149.林の咆哮
「ベネッタ! 左の二匹を!」
「はい! 『聖撃』!」
アルムの指示でベネッタは見える二匹へ魔法を放つ。同時にアルムは他三匹の進行方向目掛けて白い鏡のような盾を障害物になるように飛ばした。
操れる盾は五枚。馬車と白い魔獣達との距離を少しでも離せるように誘導する。
「ここだ――!」
アルムは鏡のような盾をかわそうと横に大きく跳んだ一匹に目をつけた。
強化された足で地を強く蹴り、アルムはその一匹にすぐさま追い付く。他の四匹と比べて洗練されていない動き。この五匹の中で最も弱いであろう個体にアルムは目を付ける。
"ワオオオオ!"
「『幻獣刻印』」
一匹が危険を知らせるように吠えるも一拍遅い。
アルムが魔法を唱えると胸に不可思議な白い紋様が浮かび上がる。
ここにもう一匹――白い獣が出現する。
「まず一匹!」
紋様から伸びる白い線が爪と牙をアルムの体に形作る。
アルムは爪が生成された瞬間に腕を振るい、追い付いたその一匹の胴を裂いた。
発動したばかりの『幻獣刻印』は威力も低く、その魔獣を絶命させるには至らない。だが、馬車を追わせないようにするには十分すぎる傷だった。
きゃうん、と弱々しい声をあげて倒れる白い魔獣を放って白い魔力を纏ったアルムはすぐさま次目掛けて駆ける。
この一匹を倒すその瞬間、アルムの意識が盾の魔法から逸れる事で、先程まで障害物として動いていた盾の魔法の動きが止まる。
アルムが邪魔していた残り二匹が盾の邪魔が無くなった事で馬車へと追い付いていった。
「うわっと!」
乗り込み口から半身を出しているベネッタ目掛けて白い魔獣が飛び掛かる。
その勢いに驚き、ベネッタは馬車の奥へと悲鳴を上げて飛び退いた。
「また……?」
またも白い魔獣が狙うは乗客席。アルムの知識には無い行動を繰り返している。
エリュテマは仲間意識が強く頭がいい。ゆえに人間を狙えば報復があると知っている。それこそ人間を狙うのは仲間をやられた時くらいなものだ。その仲間を今アルムが倒しても残りの四匹はアルムを狙おうとしない。馬車を追い掛け続け、追い付いた二匹は先に走る馬には目もくれず乗客席を狙っている。
「まさか……ベネッタを狙ってるのか……?」
狩りだというのなら並走した際に馬を狙っていただろう。人間への報復だとしたら攻撃をしかけたエルミラや実際に一匹倒したアルムを狙ってきただろう。しかし、白い魔獣はどちらも狙わずに執拗に乗客席を狙っている。
何故かと問うまでも無い。それはとてもシンプル。つまり、襲ってきたこの五匹には優先する目標があるという事。
「こいつらまさか……!」
アルムは事前に聞いていたルクスの話を思い出す。
ミスティを狙う補佐貴族、そしてその犯人を探している補佐貴族達の話。その情報を持っていたルクス含め、アルム達は狙われているミスティのほうばかりを心配していた。ベネッタを含んだ犯人であろう家を絞り込み、ベネッタは犯人ではないのだから残り四家をミスティに近付けさせなければいいと。
だが、それはあくまでベネッタが犯人ではないと確信できているアルム達の視点の話。
関わりの無い他の家からベネッタを見た時……果たしてベネッタは本当に潔白か?
「いるな……? ミスティの家の補佐貴族が!!」
ベネッタが狙われる理由などそれしかない。
一つの確信を持ってアルムは林に響き渡るように大声で叫んだ。
「ちっ……!」
舌打ちし、未だ魔力が十分ではない爪で乗客席にとりつこうとする二匹を追い払う。
先程倒した一匹のように爪は簡単に白い魔獣を捉えられない。
しかし、乗客席から引き離す事に成功したアルムは走りながら名前を呼ぶ。
「ベネッタ!」
「あ、アルムくん……!」
アルムが馬車と並走しながらベネッタの名前を呼ぶとベネッタが顔を出した。
「こいつら馬も俺達も狙ってこない! 狙いはお前だ!」
「え、ええ!? ボク!?」
「誰かが魔獣達の指揮をとってる! そいつを探せ!」
アルムがベネッタに指示する様子を見てその一人は感心する。姿を見せずに魔獣の襲撃を装っているのをよく看破したと。
"魔獣の知識があるのか……"
その視線は獣のように赤くアルムの姿を捉えていた。
だが、そこまで気付いた所でどうやってこちらを見つけようというのか。
気付かれた所で襲撃者の余裕は変わらない。
馬車の御者を巻き込む気は無いが、その気になれば馬は一頭くらい喰い殺してもいいだろう。馬車は動かせずとも一頭いれば近隣の村まで行けるはずだ。
さて、その中途半端な獣化魔法と浮遊する防御魔法で果たして指揮する自分を見つけられるのか?
「どこだ……!?」
誰か魔獣を指揮している者がいる、そう確信してアルムは林の中を見渡す。
しかし、そんな人影は見つけることはできない。アルムの視点からは後方で走っているエルミラとダブラマの魔法使いらしき者がいるが、ダブラマの魔法使いがあそこから指揮をとっているとは考えにくい。
馬車にとびかかろうとする白い魔獣を爪で牽制しながらアルムは探し続ける。
だが、ただ見ているだけで見つかるはずが無い――何故ならこの襲撃者は今、人間の形をとっていないのだから。
"目視で見つけられるものか"
アルムを見る視線は馬車の左手にいる二匹の白い魔獣の片割れから。
四匹の白い魔獣エリュテマに紛れて走る指揮者の名はネロエラ・タンズーク。
白い毛が風に靡き、赤い瞳が林に輝く。地を駆けながら、魔法の使い手はほくそ笑んだ。
これこそはタンズーク家の血統魔法【気高き友人】。
魔法の造形によって"現実への影響力"を上げるのではなく、"現実への影響力"を造形の精密さにあてることで魔法による魔獣の見た目との完全な同化を可能にした特異な魔法形態。
マナリルに数いる貴族の中で魔獣と共に生きる道を選んだ唯一の貴族タンズーク家――その歴史を示す獣化魔法の傑作である。
「お二方! このペースだと馬が持ちません!」
「操られていたら殺したくはないが……! 四匹ともやるしかないか……!」
「アルムくん! ボクが見つける!」
ベネッタは再び乗り込み口から体を出し、左腕を前に掲げる。
その手首から鳴る細い鎖の音。袖から十字架が姿を見せるとともにベネッタの体に魔力が走る。
「【魔握の銀瞳】!」
十字架に灯る銀色の光。重なる声は風のように。魔法の文言は合唱となって林の中に響き渡る。
翡翠の瞳は魔力に塗りつぶされるように銀色へと。林の中にいる魔力ある命をを捉えるべくゆっくりと動いていく。
"ニードロスの血統魔法?"
響き渡るベネッタの声はネロエラにも届く。
しかし、ネロエラの位置からはベネッタが魔法を唱えた事によって何が起こったのかはわからず、特に大きな変化があったようには見えない。
呪詛魔法か?
ネロエラは一瞬警戒するも、走る三匹の同胞の動きにも変化は無く、自分の動きにも異常は無い。
タンズーク家は魔獣と共に生きる一族。共に生きる魔獣達の身体の事は勿論、魔獣と共に地を駆ける自分の身体の異常には人一倍敏感だ。今は知っている自分達に異常は起きていない。
ならば何の魔法かとネロエラはベネッタを注視する。
ベネッタを守るように馬車と並走しているアルムが離れればすぐにでも喉元を狙うのだが。
"む……?"
ネロエラの視界に入るはベネッタがこちらを指差す姿。
一瞬――ネロエラは虚を突かれる。
「なるほど、紛れてたってわけだ」
その瞬間、迷いなくこちらに突っ込んでくるアルムの姿に。
"な――"
ニードロス家の血統魔法を警戒し、出方を窺ったのが仇となる。
地を蹴り、木を蹴り、立体的な挙動を見せながらアルムはベネッタが見破った魔法の使い手へと攻撃を仕掛ける。
散開させていたネロエラの同胞を呼び戻す時間など無い――!
"ワオオオオオ!!"
ネロエラは吠える。
しかし、それはアルムの迎撃の為ではない。主人の咆哮の意図は走るネロエラの同胞にのみ伝わった。
白い魔獣と同じ姿となっているネロエラを残して、ネロエラについていた白い魔獣も馬車へと走る。今から主人を襲うであろう敵を無視して。
そう、ネロエラの目的はあくまでミスティを狙う補佐貴族の妨害、そして殺害。
ベネッタの殺害を同胞に任せてネロエラは爪を突き立てようと突進してくるアルムの相手を引き受ける。
「はっ」
こちらに突進してくるアルムが小さく笑う声。
何がおかしいのかとネロエラは牙を剥いて迎え撃つ。
確かにタンズーク家の血統魔法は精密な造形に"現実への影響力"を割いていて戦闘能力が劇的に上がるわけではない。
だが、それでも血統魔法として歴史を重ねた獣化魔法。ネロエラの身体能力は魔獣以上となっており、魔法が全身に及んでいる為生半可な攻撃魔法を通さない。獣化魔法の弱点である精神が獣に引っ張られる現象も、タンズーク家は特定の魔獣との共存を続けた事によって克服している。
今はネロエラの体そのものが魔法となっているといってもいい。笑った事を後悔しろとネロエラはアルムにその牙を立てようとするが――
「あんた……ベネッタを嘗めたな」
アルムの笑みは決して襲撃者を侮ったからではない。むしろ逆――ネロエラがベネッタを侮ったからだった。
"!!"
ネロエラはアルム越しに馬車の様子を目に入れる。
そして見た。アルムの相手をする間にベネッタを喰い殺させるべく向かわせた三匹の同胞が、飛び掛かろうとした瞬間その動きを止められたのを。
そう、ベネッタの血統魔法はミレルでの戦いで昇華している。
その瞳を使った今――並大抵の魔獣ではベネッタに触れる事すら敵わない。
「あんたが直接行けば"現実への影響力"でごり押しできたかもしれないのにな」
アルムは白い魔獣の姿となっているネロエラ目掛けて爪を振るう。魔法によって作られた白い毛をかするも本体にダメージは無い。
目に飛び込んできた信じ難い光景に動揺しながらもネロエラの戦闘の意思は消えていなかった。
そう、今からでも遅くない。
アルムが今言った通り、自分で直接ベネッタを殺しに行けばいいのだから。
「悪いが、一手遅かったな」
今度こそ、勝利を確信したアルムの声がネロエラの耳に届く。
そう、もう遅い。アルムの唱えた『幻獣刻印』は過剰魔力による魔獣の狂暴化を人間で再現する魔法。その真価を発揮するには多量の魔力とその魔力をつぎ込む為に数分の時間が必要だ。
そして。その時は訪れる。
「もうあったまった頃だ」
ネロエラの魔獣と同化する魔法。アルムの魔獣の狂暴化を再現する魔法。
"現実への影響力"のアプローチの時点で両者の勝敗はすでに決している。
"――!!"
アルムの身が横に爆ぜる。地を蹴った音とともにネロエラの目に映るは三本の白い軌跡。
魔獣の動体視力を持ってアルムの姿を追うが、いつ接近したのか。すでに爪は目前まで迫っている。
ネロエラは白い魔獣の身体能力を持ってその爪をかわす、かわすがその表情に勝ち誇っている余裕などない。
その爪が振るわれた場所にすでにアルムはいないのだから――!
"どこ――!"
跳ぶ。跳ぶ。跳ぶ!
獣化をかけた状態でなければ追えないであろう速度で地を蹴り、木を蹴り、縦横無尽に跳ぶアルムはネロエラを翻弄する。
魔獣でもない。人でもない。アルムは想像によって作り上げた存在しない獣の皮を纏い、林に君臨する。
"ワオオオオオ!!"
ネロエラの咆哮で地面に転がった三匹の魔獣が起き上がる。
目的はあくまでベネッタ。先程まで他は巻き込むまいとしていたが状況が変わった。
ネロエラは内心で舌打ちする。
認めるのは癪だが、今のアルムは戦闘能力で言えば間違いなく自分より上だ。
これを打倒しなければベネッタを殺害することもできない。自分抜きでベネッタが仕留められないとわかった今、この平民を倒す事を優先する為にネロエラは同胞を集結させる。
三匹の魔獣がベネッタの拘束から逃れ、こちらに向かおうとしたその瞬間。
「―――!!!!」
アルムもまたネロエラの咆哮に重ねるように吠えた。
ネロエラの仲間を呼ぶ声とは違う、言葉にするには荒々しすぎる威嚇の咆哮。
その咆哮は林に響き渡り、ネロエラと白い魔獣達の体にびりびりと伝わる。魔力の乗った声は呪詛魔法のように一瞬、ネロエラ達の動きを完全に止めた。
直前にあったネロエラの咆哮など無かったかのように、三匹の白い魔獣達はその場で釘付けとなる。
アルムの咆哮で今、この場にいる生き物の強さの序列は決定した。
「まだやるか?」
ネロエラに突きつけられる三本の白い爪。
ネロエラはつい生唾を飲み込んだ。
ここまでか、そう悟ってネロエラは魔法を解除する。
魔法を解除すると、四つん這いの体勢になっていたネロエラはゆっくりと立ち上がる。両手を挙げて降参の意を示しながら。
「……姿を見ても誰かわからんな」
カエシウスの補佐貴族の名前はルクスに教えてもらったが、どの名前がどんな外見をしているかなどアルムが知っているはずがない。
少しの間どうするかと困り顔で思案していると。
「うああああ! 待って待って!」
「!!」
エルミラと追いかけっこをしていたはずのダブラマの魔法使いが遠くから慌てたように声を上げる。
黒い仮面の下から聞こえるのは女の声。アルムの前で両手を挙げているネロエラと同じようにその黒い外套も両手を上に挙げながらこちらへ向かってきている。
その後ろでは怒りの表情を浮かべてはいるものの、何かおかしい事を感じているのか、その背中に追撃するような事はせずにただ動向を見張るようについてくるエルミラがいた。
「殺さないで殺さないで! 降参降参ー!」
「ごめんアルム、こいつ何もしてこないからちょっと変だなって思って……」
困惑気味のエルミラに黒い仮面がばっと振り向く。
「そりゃそうだよ! 私達はアルムくんとかには危害加えるつもり無かったんだから!」
「ん? その声……」
アルムは仮面の下から聞こえる声に聞き覚えがあった。
仮面のせいで少しこもってはいるが、間違いなく知っている声。黒い外套はゆっくりとつけている仮面を外す。
「……フロリア?」
「そうです、美人のフロリアですー! 降参するから話聞いてー!」
ダブラマの魔法使いだと思っていた人物の正体はアルムも話した事のあるカエシウス家の補佐貴族フロリア・マーマシー。
話は馬車を呼び戻してからかしらねと、エルミラが呟いた。
ネロエラ戦終了です。
自分にしては短くできた……かな?
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