プロローグ -初雪の記憶-
私は虚構のお話が嫌いではない。
きっかけはお母様が読んでくれた絵本にもなっているこの地の伝承。
大昔、カエシウスの領地がまだマナリルではない別の国だった頃に出来た、お姫様を助ける魔法使いの話。
夜が寒くなってくるとどうしても一人では寂しくて、お母様にせがんで読んでもらったのを今でも覚えている。
寝る前に温かいミルクティーを淹れてもらって、飲んだ後はお母様と一緒に歯を磨いて。同じベッドに入って、枕元に置いておいた本を渡して目を輝かせるのだ。
悪者に攫われかけるお姫様の下に颯爽と駆け付ける氷を操る魔法使い。
悪者の繰り出す魔法を物ともせずにお姫様を助けんと立ち向かう魔法使い……今ではそんな話は各地にありふれていると知っているけれど、お母様の優しい声で語られるその話を私は夢中で聞いていた。
けれど、その優しい声も絵本を読み終わるまで。
お母様は決まって最後に険しい声で、
「ミスティ。あなたはお姫様に憧れてはいけませんよ。あなたは何かに負けてはいけません。あなたは絵本のような悪者を自分で倒せる人間でなくてはいけないんですからね」
と、私に告げてから絵本を閉じるのだ。まるで絵本の世界から現実へとしっかり引き戻すように。
最初は悲しくて、とても悲しくて泣いてしまったけれど、すぐにそれがお母様の優しさなのだと気が付いた。
私は決して守られる側の人間でいてはならない。
カエシウス家はこの国マナリルの貴族の頂点。
きっとお母様は私はお姫様ではなく、お姫様を助ける魔法使いになるべき力を持つ人間なのだと私に自覚させたかったのだろう。
お母様の言葉を冷たいと言う方もいるかもしれない。
けれど私には、自分が何者であるかを幼少の頃から示してくれた大切な思い出でもある。
ああ、でも――ごめんなさい。
お母様にはずっと黙っていたけれど、何度か探してしまった事があるのです。
お母様が病に臥せてしまった年の――私が血統魔法を使えるようになった十歳の夜。
私は夢の中で見てしまったのです。氷と雪の上に立つ一人の女性を。
周りには雪と氷以外に何も無い場所で、誰にも触れてもらえないような場所を歩き続けている後ろ姿を、ただただ私は後ろから見させられている悲しい夢。
あまりに冷たくて、冷たくて……寒くて。私はベッドから跳ね起きた。
初雪の降った寒い夜。寒かったはずなのに、私は汗をいっぱいかいていた。
一緒に寝てくれる人はその時にはもういなくて、部屋には勿論私一人だけだった。
起きてすぐに書庫に向かったのを覚えている。その日幼い私はわかってしまったのだ。魔法使いになるとはその日見た夢のように、誰かに手を差し伸べてもらえると思ってはいけない場所を歩き続ける事だと。
幼い私にはそれが耐えきれなくて、不安に押しつぶされそうになりながら必死に書庫を駆け回った。
魔法を使わなければ自分がお姫様になれると思っていたのか、いつもは魔法を使って動かしていた踏み台を小さい体で必死に運んで、普段でも届かない高いところにある棚に思い切り手を伸ばした。
見つからないわけじゃなくて、届くところに無いだけなのだと思い込みたかったのかもしれない。
お姫様を助ける魔法使いの話があるのなら、魔法使いを助ける誰かの話もあるはずだと、幼い私は信じて届かない本棚に手を伸ばしていた。
こらえきれていない嗚咽を漏らして、恐怖でかちかちと歯を鳴らしながら、必死に……必死に探していたのを覚えている。
ずっと付き纏う重圧に怯えて、ありもしない希望に縋る様はきっと誰かに見られたら笑われてしまうだろう。
今ではそんな不安にも慣れてしまったけれど、あの日の事はこうして今でも鮮明に思い出せるくらいに覚えている。
何故お話が見つからないのかなんて幼い私にさえわかっていた。
魔法使いは誰かを助ける側で、決して誰かに助けられるお姫様などではないのだから。
……でも、そんなのは当たり前。
だから私はその夜を最後に……ありもしない虚構を探すのをやめたのだ。
全ての虚構を見てしまったその時に、私の望んだお話なんかどこにも無いのだとわかってしまうのが怖くて仕方なかったから。
私の名前はミスティ・トランス・カエシウス。
マナリルの北部を統べる貴族の次女。
あの日からずっと……私は初雪が少し苦手なままでいる。
少し短いですがプロローグです。
ここから第三部『初雪のフォークロア』となります。
よろしくお願いします。