145.補佐貴族4
ベラルタの町は夜になると一変して静まり返る。
ベラルタに集められた住民は明日も生徒達の生活を支える為に常に万全であるよう努めているからだ。そして悪影響を及ぼさないように外で過度に騒ぐような事はしない。
夜は憲兵が巡回し、生徒に悪影響を及ぼすような行動を起こしている輩がいないかを見回っていて常に生徒の為にと動いている町だ。
しかし、その巡回ルートは定期的に変えてはいてもある程度決まったルートが存在する上に住民の動向を見るという意味合いが強い。
つまり、それを理解してしまえば夜の町での密会は容易だという事だ。
「私達が会ったらまずい事くらいわからないの?」
第一寮近くの薄暗い路地。魔石の街灯によって大通りは比較的ましになったものの、未だ光が届かない場所はある。
そんな薄暗い路地でフロリアは目の前の人物に怒りをぶつけた。
声を荒げる事こそ無かったが、その声には目の前の人物に対する非難が含まれている。
怒りをぶつけられた人物は何も書かれていない本のようなものを持っており、そこにペンを走らせる。
《それはわかってる》
本に書いたその文字をフロリアに見せた。
わかっているなら何故、そんな当たり前の疑問がフロリアの怒りを加速させる。
「だったら呼び出しとかやめてよね」
《僕の見立てではマーマシー家は白。共同歩調をとれると判断した》
「ちっ……」
耳で聞くだけならフロリアの独り言だが、声と文字で会話は成立している。
フロリアと話しているのは"ネロエラ・タンズーク"。白い肌に白いの髪と色の薄い見た目をしていて、中性的な顔立ちに特徴的な赤い瞳が闇に灯っている。体格は小柄で制服は男性用を着ているが、女性用を着せれば女性にも見えるであろうベラルタ魔法学院の一年生だ。そしてフロリアと同じくカエシウス家の補佐貴族である。
ネロエラは再び本にペンを走らせる。その口は閉ざされたまま。
《補佐貴族同士の接近を他に見られれば疑われやすくなるなのはわかってる。しかし、今回の件に無関心な二つの家を除けばマーマシー家くらいしか協力を要請できるものがいない。万全を期すために共同歩調をとれる家が欲しかった》
ベラルタ魔法学院にいる七つのカエシウス家の補佐貴族。その内の二つは二年生で在籍しているものの何も行動を起こしていない。それどころか当主継承式までは何の関係もないと言わんばかりにどちらも実地へと赴いていた。
流石に実地をこなしながらミスティをどうこうするのは無理がある。
「クトラメル家とペントラ家は? あの二家は動いてるでしょ」
《どちらも信用できない。特にペントラは動きが奇妙だ》
「奇妙? ペントラはまだ帰ってきてないでしょ」
《いや、とっくに北部は発っている。だが、至る所で寄り道をして酒を購入してどこかへ送っているという情報を得た》
今回の当主継承式の件とはどうも結び付きにくい行動。言われてもフロリアはピンと来ない。
「根回し? それとも酒と一緒に何か送ってる?」
《生徒が購入した酒類に何か仕込んでもカエシウス領や王都の検閲を逃れられるとは思えない。
しかし、何らかの意図がある可能性は高い。高いが、すでに学院に帰ってきている我々に全く関心が無いのも引っ掛かる。単純にミスティ様が狙われているという情報を得られていない家である可能性は捨てきれないが》
「まぁ、ペントラは大した事ない家だから無くは無いか……」
ペントラ家はニードロス家と並んで大した武勇も無い北部の中でも立場の弱い家だ。
先代から著しく力を落としており、十三ある補佐貴族の交代候補でもある。補佐貴族から降りれば没落も時間の問題といえる。酒は生き残るための根回しか、それとも別の目的か。フロリアは思考するも答えはでない。しかし、もしペントラ家が敵だとすれば大した事が無いとわかってる分楽ではある。
ネロエラは白紙のページに再びペンを走らせた。やはり口を開く気配は無い。
《どちらにせよ、賊がいるとすればミスティ様の動向を自然に把握しやすい我々の中にいると見て間違いないんだ。どれも怪しんで損は無い。北部に留まっている他の補佐貴族が動きを見せれば犯人ですと言っているようなもの……そいつらの息がかかってる可能性はあるが、間違いなく実行犯はベラルタに通う者のいる家のどれかだ》
「まぁ、それはそうでしょうね」
カエシウスの補佐貴族は十三存在する。しかし、その十三の貴族が全員自由にミスティを狙えるわけではない。
北部を拠点とし、ベラルタ魔法学院に通っている者もいない家が急にベラルタ、もしくはベラルタへの動きを見せればそれはもう自分が犯人だと言っているようなものだ。
当主継承式というカエシウスどころか北部にとって重要なイベントを控えている今、そんなあからさまな行動をとれば他の家から袋叩きにされるだろう。ミスティを狙えても北部での地位を失っては意味がない。
そういった意味で北部に留まっている補佐貴族は互いを監視し合っていて迂闊には動けない。動けるのはベラルタに通っている生徒がいる七家だけ、そしてその中でも怪しいのは動きを見せている五つの家のみだった。
《そして我々の中で現状白と判断できるのは僕からすれば今日ベラルタに帰ってきたマーマシー家だけだ》
「何で私が白なのかしら?」
《学院に帰ってきている補佐貴族すら把握していないほど情報が遅れていた。ミスティ様の近くにいるとはいえあの平民との接触もメリットが薄い。何より今日に至るまでの行動の中にもミスティ様に直接接触しようという動きも無かった》
「うわ……ずっと見てたの……てか、グレースとの会話も聞いてたのね……」
気持ち悪がるフロリアを無視してネロエラは本に自身の言葉を書き続ける。
《これで賊であるというのなら大したものだが……そうだとしても近くにいれば看破は容易い。尤も……マーマシー家にそんな器用な真似ができるとも思えないがな》
ネロエラの言葉回しにフロリアは苛立ちが募る。
「ちょっと……? ずいぶん言ってくれるけど、私からあなたへの信頼はゼロよ?」
《信頼という言葉を持ち出すならこちらも同じくゼロだ。マーマシー家を信頼したのではなく、マーマシー家が賊ではないと判断した自分を信頼しているだけ。そちらも僕が賊だと思うならいつでもかかってくるといい。その時は僕もマーマシー家を排除する口実ができてありがたい》
「あら私に勝てると思ってるのね?」
フロリアの声にネロエラは口元で笑うと、再びペンを走らせる。
《マーマシー如きが私に勝てると思ってるの、ときたか。身長が縦に伸びると自尊心も一緒になって高くなるのか? 才能は大して伸びないのに立派な事だ》
「ふーん?」
両者の視線が交わる。ピリピリとした空気が流れるも、互いに何かを起こそうという気は無い。
フロリアを挑発するようなネロエラの文面は本当にマーマシー家を排除しても構わないという意思の表れか。
フロリアはふうっ、と小さく息を吐いて苛立ちを抑え込む。
「で? あなたの言う怪しい家は?」
睨むフロリアの質問にネロエラは嫌な顔をする事無くペンを走らせる。
まるでフロリアの敵意を喜んでいるかのように口元が緩んでいた。
《我々は帰郷期間中に当主継承式の事を知った。しかし、今回の賊がその情報を聞いてから動いたとは考えにくい。何らかの準備をしていたはずだ。本来は長期の計画だった可能性が高い。卒業後、もしくはその他の有効的なタイミングを狙っていたと考える。そう考えれば……我々がやっていない事をやっている家が一つある》
ネロエラは一度自分の意見を書いた本を見せてまたペンを走らせる。
《これだけでもうわかるだろう? 僕が誰を怪しんでいるのか》
「……」
フロリアの頭に思い浮かぶ一つの人物。恐らくはネロエラが思い浮かべているのと同じ人物であろう。
それは学院に帰ってきてからフロリアが接触したくなかった家の一つでもある。
「それはタンズーク家の意向? それともあなたの独断?」
《帰郷期間中にカエシウスと一緒にいた時点でタンズーク家は疑いの目を向けていた。
ベラルタでの判断は僕に任されている。この件についての僕の判断はタンズークの意思と取ってもらっていいい》
「そう……」
《どちらにせよ弱い家だ。排除しても北部に支障がでるわけでもない。だが、弱くともあの近さは危険と言える》
「確かに、排除しても問題ない家ってのは同感ね。あの家の当主むかつくし」
《そこは僕も同感だ》
「ようやく気が合ったわね」
《同じ方向を見れば合う時もある》
フロリアは少しの間思案する。
リスクはある。だが、協力があれば比較的安全にこの件を片付けられるのも事実だった。ネロエラの言葉を鵜呑みにしているわけではない。自分の中にあった可能性とネロエラの意見が合致しているだけの話だ。
……それに、ここでネロエラと組んだとしても、当主継承式の日までの間の調査で意見が変わればただ裏切ればいいだけの事。
「いいわ、あんたにのってあげる」
ここで断るメリットは薄いとネロエラからの提案をフロリアは受け入れる。
ただ互いが敵じゃない可能性が高いというだけで組まれた即席の、薄っぺらな同盟がここに結成される。
《決まりだな。決行は北部へ向かうその時だ。今日まで慎重を期していたと考えれば学院内で大きな動きは見せまい》
「ええ」
書かれた文面を見てフロリアは頷く。
そして、マーマシー家とタンズーク家が狙う家の名を口にする。
「狙いはベネッタ・ニードロス。唯一ミスティ様に近づいてるあの女ね」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。
今日はもう一本短い幕間を更新します。