154.カエシウス家
トランス城。それはかつて北部がラフマーヌという国だった頃から残る最も美しいとされる建築物だ。
窓に柱、扉や天井、壁に至るまで花をモチーフにした上品で複雑な装飾が描かれており、同じく花をモチーフとする家具や絨毯と合わさる事でただ荘厳さを表すだけでなく、柔らかい一体感を内装全体から感じさせる。
高級品を見飽きているような貴族からしても芸術性を感じさせ、平民からしても高級なだけではない、モチーフからどこか小さな可愛らしさと美しさを感じさせ、王族の城として建てられていながらそのデザインは万人を虜にする。
観光客向けに一年に一度解放するだけで金銭的には安泰とさえ言われる芸術的価値の高い城だ。
「……」
「……」
その城での日常生活を許される唯一の一族その一人、ミスティ・トランス・カエシウスはベッドルームで目を閉じている人物の手を握っていた。
その寝顔はミスティの面影を感じさせる。いや、正確には逆だろうか。
ベッドで寝るその人物は"セルレア・トランス・カエシウス"。六年前、ミスティが血統魔法を継いだ年に昏睡状態となったミスティの実の母親である。
ミスティが握るその手は氷のように冷たく、もう亡くなっているのではと思う人間がいてもおかしくないが、その胸の鼓動は間違いなく音を刻み続けていた。
ただ自分の温もりが、自分が元気であるという事が伝われば。その一心でミスティは目を開けない母親の手を会うたびに握っている。
「み、ミスティお姉様……」
「アスタ、どうしましたの?」
そんなミスティの横に座る小さな男の子はアスタ・トランス・カエシウス。今年十歳となるミスティの弟だ。流石姉弟と言うべきか、さらさらの髪の毛に宝石のような水色の瞳を持つミスティに似た美男子だ。
しかし性格は別物のようで、気弱そうな表情でミスティの着ている青いゴシック風のワンピースのスカートをぎゅっと掴んでいる。
「お母様はいつ起きるのでしょうか?」
「……わかりませんわ」
「そうですよね……ごめんなさい……」
「ふふ、謝らないでください。ほら、アスタもお母様の手を握ってあげて」
ミスティに促され、アスタはミスティのスカートから手を離し、ミスティが握るセルレアの手に触れる。
「お母様……冷たいですね……」
「ええ……ですからこうして、私達から少しだけ温もりをお裾分けしませんと。そうすれば案外何事も無かったかのように目覚めてくれるかもしれません」
「はい……」
こんな事を言っても気休めだという事はミスティにもわかっている。手を握りに来たのもミスティ自身が母親の顔を見たかったからでそんな意図はない。
弟と言ってもアスタはもう十歳。例え母親が氷のように冷たいからといってそんな甘い解決策で母親が本当に起きるとは思っていない。
これは、そうだといいな、と思える二人のただの雑談のようなものだった。
ミスティとアスタが寝たままのセルレアをずっと握っていると、ベッドルームの扉が静かに開く。
音に気付いて二人が扉の方を向くと、胸元を大きく開けた黒いパンツスーツを身に纏うミスティから可愛らしさを抜いて長身に成長したような女性がベッドルームへと入ってきた。
「はい、ミスティ。相変わらず可愛いのね」
「むう……グレイシャお姉様こそ相変わらずお綺麗ですわ」
ミスティは主にその人物の胸の部分をうらめしそうに見つめた。
入ってきたのはグレイシャ・トランス・カエシウス。カエシウス家の長女にして国の魔法使いとしてではなく、氷像や絵画などを手掛ける芸術家として活動している貴族である。
アルム達の通うベラルタ魔法学院の卒業生であり、魔法の腕前も一流な上に芸術家としても名前を隠しながら活動し、若くして成功を収めた実力派として名高い女性だ。
「本当に体のほうは成長しないのね、あなた。それはそれでお人形さんみたいで可愛いけれど」
「いつお帰りになられたんですの?」
「少し前よ。久しぶりに帰ってきたから帰った日は家の中で散歩してたわ。それで一日潰せるんだからこの城ってほんと無駄に綺麗よね」
「ふふ、お姉様ったら」
グレイシャはベッドの脇まで来ると、遠慮なくベッドに座る。ベッドとともに揺れるグレイシャの胸を見てミスティはつい聞いてしまう。
「……お姉様は子供の頃、何かスタイルをよくするような特別な事をしていらしたのですか?」
「あんただって何もしていないの知ってるでしょ? 子供の頃は一緒に暮らしてたんだから……私はこれでも真面目な学院の生徒だったんだから」
「そうですけど……こうも違うと悲しくなってきますわ……」
ミスティは自分とグレイシャの胸を改めて見比べる。ミスティが過度に小さいというわけではない。ただグレイシャは胸だけでなく、スタイルそのものが男女問わず美しいと評するであろう完璧さを持っている。
ミスティは可愛らしさが目立ち、グレイシャは美しさが目立つ。どちらも女性としての魅力が違うだけで劣っているわけではないが、ミスティはずっとスタイルのいい姉と生活していたからか自分の体に少しだけコンプレックスがあった。
「わかっていないのねミスティ。いつも私が言っているでしょう? 美しさってのは自分らしさだって。あなたが私のように長身で胸が大きくなったところで可愛く無くなるだけだわ」
「……これは慰めていらっしゃいますの?」
ミスティが聞くとグレイシャはうーん、とわざとらしく天井を仰いだ。
「そうね。どっちかというと自慢してるかしら?」
「もう、お姉様ったらひどいですわ……」
「まぁ、姉の特権って事で諦めなさい」
そう言われるのがわかっていたようにミスティはふくれっ面になる。普段友人達の前では見せないような子供らしさが垣間見える。
「ねえ、アスタ?」
「……」
ミスティが聞くも、アスタは一言も発さずにミスティに寄りかかるようにしながら服を先程のようにぎゅっと掴んでいる。
「……アスタ?」
「この子私の事苦手なのよねぇ。まぁ、確かにミスティと比べると一緒に暮らしてた記憶なんてほとんど無いから仕方ないかしら?」
そう言いいながらグレイシャは立ち上がる。
「ほら、それより早くお父様の所に行くわよ。全く……私達が帰ってきたっていうのに今日まで仕事を片付けてなかったなんてお父様も堕落したものだわ。これから継承するからってまだカエシウス家の当主って自覚が無いのかしら?」
「ふふ、色々お忙しいんですよ。普段のお仕事だけではないでしょうし。ほら、行きますよアスタ」
ミスティが立ち上がるとアスタもそれに着いていくように立ち上がる。依然としてミスティの服を掴んだままだ。
グレイシャが先にベッドルームから出ていくと、その後を追うようにミスティとアスタもベッドルームも出ていった。
調度品の並ぶ豪奢な廊下を歩き、三人は父親の私室目指して歩いていく。使用人が数人通りがかると、使用人達はその場で止まって勢いよく頭を下げていく。
「どうかしらミスティ。学院は楽しい?」
「はい、友人と共に生活しているようで充実していますわ」
「へぇ……まぁ、あなたは社交的だから当然かしらね」
「心配して下さってありがとうございます」
「心配なんてしてないわ。ただの確認よ」
短い会話を交わしながらも、三人は廊下の奥に辿り着く。
扉の脇にはラナともう一人、使用人がいた。ミスティがラナに小さく手を振っている間にグレイシャが扉をノックする。
「お父様、入るわよ」
返事を待たずにグレイシャは扉を開く。そこは家族特有のラフさという事だろうか。
扉を開いた先は城の内装とは少し違う、遊びの少ない堅苦しい内装の部屋。私室というよりは執務室と呼んだほうがしっくりくるような部屋だ。
中には机に向かう整えられた髭を蓄えた見るからに厳格そうな初老の男性とその脇に立つ若い使用人が立っていた。
机に向かう男性の名はノルド・トランス・カエシウス。北部を支配する四大貴族カエシウス家の現当主にして、机の前に立つ三人の父親である。
「ほら、アスタ。ご挨拶を」
「は、はい……」
少しびくびくしながらアスタはミスティの服から手を離す。
「グレイシャ・トランス・カエシウス」
「ミスティ・トランス・カエシウス」
「あ、アスタ・トランス・カエシウス」
三人は順に名を名乗ると、そのまま片膝をつく。
「「「ここに」」」
カエシウス。
それはかつて北部に君臨していた王族の家名。
そして時が経った今でもなお――マナリルの頂点として君臨する魔法使いの一族の名である。
ここで一区切りとなります。
ようやく前半終了といった所でしょうか。相変わらず長いのですが、懲りずにお付き合い頂けると幸いです。
今日はもう一本短いのを更新します。本編更新はその次からとなります。