141.補佐貴族2
「よいしょ……」
アルムは本棚からとってきた本の山を机の上にゆっくりと置く。アルムの上半身ぐらいは積み重なっていて、その全てはマナリルの歴史に関する本だった。
「北……北……」
普段は魔法に関する本しか読むことの無いアルム。そんなアルムが歴史について調べようと思ったのは勿論、昨夜ミスティから伝えられた当主継承式の件。そして最近まで知らなかったミスティの家についてがきっかけだ。
普段から自分が魔法以外に関する大体に無知という事はわかっていた。それはアルムが平民であり、魔法使いへの道が他より遠かったからに他ならない。
しかし……当たり前だが、ただ魔法を使えるだけで魔法使いとして生きられるわけではないのだ。
幼少から憧れた存在は決して、本の中に描かれている悪者を退治するワンシーンだけで生きているわけじゃない。そこには憧れた存在にとってありふれた世界がある。
それこそミスティの言っていた今の貴族……魔法使いの世界。それを学ぶ為の第一歩として、アルムは自分の住む魔法大国マナリルの歴史。手始めに一番近い貴族であり、きっかけとなったミスティの家についてを調べる事にした。
もしかすれば、友人の事をもっと知りたいと思ったという理由もあるかもしれないが。
「むむ……」
普段読む本とは全く違う言葉ばかりで普段本を読んでいるアルムも少し眉間に皺が寄る。
自分に興味のない分野に踏み込むというのは思いの外難しい。しかし、その難しさも大体は入りだけ。少し自分に興味のある言葉が出てくれば興味も出てくるというものだ。
「……当たり前のように出てくるな、スクリル・ウートルザ」
魔法大国マナリルの歴史は当然魔法使いの歴史といってもいい。
地属性魔法に関する本で目にしない機会は無い地属性魔法を確立させた貴族にして、ベラルタに侵攻してきた【原初の巨神】の生みの親。スクリル・ウートルザの名前がすぐにアルムの目につく。
例え後世で【原初の巨神】が自立した魔法となって国の脅威になったとしても、地属性魔法を確立させた偉大な人物である事には変わりない。
千五百前の出来事が書かれている歴史はもはや神話に近く、マナリルの周辺に山が多いのはスクリル・ウートルザが国を守る為にやっただとか、泥で作られた人形と結婚するだとか、そんな眉唾なエピソードが当たり前に書かれていた。
「違う違う……北……北……」
魔法の話題が出てきたからか最初よりも興味深そうにアルムはその本を読んでいた。途中で目的を思い出してページをぺらぺらとめくり始める。
そんなアルムを見つめて一緒に来た人間がいないかを確認するフロリア。
フロリアは周りをきょろきょろと見渡しながら図書館の中に入り、静かに扉を閉めた。
「奇遇だね、アルムくん」
「ん?」
座って本を読むアルムにフロリアは歩み寄って声を掛けた。
「えっと……」
アルムはフロリアの事をどこかで見た覚えはあるが思い出せない。
「包帯ぐるぐるの時以来だねー、元気だった?」
「ああ、あの時の……」
アルムは包帯の事に触れられてようやく思い出す。
ミレルでの事件後、廊下を歩いていた時に話しかけてきた女子生徒。それがフロリアだった。
フロリアはアルムに手を差し出す。
「フロリア・マーマシー。隣いい?」
「アルムです、よろしく。ああ、構わない」
アルムは差し出された手をとると、フロリアはアルムの隣に座った。
アルムは横に置いていた本を少し動かしてスペースを確保する。
「何調べてるの?」
フロリアはアルムの広げている本を覗き込む。
本当の事は言えない。何せ昨夜のミスティの話は他言無用。
尤も、フロリアは北部の貴族である為、カエシウス家の当主継承式の事も知っているのだが、アルムはフロリアが北部の貴族である事など知るはずもないので、アルムは言葉を選んでフロリアの疑問に答えた。
「友人に北部が別の国だった事すら知らないなんてあり得ないと引かれたので北部の事について調べてるんだ」
「え、知らなかったの……?」
「あ、ああ……」
「そんな人いるんだ……」
隣に座るアルムをまるで珍獣でも見たかのような目で見るフロリア。
初対面に近いフロリアにすら引かれてアルムは自分の無知を実感する。同時にいつもいる友人達の反応に妙な優しさも感じていた。
「私が教えてあげようかー? 私北部の家だからそれなりに詳しいよ」
「いいのか? 自分で言うのもなんだが、本当に基本的な事を聞く事になると思うぞ」
「いいのいいの。暇だったから」
そう言ってフロリアは北部の事について話し始める。
「北部がまだマナリルじゃなかったのは八百年くらい前で、その時の国の名前は"ラフマーヌ"。小さな雪国だけど、当時のマナリルとも友好な関係を築いてたって聞くわ。
当然、当時のラフマーヌの王族はカエシウス家……当時魔法使いの数も多くてマナリルより強かったダブラマに対抗する為にマナリルと一緒になったの」
「同盟とかじゃないんだな」
「そこは当時のカンパトーレのせいね。マナリルとは敵対してなくてラフマーヌとだけ争ってたから、カンパトーレの攻撃を止める為にもマナリルって国になっちゃったほうが安全だったんだって。当時のカエシウス家も強かったけどダブラマとカンパトーレ、二つの国からの攻撃を躊躇わせる力は無かったから」
「ほうほう……」
という事は、今はそれほどの力があると見られているという事かとアルムは思う。
フロリアはダブラマの事を、当時魔法使いの多い、と説明した。ダブラマも今はそれほどの力が無いせいもあるのだろう。
「今となってはカエシウス家は千年前からある名門だけど、当時のラフマーヌは国の歴史も周りと比べると浅くてそうせざるを得なかったみたい。まぁ、マナリルに残されてる記録だから当時のマナリルから脅されて仕方なくとかもあったのかもしれないけど。北部がずっとカエシウスだけの物なのはちょっとした償いなのかもね」
「千年って……ミスティの家ってそんな前からあるのか?」
「うん、メジャーな属性の創始者達に次いで古い一族だよ。名門中の名門」
今さっきスクリル・ウートルザについての記述を見ていたからこそアルムはようやくカエシウス家の凄さを認識した。
普段フレンドリーに接しているミスティからは想像もつかなかった。同時にミスティの血統魔法を見ればおかしい話ではないとも。
確か、ルクスのオルリック家でも六百年だったはずだ。ルクスが言っていた飛び抜けて凄いという意味がようやく実感となってくる。
「とはいっても近年はその才能も衰えてて、現当主も強いっちゃ強いけど圧倒的な才能は無くて、北部の貴族もようやくカエシウスの力が落ちると思ってたのよ。カエシウス家が力を落とせば自分の領地を得られるチャンスだからね……けど、そこで生まれたのがアルムくんの友達でもあるミスティ・トランス・カエシウスってわけ」
「ミスティ?」
アルムがフロリアの顔を見ると、フロリアの顔は何故か険しい。
何か気分を害してしまったかとアルムは一瞬思うが、フロリアはアルムの疑問に答えてくれる。
「血統魔法を十歳で継いだ圧倒的な才能に才能にかまける事無く訓練を怠らない貴族と魔法使いの鑑。現時点ですでに魔法使いとして一線級と評されてる怪物。おまけに容姿端麗……そんな子供が現れた事で北部の貴族はがっかり。カエシウス家は全盛期……血統魔法の歴史を考えれば全盛期を超えるカエシウス家の到来を祝福せざるを得ないのでした、っと」
「みんなミスティの家に落ちてほしいってことか? 同じ国の貴族なのに?」
「それなりに地位があると上を目指したくなるものよ。補佐貴族なのが面白くない家もあるって事……上を目指すって言ってるのに上が落ちる事しか考えてない人達もね」
「へぇ……大変なんだな……」
「……気付いた?」
「……何にだ?」
何かを訴えるようなフロリアの視線。アルムはフロリアが何を伝えたいのかがわからない。
フロリアは数秒アルムを見つめるとにっと笑う。そして立ち上がると、手足の長さを強調するようなポーズをとって得意気な表情を浮かべた。
「容姿端麗って言っても美貌で言えば私の方が上って事よ……どう、アルムくん?」
「すまない。俺はミスティのほうが美人だと思う」
「……あ、そう」
得意気な表情だったフロリアは一瞬で急降下。つまらなそうにポーズをやめて座る。
その様子にアルムは慌てる。女性の怒りに対してアルムは滅法弱い。
「フロリアも美人だと思うんだが……えっと……ほら、こういうのは好みがあるというかだな……」
「いいもんだー……別にアルムくんに美人だと思ってもらえなくてもいいもんだー……」
「いや、美人だとは思っている。その……俺が好ましいのはどちらかという意味で言っただけで、決してフロリアがどうとかではだな……」
必死に弁明しようとしているアルムをフロリアは見つめる。
冗談で言っただけなのだが、その表情は本気で困っているようだ。
「冗談冗談、気にしてないよ」
「……本当か?」
警戒するように尋ねてくるアルムについフロリアは笑ってしまう。
「本当だってばー、意外な弱点見つけちゃったねこれは。話題の平民は拗ねた女に弱いと」
「勘弁してくれ……」
「ま、授業料ってことでね?」
「ああ、助かった。国の名前すら知らない手探り状態だったからな」
「他に聞きたいことある? 常識的な知識だけならこんなもんだと思うけどさ」
「そうだな……」
アルムは考え込むが、知りたかった基本的な事はとりあえずわかった。
「いや……助かった、ありがとう。フロリアのおかげで片っ端から本を読む必要は無くなった」
「そう?」
後はフロリアに聞かずとも、フロリアに聞いた知識を基に本を探せば自分で調べる事ができるだろう。引っ張り出してきた本の山を漁るよりもよっぽど早く知れたので、アルムはもう一つやろうと思っていた事に時間を割く事にした。
何より、フロリアの表情には疲れが見える。これ以上付き合わせるのは悪いというのがアルムの本心だ。
アルムは立ち上がり、本を持って本棚の方に歩いていく。一冊一冊戻していくと、フロリアもそれに付いてきた。
「そういえば、もう一つ聞きたい事があるんだが……」
「ん? なになに?」
「とある女性へプレゼントしたいと思ってるんだが……フロリアだったら何を貰ったら嬉しい?」
フロリアは本を戻しながらそう聞いてきたアルムに目を丸くする。まさかその類の質問をされるとは思っても見なかったからだった。
しかし、送る相手はフロリアにも容易に想像がつく。アルムの友人、近々祝い事のある女性に対してだとすれば一人だろう。
「ミスティ様に?」
「あ、いや……」
「ごめんごめん、せっかく濁してるのに詮索は野暮だよね。ええと何をか……今の私だったら新しいチョーカーとかネックレスだけど……」
「ふむ……」
以前エルミラから聞いた通り、女性の間では首元を着飾るのが流行っているようでフロリアも首飾りの類を挙げた。
アルム自身はエルミラに見せられてもよくわからなかったが、やはり今貰うとすれば流行り物なのかもしれない。
「でも、アルムくんがプレゼントしたい相手はそういうの気にしないんじゃないかな? アルムくんがあげたい物をあげたらそれだけで喜ぶと思うよ」
「……それは確かにそうかもしれない」
明らかに個人を想定しているであろうアドバイスをアルムはありがたく頂戴する。
本を戻し終ると、二人は話しながら図書館の扉へと歩いていく。
話している内に実技の時間が終わったのか、何人かが図書館に訪れてきていた。
図書館に訪れた生徒とすれ違いながら、二人は外に出る。
「あ、だからって本当になんでもいいわけじゃないからね。あげるなら最低限プレゼントとして喜ばれる物をあげなよ?」
「そこが難しい……色々聞いて悪いな、ほとんど初めて話すっていうのに」
「いいのいいの、じゃあ私は帰ろうかなー」
「ああ、ありがとう。助かっ……」
礼を言って小さく頭を下げるアルムの耳元までフロリアは唐突に顔を近付けてくる。
フロリアは制服の胸元を掴み、まるで無理矢理耳を近付けるように少しだけ制服を引っ張った。
フロリアの急な動きにアルムは驚き、声が途中で止まる。
「気を付けて」
先程までと同一人物とは思えない声に感じた。フロリアは耳元でそれだけ言い残して制服から手を離し、アルムから離れる。
その表情は引き締まった真剣な面持ち。しかし、すぐに話していた時のような柔らかい表情に戻った。
「じゃあまたねー」
「あ、ああ……また……」
去り際に手を振られたのでアルムもそれに応えるように振り返す。
アルムの頭に二つ疑問が残る。
一体今のは何だったのか。忠告? だとすれば何の? 考えた所でわかるはずもない。
もう一つは――
「結局フロリアは図書館に何をしに来たんだろうか……?」
最後まで本を探す素振りも見せなかったフロリア。
まるで自分と話す為だけに図書館に来たような?
「……いや、それは無いか」
こんな考えが一瞬でもよぎるとは、と自分で自分に驚く。美人かどうかを聞かれただけで頭が少し勘違いしたのかもしれない。
冷静にありえないという結論を出してアルムはもう一つの用件をすます為にベラルタの町へと繰り出した。
そんな様子を、一部始終見ていた者達がいる。
「ミスティ、ベネッタ。今のってマーマシー家よね?」
「……はい」
「うん……」
図書館は本棟から見える位置にある。二階の実技室で実技を終えたミスティ、エルミラ、ベネッタの三人は窓から偶然図書館から出てきたアルムともう一人、フロリアが一緒に出てきてからの一部始終を窓から目にしていた。
「……北部には別れ際、ほっぺにキスする風習でもあるの?」
「いえ……そういった風習は特に……」
「アルムくん……案外モテるのかなー……!」
呆然とするミスティとエルミラ。目をきらきらさせているのはベネッタ一人だった。
誤解なんです。