147.トラブル
ルクスの話を聞いてからというものアルム達は今日までミスティを極力一人にしないように動き、エルミラは頻繁にミスティの家に泊まったりもした。エルミラの気も知らずにベネッタはずるい、と一緒にミスティの家に転がり込む始末。
しかし、結局何も起きずに今日まで時間は経っていた。後は移動中、ルクスとルクスの父親に守られているミスティがカエシウス家の居城トランス城に着けば安全は確保されたと言える。
何故ならトランス城に着いてからの暗殺は無謀に近い。
トランス城のある都市"スノラ"には恐らく当主継承式で招待を受けた貴族達がいるだろう。それも有象無象では無く、ある程度の腕を持つ魔法使い達が。その中で動いてトランス城に忍び込み、ミスティを暗殺しなければいけなくなる。当主継承式にあたって増えるだろう憲兵と城内にいる数十人の使用人の目をかいくぐってだ。そして何より……カエシウス家の人間に気付かれないようにミスティを狙う必要がある。
跡継ぎであるミスティを狙わせるような真似をカエシウス家が許すはずも無い。
つまり、ミスティを狙う補佐貴族にとってはこの移動中が最後のチャンスなのだ。
「結局何も起きなかったな」
「そりゃ学院内じゃ難しいでしょ。学院長の目とかあるし、あの人結構凄いから。アルムは何か苦手みたいだけど」
「……最初の印象がな」
「あー……んー……」
アルムの言わんとしてる事もわかるようでエルミラは同意とも否定ともとれない声をあげる。
「ルクスとルクスの父親が何とかしてくれるといいが……」
「大丈夫よ。あの三人が集まってるとこを襲うなんてそれこそミレルの百足みたいな怪物持ってこないと無理無理。補佐貴族程度じゃルクス一人に一蹴されて終わりでしょ」
「二人ともー! 来たよー!」
外から聞こえるベネッタの声で二人は立ち上がる。
「さ、この話終わりね」
「わかってる」
ベネッタにまでいらぬ心配をかけさせる必要は無い。アルムとエルミラは何食わぬ顔で外に出る。アルムが何食わぬ顔を出来ているかは別にして。
外に出るとベネッタと御者であるドレンが馬車の前で待っていた。
「お久しぶりですお三方!」
「ドレンさん、お世話になります」
「またよろしく」
帽子をとってお辞儀するドレンにアルムも同じように頭を下げる。エルミラも挨拶しながら小さく頭を下げた。
「お荷物は中に積んでありますんで確認しといてください!」
「ありがと」
「ありがとうございますー!」
マナリルはもう季節も秋。制服も厚手のものに変わる時期だ。ベラルタの気温ならまだ制服だけで過ごせるが、北部ではもう雪が降っている地域も少なくない。
エルミラとベネッタは手持ちの荷物以外にも事前に防寒具の入った荷物を送っており、馬車にはその荷物が積まれていた。
挨拶もそこそこに三人は順番に馬車に乗り込んでいく。
「この面子だと、ドラーナの時を思い出すわね」
「ですなあ! いや、皆さんを乗せると大体凄い事に遭遇しますから今回も何かあるかもしれませんな!」
「ボク達のせいじゃないですからねー?」
「はは! わかってますわかってます! それに貴族さんを乗せる以上トラブルは覚悟の上でさあ!」
「自分は貴族ではありませんけどね」
「おっと、そうでしたそうでした! 貴族さんじゃなくて皆さんが、ですな! はははは!」
ドレンもアルム達を乗せた二度とも危険な目にあっているのだが、それら全てをただのトラブルですませる胆力の持ち主だ。
記憶に新しい身の危険を笑い飛ばしてドレンは御者台へと乗り込む。
乗客席に座るアルム達にとっても内部はもう見慣れたものだ。エルミラが奥に座り、すぐに御者台と乗客席を繋ぐ窓を開いた。
「少しお願いが」
「はい、なんでしょう? あ、もしかして気に障りましたかね? トラブルうんぬんはジョークのつもりだったんですが……」
挨拶代わりのトークがまずかったかとドレンは反省しかけるもエルミラにそんなつもりはない。
エルミラは手を横に振って否定の意を見せる。
「いや、実際トラブルばっかだし、その度に助けてもらってるからむしろ感謝してるわ」
「そう言って頂けると助かりやす。それで、なんでしょう?」
「出来ればミスティの乗った馬車を追いかけたいんだけど……ルートわかったりする?」
アルムにはルクスとルクスの父親が付いているから大丈夫だと言いつつもやはり心配なのは変わらない。
少しでもミスティの安全の助けになれないかとエルミラはドレンに尋ねた。
「いえ、馬車のルートは待ち伏せや奇襲防止も兼ねて乗車する方以外は知れないようになってるんです。なのでどのルートでスノラに向かったかは私にもわかりません」
「そう……そうよね、無理言ってごめんなさい」
言われてみれば当たり前かとエルミラは納得して引き下がる。これで本当にミスティの道中はルクスとルクスの父親に任せるしかなくなったと言えるだろう。心配していても何もできない歯痒さでエルミラの視線が少し下に向く。
「すいません、お役に立てませんで……」
「そんなこと無いわ。私達の事よろしくね」
「はい、その点はお任せを!」
自分の胸をどんと叩くドレンを見てからエルミラは窓を閉めた。その力強さはベラルタが生徒の事を思えばこそだ。
気を取り直してエルミラは席に座る。
「それでは出発しまーす!」
ドレンの声掛けとともにアルム達を乗せた馬車がカエシウス領に向けて出発する。
揺れる馬車はベラルタを出るとやがてスピードを上げ始めた。
窓を開ければベラルタの外の景色が流れていく。
季節は秋。
緑でありふれていた草原は清らかな大気の下で黄金色に変わりかけていた。冬になればこの草原も完全な枯草色に変わるだろう。窓から吹いてくる涼やかな風は風景とあわさってアルム達に季節が変わった事を実感させた。
「秋ねぇ」
「だねー」
「……」
窓の外を見てぼーっとするアルム。エルミラとベネッタは顔を見合わせ、何の反応も示さなかったアルムの様子に首を傾げる。
「アルムくん、どしたのー?」
「ん? ああ……少しベラルタに来た時の事を思い出してたんだ。もう半年以上経つんだなと思って」
「何? ホームシックにでもなっちゃった?」
軽くからかうような言葉選びをするエルミラだが、その表情に意地の悪さは無い。
物思いに耽るアルムの言葉をゆっくりと待つように、エルミラは問い掛けていた。
一瞬、がたがたと馬車が揺れる音だけがその場に流れる。
「……いや、ベラルタに来た時迷子になったなって。もう懐かしいな」
「そう」
「迷子になるとこがアルムくんらしいねー」
思い出すのは故郷ではなくたった数か月前のベラルタでの思い出。
ほんの少しだけ流れた穏やかな時間。がたがたと音を立てて進む馬車の揺れすら今のアルムには少し心地いい。
しかし、そんな穏やかな時間がずっと続く事は無い。
出発してから四日経った頃――アルム達の道中で異変が起こる。
「んあ?」
ベラルタを出立してから今日まで順調に馬車は進んでいる。北部でまだ雪が積もっていなかったおかげでむしろ当初のペースよりも早いくらいだ。
一日馬車を進めて日が傾き始めれば休憩の為に近くの村に立ち寄り、宿に泊まって体を休めてまた出発する。馬車内でたまに雑談に興じて暇を潰し、特に話題が無い時は窓の外の変化を楽しんでゆったりと。そんな何でもない旅だった。
馬車の進む平地は枯草色であふれているが、山の気候は平地とは少し違うようで上部のほうはすでに雪が積もって白く変わっている。
すでにアルム達はカエシウス領に入っていて、カエシウス家のある都市スノラまで後半分というところだ。
ベネッタが声をあげたのは二回目の休憩で立ち寄った村から出発してしばらくたった頃だった。
「なによ、アホっぽい声出して」
「何か……雪が動いてるー?」
「……疲れてるの?」
「違うよー。ほら見て見て」
ベネッタはエルミラの制服の袖を引っ張って窓の外を見るように促す。
ベネッタに言われた通りエルミラは窓の外から見える山を注視しようとするも、太陽の光を山に積もった雪が反射して少しちかちかした。
「ほらあそこー」
エルミラは目を細め、片手で影を作りながらベネッタの指差す方をじっと見る。
ベネッタの言う通り、白い何かが五つ山を下っている。しかし、それは断じて雪ではない。二人の見るその白い何かは間違いなく四つ足を動かして山を下っていた。
「魔獣ね。ベネッタ、どんなのかわかる?」
「いや、ボクの家の近くあんまり魔獣出ないからー……アルムくーん!」
「どれだ?」
ベネッタに呼ばれて反対側に座ってたアルムも身を乗り出して窓の外を見る。
山を下る五つの白い魔獣の姿はアルムにとっては見覚えのあるものだった。
「ああ、多分"エリュテマ"っていう狼型の魔獣だな。冬になるとカレッラでもたまに見るが……カレッラで見るのより大きいな」
「危ない魔獣なの?」
「いや、頭いい魔獣だからよほど空腹じゃないと人は襲わない。まだ秋だから食料に困ってはないだろうし、過剰魔力で肥大化してるってわけでもなさそうだから大丈夫だと思う」
「よかったー」
アルムの説明にほっとベネッタは胸を撫で下ろす。
馬車が進むにつれて景色は流れ、見えていた山も遠くなっていった。白い魔獣が下っていた山もやがて通り過ぎていった。
「こういう時は頼もしいわね」
「魔獣を狩るのと魔法くらいしか知ってることが無いからな」
「流石アルムくんー!」
魔獣が見えた山も通り過ぎ、馬車は林の中へと入る。林といってもカエシウス領に向かう道だ。林の中にはある程度道のようなものができていて、前に通った馬車が作ったであろう轍を辿って馬車は進んでいく。
三人が安心していたその時、御者台と乗客席を繋ぐ窓が勢いよく開いた。
「お三方! 後ろから魔獣が来てます!」
「なに?」
「白いのが五匹でさあ!」
ドレンの声で三人は急いで窓から馬車の後方を見る。
まだ距離はあるものの、馬車の後方には今さっき山で見たのと恐らく同じであろう白い狼型の魔獣が五匹。
その五匹の白い狼達は人間と同じくらいの体躯を持っていて、その五匹ともが牙を剥いて馬車を追い掛けてきていた。
「……アルム? めっちゃ来てるけど?」
「……あれ?」
あれ?