134.故郷の夢
「魔法使いにとって感情は力だ」
フードを被り、長く立派な杖を持った女性が木に寄りかかっていた。
白く輝いている花園の中心に座るまだ子供の少年に向かってその女性は語る。
花園に座る少年はまだ成長していない体格故に背も低く、座っているその姿は見ようによっては少女のようだ。
「生命に宿る魔力はその生命の意思によって流動する。いくら魔力を多く持っていたところで魔力を動かさなければ何も起こらないのはわかるね?」
「"充填"しないと魔法は使えないってことだね」
「そういう事だ。よく学んでいるねアルム。魔力を動かし、使う事……それが魔法の最初の工程"充填"だ。昨今の魔法使いにはこれを軽視する者もいるが、私の考えは少し違う」
「昨今……」
「どうしたね?」
アルムと呼ばれた少年は女性をじっと見つめる。
妙な部分を確認するように呟いて引っ掛かっている自分の弟子に女性は尋ねた。
「つまり、師匠は昨今の魔法使いでは無く、古い魔法使いということに?」
「んぐ……!」
純粋な表情で尋ね返す少年に、女性は触れるべきでは無かったと激しく後悔していた。
カレッラで見つけたこの少年はたまにそういうところがある。
「確かにここに来る前に色んな国を回ったと師匠は言ってた……よく考えれば長く生きてなきゃそんな事できないもんな」
「うぐ……! ふぐ……!」
悪気の無い尊敬の眼差しのままアルムは師匠と呼ぶ女性に向かって言葉の刃を飛ばす。
その一つ一つが魔法のように、女性の心に突き刺さっていった。
「か……勘違いしてはいけないよ。決して、ふ、老けているわけじゃないからな? シスターちゃんよりはそりゃ年上だけど大して変わらないし……それにここに来る前にいた海の向こうの国では綺麗なお姉さんと近所の子からもっぱらの評判でだね……いや、まぁ、君に話してどうこうというわけではないんだが……シスターちゃんにここら辺の話題は女性にとってデリケートだから教えておくように話しておくべきかもしれないね……」
「師匠?」
「いや、まぁ、いい。君にそういう所があるというのはここ数年で知っている」
しばらくぶつぶつと言って、師匠は話を元に戻す。
「感情は力と言ったが、正しくは魔力を動かす力だ」
「動かす力?」
「そうだ。生命に宿った魔力は意思によって流動する……そしてその速度は決して一定ではない。その生命がその時抱えている感情によって湧き出す魔力量や駆け巡る魔力の速度は変わるんだ。
勘違いしてはいけないのは、あくまで湧き上がる量や速度が変わるだけで、自分の魔力以上の魔力を絞り出せたりはできないって事かな。百ある魔力は百のままで、一度に消費する量が変わるってことだ」
「……感情の高まりで魔法の構築速度を速くできる?」
「半分正解」
半分と言われて悔しそうにアルムは肩を落とす。
「半分でも出来損ないにしては上出来だが……君にとって一番気付かなければいけないとこを答えてない時点で半分でも意味はないね」
「すいません……」
「気を落とすな。常識的な魔法の知識はしっかり取り入れているという証拠ではある。
そして今間違えた事に謝る必要は無い。今間違えたからといって何か悪い事が起きるわけではない。何も悪い事が起きないのなら間違いはただ成功を知るきっかけを手に入れたというだけの話だ」
厳しい言葉と慰める言葉どちらも聞き入れ、アルムは頬をぺちぺち叩いて師匠の話を聞く態勢に戻る。
「感情ならなんでもいいというわけではない。恐怖は逆に魔力を停滞させたりするが……まぁ、これについては後で話そう。
プラスに働きやすくてわかりやすいのは怒りだね。ただ何事にも怒っていてはただ短気なだけだ。それに常にその状態という事はそれが平常時という事で高まっているわけではない。わかるかい?」
「わかりません!」
「素直でよろしい」
首を傾げるアルム。
師匠はそれを見て小さく笑った。
「怒るべき時に正しく怒れるような人間になりたまえ。
例えば誰かが傷つけられている時、何かを奪われそうな時、自分の誇りを踏みにじられた時なんかも人によっては怒りの引き金かもしれないね。君だったら……そうだね、自分の夢に唾を吐きかけられた時が一番怒るかもしれない」
「師匠が馬鹿にされたりしても怒るぞ」
「ふふ、ありがとう。何が言いたいというとね、私達はそういう怒っていい時にはしっかり怒っていいという事だ。人間として生きていく以上、理不尽な出来事や声を受け入れなければいけない時は当然ある。だが同時に、人間にはその理不尽に怒る資格もある」
「……難しいな」
「……難しいね」
その声は返答だったのか、何かを想っての呟きだったのか。師匠も少し俯いた。
しかし、すぐに顔を上げる。
「だが、君にもそういう時が必ず来る。沸き上がった感情に決して混乱する必要は無い。受け入れたまえ、理不尽に怒れる自分を。受け入れたまえ感情と共に湧き出す魔力を。怒りを抱えて戦う時……その怒りが君にとって正しいものであればきっと、君の中にある魔力は応えてくれる。
魔法使いとは、自分の思いを力にできる存在だという事を決して忘れることのないように。いいね?」
「はい!」
優しい声色で語る師匠の言葉にアルムは返事をする。
教えるのはその時が来た時の心構え。その時何をどうすればいいか、魔力をどうするか、魔法をどうするか、そういった具体的な事は師匠と呼ばれた女性は教えなかった。
「そういえば師匠は何でこっちに来ないんだ?」
ふと、いつもの光景に違和感を持ったアルムが尋ねる。
アルムは花園の中心に、師匠は花園近くの木のところに。この場所は静かで、声を張り上げなくても互いの声は届くものの、人が話す距離としては少し遠かった。
「……私はそこには入ってはいけないんだよ。危ないからね」
「危ない? 綺麗だよ?」
アルムがそう言って立ち上がり、一回回って見せると。
「そうだね、綺麗だ。とても……綺麗だね」
悲しそうに、そう言って笑った。
「んあ……」
そこでアルムは覚醒する。
見ていた夢は懐かしい過去の記憶。
故郷で師匠から魔法を教わっていた頃のものだった。
「俺って……あんな小さかったっけ……ん、んん……!」
夢の中の自分は確か十二歳くらいの時だっただろうか。幼少の頃の自分の姿に少し驚きながら眠っていた自分を起こすように体を伸ばす。その体は変わらず現実の十六歳の自分だった。
ここは第二寮に与えられたアルムの自室。第二寮にある部屋の中では広くないが、あまり物を持っていないアルムにとっては十分すぎる大きさの部屋である。
アルムは自分の部屋を見回すと、眠っていたにも関わらずベッドは右横にあった。
「また机で寝てしまった……」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、机に広げた本に涎が垂れてないかを確認する。
とりあえずはセーフとほっとしながらアルムは本を閉じた。
最近アルムのものとなった首元にある魔石にも傷がついていないか確認する。
アルムは何とも似合わないネックレスのような首飾りを付けており、そこについている丸い魔石は魔力に反応して光を発する高級品だ。
もう一つアルムには似合おうはずもない高級品を貰っているのだが、そちらは貰った箱に入れたままである。
そして、机の上で寝ていた理由は明白。
魔石を手に入れたのが嬉しく、さらに言えば魔力に反応して光るというありがたすぎる性質をアルムは存分に利用し、アルムの読書が捗った為である。
「これが便利なせいだ……うん……」
ネックレスの先に装飾されている魔石を指で転がしながら机の上で眠った自身の怠慢を魔石に責任転嫁する。
お前が光って夜に本を読むのに便利なのが悪い、と苦しすぎる言い訳に自分でも納得しなかったようでアルム自身も釈然としていない顔を浮かべた。
アルムは立ち上がると、前日の内に入れ物に張っていた水で顔を洗い、歯を磨く。
「入っちゃいけないって……結局どういう意味だったんだろう……」
夢での疑問を反芻するように思い出すも、この場にいない師匠の事を考えても答えなど出るはずはない。
覗き甲斐のない、制服が数着入っただけのクローゼットを開けていつものように制服を手に取った。
故郷を出てからすでに三か月以上経った。この魔法学院の制服も、もう着慣れたといってもいい。上着だけ戻して上はシャツだけ、ズボンを履いてベルトを締める。
すでに朝日は昇っている。今日もまたベラルタでの一日が始まった。
更新は火曜日からと言ったな。あれは嘘だ……思ったよりいけた……