135.静かな朝
「静かだな……」
共有スペースの机を拭きながらアルムはぼやく。ここ最近のアルムの日課……というよりも役割の一つだった。
アルムが起きたのは朝早くというわけでもない時間だ。しかし、この時期は町の動きも緩慢でいつものような忙しなさは無く、共有スペースにも誰も起きてこない。
それもそのはず。今は貴族にとって年に二度ある学院の帰郷期間だった。ベラルタの住民がサポートすべき貴族達のほとんどは今ベラルタにいない。
一月ある帰郷期間は今年入った新入生にとってはようやく一息つける時期ではあるが、貴族が故郷に帰って待っているのは領地での仕事の話である場合が多い。領地での農作物の収穫や供給、税金の話、領地内の視察、国からの情報の把握など。
当然、学院に入る前から領地での仕事に触れていた者にとっては大した変化ではないのだが、学院に入るまで領地に関してを領主任せにしていた者にとっては少し大変な時期でもある。
その為、第二寮どころか第一寮に残っている貴族もほとんどいない。
アルムは平民なのでそんな仕事は無縁だ。カレッラへの帰郷を考えはしたが、結局ベラルタに残る事にした。
「まぁ、いいよな」
ベラルタに来てから事件に巻き込まれることこそ多いが、ここでの生活にアルムはようやく慣れてきた。
今日見た夢のように故郷を思い出す事こそあれど、以前のように差異を見つけて故郷に思いを馳せるような事も無くなってきている。
ここでの生活を悪くないと思えている証拠かもしれない、とアルムの顔が少し綻ぶ。
「おあよ……」
そんなアルムが掃除をする共有スペースに一人の女子生徒が下りてきた。
ベラルタに残った数少ない生徒の一人であり、アルムの友人であるエルミラだ。
アルムと違って私服であり、黒いオフショルダーにズボン、首には細いチョーカーを巻いたカジュアルな格好をしていた。
眠そうにしながらも、しっかりと外見には気を遣っている所がエルミラの真面目さを感じさせる。
ロードピス家は領地を持っていない貴族であり、エルミラも父親のやっている仕事を継ぐ気も無く、帰る意味が無いとベラルタに残っていた。
アルムが残ると決めたのは、先日五人でこの話題になった時にエルミラがあっさりと帰らないと言った影響も少しある。
「おはようエルミラ」
「んー……」
開ききっていない瞼を軽くこすりながらエルミラは共有スペースの椅子に座る。
第二寮には今アルムとエルミラ、そして寮長のトルニアしかいないせいか、最近のエルミラは気を抜いたような状態で朝ここに下りてくる事が多い。
二人は帰郷期間中もここに住まわせてもらう代わりに共有スペースと廊下の掃除を任されているが、自分の当番でない日はいつもこんな感じでアルムも最初は驚いたが、もう慣れた光景である。
「そんなに肩出した服着てたら風邪ひくぞ」
「なによう……あんたは私のママかってのお……」
「いや、友達だ」
「そんなんわかってるわよ! あー……アルムと話してると目が覚めるわ……」
「初めて言われたな……うん」
何故か得意気な表情を浮かべたアルムを見てエルミラが念を押す。
「言っておくけど、褒めてないからね」
「え」
「ぷふっ……!」
今度は心底驚いたような表情に変わったアルム。
そんなアルムを見てエルミラはつい噴き出してしまうのだった。
「あら、二人ともおはよう!」
そんな二人に声を掛けるのは第二寮にいる最後の一人、寮長のトルニアだった。キッチンのほうから出てきたトルニアはごみを集めていたのか、ごみの入った袋を持っていた。
ここのキッチンは出入り自由で、見た目は食堂のようで食べるスペースもあり、自分で食事を作って食べたりすることもできるが、料理を好む貴族は稀だ。大体は外ですませるか、買ってきたものを食べるのが基本となる。
運が良ければトルニアの作ったご飯にありつけたりもするが、基本食事の用意は管理人の仕事に含まれていないのでそれをあてにするとひもじい思いをしたりする。
「おはようございます」
「おはようトルニアさんー」
「あらー駄目よエルミラちゃんそんな格好して……流行りなのはわかるけど体冷やしちゃうわ」
「はーい」
扉のほうに向かいながらエルミラの姿を見てトルニアが一言、母親のような言葉を残して外に出ていく。
同じような言葉をかけたにも関わらず露骨な反応の違いに少し納得いかない表情を一瞬浮かべるアルム。
しかし、それよりも好奇心が勝るのがこの少年だ。
「そういう服が流行りなのか?」
「え」
今度はエルミラが驚いたようにアルムのほうに振り向いた。
驚くのも当然。エルミラにとってアルムはここに来てから行動を共にする友人だが、今日までの付き合いで世間の流行を気にするような性格にはとても思えなかったからだ。
「き、気になるの?」
「ああ、何故肩を出すのが流行るのかと……何か服が落ちてしまいそうで危なくないか?」
流行を追うような気配を微塵も見せないアルムにエルミラは少しほっとする。
何故か、流行を追うアルムの姿は見たくないと思ってしまったのだ。
「肩出すっていうか……首元を強調するのが今年の夏は流行ってるのよ。アルム、第二寮の女子の首元見て気付いたりしなかった?」
「いや、そもそも首元を見たりはしないな……」
そもそも女性への興味が薄いアルムが首にフェチズムを感じることは無い。
「アルムだからそりゃそうか」
特に驚く事も無く、予想通りと言わんばかりのエルミラ。
アルムだから、という部分についてはまたの機会にするとして。アルムは大人しくエルミラの話に耳を傾ける。
「まぁ、首飾りが流行ってるのよ。ほら、私のチョーカー可愛いでしょ?」
「んん……うん……ううん……?」
エルミラは自分の首に巻かれ、胸元で蝶々結びされているリボンチョーカーを指差して聞くも、アルムには首元に黒い紐が巻かれているだけにしか見えない。
こういったものを意識するのが初めてのアルムにはチョーカーをお洒落に見える目が存在していないのである。
「ま、わかんないわよね」
何とも煮え切らない声を発するアルムも予想通りなようでエルミラは感想を言わずとも特に気にしていなかった。
元から期待などしていないといった様子だ。
「すまん……」
「別にいいわよ。ま、とにかくネックレスとかチョーカーなんかは当たり前だし、思い切った子だとタトゥーしてる子なんかもいるわよ」
「流行りでタトゥーか……都会は変わってるな」
「流石に私はタトゥーとかしないけどね。何か怖いし。というか、私らからしたらあんたが一番変わってるのよ」
「それはそうか」
「というか、あんただって首飾りしてるじゃない。この前褒美で貰ったやつ」
そう言ってエルミラはアルムの首元を指差す。
指差したのはアルムの首元にある魔石の付いた首飾り。魔石がある以外はシンプルなもので今はシャツに隠れているが、魔石が付いている時点で高級品と言えるだろう。
先日の大百足退治の後に国から賜った褒美の一つであり、家名が無く、他と違ってメリットが少ないアルムに対して贈られたものの一つだった。
アルムは喜んだものの、その喜びがまさか本を読むための明かりに使えると思ったからだとは送った王都の人間達も思うまい。もう一つ送られたのも魔石のあしらわれた指輪だったが、そちらに至ってはアルムは使用用途がわからずにしまったままである。
首飾りを貰ってからもアルムは自分を着飾ろうなどとは決して思わず、ただ魔石の魔力に反応するという特性を利用して毎夜本を読む為だけに使っていた。宝の持ち腐れとはまさにこの事である。
「いいだろう。毎日蝋燭要らずだ」
「あ、そう……よかったじゃない……」
自慢げなアルムに対して呆れたような視線を送るエルミラ。哀れなのはアルムではなく、むしろこの首飾りを褒美にした国の方である。
確かに魔力の多いアルムなら毎夜蝋燭以上の光量となるだろうが、そもそも首飾りに付いている魔石をそんな用途で使おうなどとは誰も思わない。
例え魔石がついていても首飾りは首飾り。本来着飾るのが役目なのだが、アルムの下でその役目を遂行できるのはいつになるやら。
「……」
「……」
首飾りについての話が終わると、二人は互いに無言となった。
アルムは残っている机を拭き続け、エルミラはぼーっと外に見えるトルニアの世話している庭を見ている。
帰郷の時期になって一緒に過ごす事の多くなったアルムとエルミラの間にたまにできる無言の時間。
そんなゆっくりとした時間も二人にとっては居心地のよいものだった。
「……みんないつ帰ってくるんだろうな」
「さあ? 期間は一か月あるわけだしねぇ……どんだけ遅くても夏が終わる頃には……」
掃除しているアルムを見てふとエルミラが暇潰しを思いつく。
「ね、アルム。賭けない?」
「……何を?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ベラルタでの日常を書くのは久々ですね。