140.補佐貴族
「はぁ……」
一人の女子生徒が疲れた表情でベラルタ魔法学院の門をくぐる。
すでに日は昇り切った後であり、すでに昼の時間も終わっている。学院での授業と言えば後は実技を残すくらいだ。
彼女の名は"フロリア・マーマシー"。すらっとしたスタイルに色素の薄い白い肌をしていて、ダークブラウンのショートヘアが似合うベラルタ魔法学院の一年生。そしてカエシウスの補佐貴族マーマシー家の長女である。
突如帰郷期間中に発表されたカエシウス家の当主継承。その影響を受けてベラルタに戻るのが大幅に遅れ、彼女は今日ベラルタに着いたばかりだ。
そのまま寮に帰ってもよかったが、久しぶりとなる学院の様子を確認しておきたかったので疲れた表情を浮かべつつも学院内を歩いている。
「北部の補佐貴族が敵対して分裂したって話ですね」
「カエシウスの支配下で? そりゃ無いだろう」
「現当主は確かに歴代に劣るが、腐ってもカエシウス……自殺志願者かよ」
北部の噂をしながら聞こえる笑い声。午後は実技の時間だが、実技を早々に終えて話す生徒が散見する。
入学当初にあった遠慮ある口調など学院生活が続けば次第に砕けていくもので、繋がりを持った貴族達は学院内ではそこまで取り繕っていない。無論、繋がりを維持する最低限の礼儀は残している。
フロリアは話し声の方向を向かずにただ学院内を歩く。確認したかった事とはまさに学院内にどんな噂が広まっているかだったのだから。
「北の領地で振るわない補佐貴族が出てきたとか……」
「カエシウス家が補佐貴族に制裁を……」
「補佐貴族がカエシウス家に異議を唱えて……」
「王都からの視察で問題が……」
「単純に不作って話じゃ……」
「カンパトーレの襲撃が……」
耳にする噂はどれもばらばら。どれだけ北部の貴族がいない間、好き勝手に噂されていたかがわかる。しかし、それだけ北部の事態が重要視されているという事でもあった。
カエシウス家の補佐貴族は必ずしもその貴族が補佐しなければいけないという家が少ない。悪く言えばいくらでもすげ替えが効く貴族達だ。補佐貴族に関する噂が多いのも十三ある補佐貴族のどれかが落ちるのを期待しての事だろう。
フロリアは疲れた表情ではあるものの、噂話によってその表情が極端に変わることはない。歩き回るフロリアに注目している生徒はいないように見えるが、わざと話を聞かせて反応を窺おうとしている可能性もあり得なくはない。
フロリアも貴族。例え耳に入ってくる噂話に本当のことが混じっていたとしても決して反応を外に見せてただで情報をあげる事などさせない。
「思ったより纏まってない……今誰が帰ってきてるのかな……」
今北部の貴族がどれだけ帰ってきているのかはフロリアにはわからない。
まさか自分が最初という事もあるまい。
しかし、これだけ噂がばらばらという事は帰ってきた貴族達から何も漏れていないという事だろう。
「誰かいれば……」
フロリアはベラルタ魔法学院に来てから出来た友人達を探す。
帰ってきてからフロリアには一つやらなければいけない事がある。今は情報が欲しいとフロリアは疲れた体で学院を歩き回る。
とはいえ、今は本来実技の時間。フロリアの友人達も本棟の実技室や魔法儀式で実技棟にいる可能性が高い。
フロリアはとりあえず一番近い実技棟を目指す。本棟から大して距離も無い、入学初日にアルムとルクスが決闘をした実技棟だ。
フロリアは一番近い実技棟に着くと入り口の魔石に手をあてる。扉が開き、フロリアの魔法儀式の戦績が表示されるが、それを見る理由も無い。
「失礼しまーす……」
フロリアがそーっと中を覗くも誰もいない。無駄足というやつだ。
「他の実技棟に行ってみるか……?」
自分で口にした提案に自分でげんなりしてしまう。
それなら寮で待っていたほうがいい。それに遭遇したくない家もある。二人きりで遭遇する事態をフロリアは避けたかった。
そう考えていた時、背後から見知った声を掛けられる。
「あれ、フロリア?」
「グレース! 久しぶりー」
声を掛けてきたのは大きなメガネが印象的でそのメガネの奥の目の下に少し隈が出来ている女子生徒だった。すらっとしていてスタイルのいいフロリアとは対照的で身長は低く、くすんだ茶色の前髪が少しメガネにかかっている。
その女子生徒の名前はグレース・エルトロイ。
魔法儀式の事もあり、ベラルタ魔法学院の一年生は互いに警戒し合う。その為、入学後の生活は入学前から交流のある貴族同士とだけしか付き合わない者も多い。
そんな中、グレースはフロリアと入学前に全く付き合いの無かった貴族でそれでも友人として接する事ができる数少ない一人だった。
「久しぶりね。フロリアは……今日帰ってきたのかしら」
「そうなのー、何があったかは言えないけどちょっと忙しくてさ」
「やっぱり噂通り北部は今大変なのね、私には関係ないけれど」
本当に噂を気にも留めていないと冷めた表情のグレース。
こういう所がフロリアにとって彼女の好ましい部分だった。
「ねぇ、グレース。今北部の貴族って誰が帰ってきてる?」
「……関係ないって言ったばかりの私に北部の貴族の事を聞くの?」
「いいじゃん、干渉してって事じゃないからさ。誰が帰ってきたかだけ教えてよー……」
「まぁ、いいけど……」
しょうがないと嘆息し、グレースは順に名前を挙げる。
「少し前に"クトラメル"とタンズーク、後は今日カエシウスとニードロスを見かけたから昨日帰ってきたんじゃないかしら」
「……」
フロリアは、げぇ、と言いたくなる気持ちを抑えて顔をしかめた。
帰ってきていてほしくない家が二つも帰ってきていたからだった。
「どうしたの。私みたいなぶさいくな顔して」
「してない。 あとグレースは別にぶさいくじゃない」
「ありがとう。あなたが言うと嫌味にしか聞こえないけど」
「そこはほら、私美人だから……」
フロリアは謙遜する気配は無いが、申し訳なさそうな表情でそう言った。そんなフロリアにグレースは眉間に皺を寄せる。
「そういう所が好きじゃないわ。……私は帰るけど、あなたは?」
「もうちょっと久しぶりの学院を味わうわ」
「何よそれ。でも、そう……疲れてるようだからほどほどにしなさいよ。早く帰って寝ときなさい」
「……疲れてるのわかる?」
「ええ、言ったでしょう。私みたいにぶさいくな顔してるって」
そう言い残し、グレースは自分の目の下にある隈を指差してから去っていく。
フロリアの目の下にも隈が出来ているという意味だろう。
「……だからぶさいくじゃないって」
去っていくその背中に小さく呟き、フロリアはまた学院内の散策に戻った。
今度は少し慎重に周りを確認しながら歩いている。
「二人きりになるのだけは避けないとね……」
フロリアは今日からカエシウス家の継承式までの二か月間の生活を想像して辟易する。
マーマシー家と交流のある北部の貴族はすでに学院から離れた家ばかり。普段学院で付き合いのある友人に北部の貴族がいないのだけは今のフロリアにとって救いだった。
フロリアはその足で今度は図書館を覗く。利用率は元から大した事は無いが、今は実技の時間だけあって特に静かだった。
顔だけ覗く何とも不審な人物となっているフロリアだが、本の貸し出しを管理しているカウンターには誰もいない。
本来は司書であり、ヴァンと同じく一学年の担当をする教師がいるのだが、人が来ない時間だからか不在のようだ。
「あ……」
そしてフロリアは見つける。
「本当にすぐ置く場所が変わるな……図書館ってこういうものなのか……?」
それは、他に誰かいれば誰もが一度置いてきたほうがいいとアドバイスするであろう量の本を抱えて本棚を眺めているアルムの姿だった。