話の途中で目に入ったのか、グレイシャはミスティの前で立ち止まって首元を覗き込む。ミスティの首に飾られているのはアルムから貰った魔石の首飾りだった。
「これは友人から頂いた物です。とてもいい方で……当主継承式にも招待しているので、パーティの時にお姉様にも紹介させてください」
「へぇ……魔石のネックレスね……結構いい物じゃない……ふーん……」
グレイシャは興味津々とばかりにミスティの首を見つめている。
しばらく見つめると、グレイシャは再び廊下を歩き始めた。
「さて、私はパーティに備えて色々試そうかしら……試着したらまた気分変わるかもしれないけど」
そう言ってさっきよりもご機嫌な様子で歩き出すグレイシャ。
「楽しそうですわね、お姉様」
「ええ、楽しいわ。とっても楽しい。……それじゃあね二人とも」
二人に手を振ってグレイシャは自室へと戻っていった。部屋に戻るグレイシャを見送ると、ミスティはアスタの自室まで付き添うように歩く。
「……ミスティお姉様」
「なあに? アスタ?」
自室で名乗ってから一言も発さず、ただ震えていたアスタがようやく口を開いた。
ミスティはアスタと目線が同じになるようにほんの少しだけ屈んだ。後二年もすればアスタのほうが大きくなるだろう。
「僕……あの人が怖いのです……」
「あの人って?」
「お父様の近くにいた使用人の方です……」
「モミジというお方ですか?」
「うん……」
ミスティは怖いとは感じなかったが、確かに無表情な人だった。他の使用人もかしこまりはするものの表情豊かであのような使用人は少ない。アスタにはそれが恐怖になってしまったのだろうかとミスティは考える。
「ああいう方もいますわ。それに、お父様のお付きですからアスタとはあまり顔を合わせませんよ」
「あの人だけじゃないのです……僕、グレイシャお姉様も怖いのです……」
それはアスタ本人の反応からミスティもわかっている、当のグレイシャ本人も苦手に思われているという自覚があるほど、アスタの反応は露骨に怯えていた。
「確かにアスタはお姉様とあまり暮らしていなかったから……お姉様の振舞いが少し荒々しく見えて、それが怖いのかもしれませんね。でも私達の家族ですのよ。お姉様もこういう時にはしっかり帰ってきてくださいますし、ああ見えて私達の事も気にかけてくれるお優しい方です。
怖がらないでと言ってどうなるものではないと思うけれど……お姉様の前ではちょっとだけ平気な振りをしてあげて。お姉様も実の弟に怖がられているなんてあまりいい気持ちではないかもしれないでしょう?」
「はい……」
ミスティの言葉に納得したようにアスタは頷く。聡い弟を持った事を嬉しく思いながらミスティは微笑みながら頭を撫でる。
「アスタは優しい子ですから、きっとわかってくれると思っていました」
「ミスティお姉様……流石に恥ずかしいです……」
「ふふ、ごめんなさい。それじゃあ私も部屋に戻りますね」
「はい……ミスティお姉様、この度は当主継承おめでとうございます」
去りかけるミスティにアスタは改めて祝福の言葉を伝えた。
「ありがとう、アスタ」
「はい、それでは失礼します」
アスタは丁寧に頭を下げてから自室へ。弟の祝福を受けるとミスティも自室に戻っていく。
廊下を歩くと大きな窓からはスノラの町と灰色の雲で埋まった空が見えた。
「……皆さんはどうしているでしょうか」
ミスティは立ち止まるも、雲から目を逸らす。
今頃スノラの町に着いているであろう友人を思いながら。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
風邪を引いて数日体調を崩しておりました。病院に行ったら今話題のコロナやインフルでは無いと言われたのが不幸中の幸いです。
数日更新できませんでしたが、書き溜めなんてものはできておりません。ただ倒れていただけです。
こうならないように皆さんも体調にはお気を付け下さい……。