152.補佐貴族5
「また酒か……」
カエシウスの居城がある都市スノラからさらに北東にある小さい村"スレヌイ"。クトラメル家の管理地域にある村でさらに北東に進んで山を越えればカンパトーレとの国境があるマナリル北部の端といってもいい場所である。
コリンはアルム達は勿論ミスティやルクスよりも遥かに早く北部に発っていた。それも一人の男の動向を監視する為である。
コリンがいるのは村にある酒屋だ。この村では主にビールが作られている。さほど有名ではないものの、クトラメル家も時折購入していて品質は保証されている一品だ。
とはいえ、地元以外の人間がわざわざ足を運んで買いに来る事は稀である。
「試飲できないのが残念ですな」
「ははは、他の地域から買いに来られたのだから是非……と言いたい所ですが、ベラルタ魔法学院の生徒さんに飲ませてしまってはクトラメル家の方々に怒られてしまいます」
「違いない。ですが、色と香りだけでもいいものだという事がわかりますぞ。五本ほど頂きたい」
「ありがとうございます。この村のよさをわかって頂けるのはとても嬉しい……少しおまけしておきます」
「いや、いけない。私はただいい物をいいと言っただけですからな! おまけなど貰ってはそちらに悪い!」
店の中では酒屋の店主と大きな体をした男性が話をしている。
その大きな図体と一見怒っているようにも見える顏でありながら謙虚な姿勢を見せているのはカエシウス家補佐貴族ペントラ家の長男であり、マナリル魔法学院の一年生"ドース・ペントラ"。
コリンはいまいち動きの意図が読めないこの男を追って早めに北部へと発っていた。コリンはドースがミスティを狙う犯人の補佐貴族であると考えていた。
それも他がコリンにとって犯人とは思えない行動をし続けていたからである。
「タンズークも白……マーマシーも白……」
コリンはネロエラとフロリアは動向の監視は続けていたものの、早い段階で白と判断していた。
どちらかが犯人だという事はまず有り得ない。互いに補佐貴族を調査し合っている事はわかっているのだから、わざわざ接近させる意味がないからだ。あるとすれば両家とも犯人か両家とも犯人じゃないかだが、コリンは後者だと判断した。
それも、コリンが余りに簡単に二人の動向を掴めたからだった。二人とも自分達の動向を隠そうともせずにただ他の補佐貴族の動向を追っていた。自分は犯人ではないとその姿で証明するかのように。
さらに最終的にコリンは二人の狙いがベネッタ・ニードロスと掴んでいる。ベラルタを出立するのも待ち伏せするには比較的遅く、犯人ではないと判断した。
「ニードロスも白のまま……」
ベネッタが犯人ではないという考えも変わっていない。
エルミラと共にミスティの家に泊まるような機会は少し増えたが、特に何が起きるわけでもなかった。それどころかベネッタ自身が他の補佐貴族の動向を全く気にかける気配が無かった為、情報すら手に入れていない可能性が高いとコリンは結論付けていた。
ネロエラとフロリアに狙われている事については静観だ。ニードロス家が攻撃された所でクトラメル家には何の関係もないのだから当然と言える。
他三人が違うというのなら……必然、コリンの疑心はドースに向けられる事になる。
ドース・ペントラは今の所最も動きが読めない補佐貴族。その動きの意図を掴むためコリンは店内を注視する。
「え?」
「っ!」
店主が奥にビンをとりにいったその瞬間、不意に窓のほうに振り向いたドースがコリンを見つける。
何かを掴まなければと焦り、会話まで聞こうと近付いたのが仇となった。コリンは急いで姿を隠す。
どすどすと床を走る音がした後、酒屋の扉は勢いよく開かれた。
「おーい! あんたクトラメル家のコリンくんだ……あれ?」
ドースは外に出てきょろきょろと辺りを見回す。コリンはすでに酒屋の屋根のほうに跳んでいて店の前の通りをいくら見回しても見つけられない。
「おーい! 何で逃げる……?」
「……?」
その様子にコリンは違和感を覚える。
こちらを発見したというのに焦っているわけでもない、捜すのに必死というわけでもない。酒場の店主が戻ってくるのを待っているからなのか、酒場の前から動こうともしていなかった。ドースが犯人だとすれば、自分を監視する相手を見つけたら排除する為に追うのではないだろうか。
油断を誘っているのか?
状況に混乱しかけるコリンは目を細めて考える。
「もしや私と同じように酒で一山あてようとしているのかもしれませんな……」
そう呟いてドースは酒屋の中に戻ろうと踵を返す。
酒屋の扉に手をかけた瞬間、コリンは屋根から飛び降りた。
「うお!?」
「……」
「な、何で屋根から?」
ドースは不思議そうに屋根とコリンを交互に見ている。
コリンはドースの疑問を無視して一方的に質問した。自身の混乱を解消する為、何よりドースがミスティを狙う補佐貴族だと確証を得るために。
「何をしているんです?」
「何って……酒を買ってるんですぞ? あ、念の為言っておきますが、私はちゃんと法を守っていますからな! 飲んではいませんよ!」
「酒を何処に送っているんです?」
コリンがそう聞くと、ドースは一瞬驚いたような顔を見せた。
「おっと……コリンくんは知っていたんですな……」
ドースの声にコリンは身構える。
やはりこいつかとコリンが魔法を唱えようとした瞬間。
「ペントラ家が今年で補佐貴族を降ろされる事を……」
「『光……なんです?」
少し悲しそうにドースはそう言った。
予想外の情報にコリンは魔法名を唱えるのをやめて、一体何の話をしているのかと聞き返す。
「え? ですからペントラ家がカエシウスの補佐貴族を降ろされる事ですぞ? どこに送ってると聞くから私が酒を送っている新居の予定地が聞きたいのかと……」
「あ、いや……その情報は初耳ですね。ペントラ家はそんな事になってるのですか?」
功績を上げて王の命令で領地を持つ為に補佐貴族を抜けるのではなく、ただ上級貴族の命令で補佐貴族から落とされる……それは実質補佐貴族にとっては没落だ。
管理地域も無くなり、家も無くなる。金が底を尽きたわけではないのと、今年中に身の振り方を考えられる分ただの没落よりはましという所だろうか。
「恥ずかしながらこの前の帰郷期間中に言い渡されてしまいましたよ……魔獣被害が多いのを改善できなかったのが決め手だったらしく、こればかりは仕方ないと帰郷期間中ずっと嘆いていました」
そこまで言うと、ドースは悲しそうな表情から一変してにかっと笑う。
「ですけどね! 嘆いているだけでは駄目だと思い立ちまして! 知っていますか、南部のミレル……町中を破壊されたにも関わらず町民が領主の指導の下復興しているんです。その復興の話聞いてたらね、補佐貴族を降ろされたくらいなんだと思ったんですな!」
「そ、それは立派ですね……」
戸惑いながらもコリンは何とか会話になるように言葉を返す。
外面は平静を保っているが、頭の中は思考が纏まらず落ち着かない。
「だからこうして――」
「ペントラ様ー!?」
「あ、外ですぞ! 今行きます!」
さらにドースが語ろうという時、酒屋の中から店主が呼ぶ声が聞こえてドースが酒屋へと戻っていった。
店の中からドースの力強い足音が聞こえてくる。
少しして、鞄にビールの瓶を詰めたドースが酒屋から出てきた。
「……何故酒を?」
「ミレルはワインを町の事業にして霊脈だけではない観光地として名前を広めたのはご存知ですかな?」
「ええ、まぁ……トラペル家の成り上がりは有名な話ですね……」
「後追いと言われるかもしれませんが、私もそのように次の機会に備えて酒について学ぼうかと思いまして……こうして各地の酒を買って回ってるんですな。お父様とお母様も私の案には賛成のようで、飲めない私の代わりに色々味をチェックしてくれたりしています」
補佐貴族を降ろされるのが決まっているというのにドースの表情は何処か嬉しそうだった。
「それは勤勉な事で……」
「いやいや、ペントラ家は大した家ではありませんからな。それに補佐貴族から降ろされると知って何処かほっとしている私がいたんですよ」
「ほっとした……ですか?」
「ええ、必死だと余裕が無いと言いますか。それもその場しのぎだけの必死さでしたからな……正直、補佐貴族である事を維持しようとしていた時は家の空気がよくなかったんですな。でも補佐貴族を降ろされて違う事をしようと色々やってる今のほうが家が一体になってるといいますか……各地の酒を並べて試飲しながらあーだこーだ言って最後は酔いつぶれて……何かね、そういうのが楽しいんですよ。今までしがみつくのに体力を使っていたんですなあ……」
「……」
しみじみとドースは語る。黙ってそれを聞いたコリンを見てはっと表情を変えた。
「おっと、こんな事クトラメル家には関係ないですな! ははは! 私の家が貴族として弱かっただけの話です! 忘れてください!」
「いえ、貴重なお話だったかと思います」
「学院で顔を合わせる事もあるでしょうから、その時はどうぞ声を掛けてやってください。もう補佐貴族として距離をとる必要もないでしょうからな!」
「ええ……」
「そういえば……コリンくんは何故ここに?」
ドースがそう尋ねると、コリンは言いにくそうに酒屋をちらっと見る。
「あー……ええ、少し土産をと思いまして。両親はここのビールが好きなので」
「そうでしたか! クトラメル家の一押しとあれば買って正解でしたな! それなら私はこれでお暇を……もう一つ行きたい村がありますので!」
「そうですか、ではお気をつけて」
「また当主継承式の時にお会いいたしましょうぞ!」
ドースはそう言って手を振りながら去っていく。コリンは小さく手を振り返す。
コリンは混乱しながらも終始警戒していたが、結局最後までドースが何か仕掛けてくる事は無かった。
向かう先も馬車の待合所のある方角で特におかしい点は無い。
「さて……」
補佐貴族を降ろされる。そんな調べればすぐにばれる嘘をドースがわざわざつくとは思えない。
しかし本当だとすれば……ペントラ家はもうカエシウス家とは関係ない。つまり、ミスティを殺す必要の無い家となる。
補佐貴族でなくなるなら、カエシウス家の次期当主がどうなろうがペントラ家には何の恩恵も無いのだから。
この村を出るまでは油断できないが、普通に出る事が出来たならむしろドースは白に近い。
「状況を読み間違えてるのか……?」
コリンは空を仰ぎ、途方に暮れたように呟いた。
見上げた先は空の見えない灰色の曇天だった。