エピローグ -二人の平民-
鳥の囀りが聞こえる。
気持ちの良い晴天と遠くからうっすらと漂ってくる葡萄の香り。
遠くには淡く輝く湖が見えた。
丘から見える景色は瓦礫ばかりで人の住めるような町には見えない。けれど、瓦礫の山のあちこちで天幕のような簡易住居が建っていた。
朝早くから道でも無い場所を人々は行き交い、瓦礫の山を少しづつどけていったり、瓦礫の山から無事な道具を運び出したりしていた。
「ああ……鳥さんここは駄目です……!」
そんな瓦礫の山を一望できる高い丘。そこに立つ比較的大きめのお屋敷。
その庭の一角に立つ細長い石とその前に供えられたワインの瓶の近くに二羽の鳥がとまった。
少女が手の平で扇ぐように手をぱたぱたさせると、小さな羽の音をさせて二羽の鳥が飛び立った。
「おい、何やってる」
そんな少女の背中に声を掛けたのはラーディスだった。
白い髪に白く細長い布を巻いて、丈の長い黒いドレスに白いエプロンと使用人の服装をした少女はその声に反応して振り返る。
「あ、坊ちゃん!」
「君からそう言われるのは慣れないな」
苦い顔をしながらラーディスは気恥しそうに頭をかく。
現在ラーディスは領地であるミレルの復興作業の為、学院への復帰を遅らせていた。
そして今回国からの取引を受諾したシラツユの受け入れ先の貴族として領主である父共々色々と動いている。
シラツユを受け入れる際に監視費用としてまとまった金額が国からも与えられるものの、町の復興費用に比べたら微々たるもので領主であるダムンスは寄付金を出してくれる貴族達の下に飛び回っている。
現地の指揮はラーディスに任されており、居住区を走り回って少し痩せていた。
「庭を貸して欲しいって……墓か」
「はい……」
シラツユは黙って目を瞑りながら手を合わせる。
ラーディスもそれに習って手を合わせた。
「ありがとうございます、こんな立派な庭のスペースを頂いてしまって」
「ふん、使用人のこの程度の希望くらい叶えてやるさ。だが、その分頑張っては貰うからな」
「頑張ります!」
もちろんシラツユに使用人の仕事経験などない。
だが、やる気だけはその声から伝わってきた。
「……意図せずとはいえ、叶ったな」
「はい?」
「湖畔で話してただろう。使用人になりたいと」
「そうですね……あの時は冗談でしたけど、まさか本当に使用人になるとは流石に思っていませんでした」
まだガザスの研究員だと思われていた時にした何気ない会話をラーディスは覚えていた。
特別なりたいわけでもなく。ただ思い付きで言ってみただけの言葉がまさか現実になるとはシラツユも思っていなかった。
というよりも……本当は自分が今を生きていられるとも思っていなかったのだ。
あの時、とっくに諦めていた自分の命を守ってくれた人達がいた事にシラツユは改めて感謝する。
「だが、基本的には君は罪人だという事は忘れるなよ? 怪しい行動は慎むようにしろ!」
「はい、坊ちゃん」
「昨日と同じで午後は居住区に行って住民を手伝うからな。家の仕事だけ覚えればいいと思うなよ」
「はい……ところで坊ちゃんはここに何を? 祈りに来てくれたんですか?」
「ああ、違う。いや、違うというのもおかしな話だが……昼飯が出来たから呼びに来たんだ。この家のメイド長はご飯はしっかり食べろとうるさいぞ。メイド長の癖してキッチンメイドかってくらいの頻度で飯を作るからな」
「……メイド長さんに言われて呼びに来たんですか?」
「そうだが? 何だ、文句あるのか?」
当たり前のように言うラーディスを見てシラツユは、貴族なのにメイドさんに……、とは口にしない事にした。
マナリルには色々な貴族がいるんだなと自分を納得させる。
「飯を残すやつと飯の時間に食おうとしない奴に滅茶苦茶言ってくるぞ。父上にすらその時だけは強気なくらいだ。急げ急げ」
「あ、はい!」
「あぁ、そうだ。屋根の修理してるやつに声を掛けてこい。朝からずっとやってるからな。さぞかし腹が減ってることだろう」
「はい!」
ラーディスに言われてシラツユは走り出す。
「シラツユ」
「はい?」
そんなシラツユの背中をラーディスは呼び止めた。
スカートを翻すシラツユにラーディスは躊躇いがちに、
「家名を捨ててよかったのですか? 後悔は?」
そう尋ねた。
突然口調を変えて質問するラーディスにシラツユは目を丸くする。
いや、あの時に戻ったといったほうがこの場合は正しいのだろうか。
「……はい、常世ノ国のシラツユ・コクナはあの日死んだのです。天に上った白い龍と一緒に」
ラーディスに向き合って、シラツユは頭を下げる。
微塵も後悔の無いその表情は湖畔で話した時よりもずっと清々しくて。
「……そうですか」
それは一人の魔法使いが本当の意味でいなくなった瞬間。
もう一つだけ、ラーディスはシラツユに質問をする。
「どうですか! ミレルは!?」
「まだわかりません! でもきっと、また好きになると思います!」
生まれ故郷に誇りを持つ貴族から生まれ故郷と決別した貴族への最後の質問。
質問した側も答えた側も、どちらも満足そうに笑顔を浮かべる。
「ほら、早く呼んで来い!」
「はい!」
それを最後に、シラツユは再び駆けだした。
玄関を開け、階段を上り、廊下を走る。
「こらシラツユさん!」
「ごめんなさい!」
走った事を怒られて早歩きに変えながら屋根裏部屋への階段を上る。
屋根裏部屋は屋根が壊れているせいで、日差しが直接差し込んでいた。
屋根裏部屋にある物置と居住スペースが半々となった部屋を横断してシラツユは窓を開ける。
そこはミレルを一望できるこの丘でも最も高い場所。
ミレル湖はあんなことがあっても変わらずに淡い輝きを見せていて少し眩しい。
「ほら、いつまでやってるんですか! お昼ごはんですよ!」
屋根の上にいた男性にシラツユは声を掛ける。
大百足には壊されていなかったものの、アルムの魔法の反動によってトラペル邸の屋根は中々に悲惨なことになっており、それを一人の男性が修理していた。
体格はルクスと同じくらいで、その白い髪と執事服はあっているものの、屋根の上に座るその体勢は少し乱暴で執事らしさを全く感じさせない若い男性だった。
「おう、シラツユか! ちょっと待てい。ここだけもうちょい……」
「駄目ですよ! 坊ちゃんが待ってるんですから!」
修理の手を止めようとしない男の腕をシラツユはぐいぐい引っ張る。
「いや、だが……」
「ああ、そうですか……坊ちゃんよりも屋根ですかそうですか。これは坊ちゃんに報告しなければいけませんね」
「ずるいぞ! 儂はただ……」
「ただもこうもありません。遅れたら私まで坊ちゃんとメイド長さんに怒られてしまいます」
「何でメイド長さんが怒るんじゃ?」
「知らないんですか? この家のメイド長さんは普段は優しいお方ですが、ご飯を残したり食べる時間に来なかった人に対してはその姿は一変して容赦なく怒り狂い、それはそれは恐ろしいお仕置きをする方だと……」
「あの人そんな妖怪みたいな語り口調で語られるお方なのか!?」
今さっき聞いた情報を思い切り脚色してシラツユは男に伝える。
実際には食べない奴にうるさいとしか聞いていないのだが。
「じゃがそれはいかんな。恩人の家の方々を怒らせるなど!」
「そうそう、それでいいんです。ほら、行きますよ!」
使用人の少女は立ち上がる男の手をとって呼ぶ。
「兄さん!」
――とある国の少女の話はこれでおしまい。
少女がたまたま出会った魔法使いに助けられた。そんな……この国ではありふれた一つのお話。
貴族でも無ければ魔法使いでもなくなったそんな少女は新たな地で生きていく。
そこは起伏の激しい丘陵地帯。日に照らされた丘一面の葡萄畑の風景が人々を迎える町。
赤色に塗られた屋根とレンガ作りの家屋は瓦礫へ代わり、かつての景観は見る影も無く。
それでも、この地に住む人々は瓦礫を運びながらここで暮らす。
変わらずに淡く輝く湖はかつてこの地を開拓した時と同じ、活気ある町への道標。
この地に住む人々だけは町の未来を知っている。この町が再び行く先は人々の集まる美しい観光地。瓦礫だらけの惨状など、開拓前に比べれば屁でも無いと誰かが笑った。
その不屈の町の名はミレル。ミレル湖を有する美しい景色とワインの町。
暇潰しにと飛び交う噂はもっぱら、領主の家に新しく入った二人の平民の話だそうな。
第二部『二人の平民』完結となります。
お話の着想は言うまでもありませんが、滋賀県の百足退治伝説ですね。興味を持たれた方は一度調べてみてはどうでしょう。
応援してくださった方々や誤字報告をしてくださった方々、そしてここまで読んでくれた方々のおかげで第二部も書ききる事ができました。ありがとうございます。
第二部完結という事で、まだ下にある☆マークを押されてない方はこれを機にこの作品を応援して頂けると嬉しいです。是非よろしくお願いします。
この作品だけでなく、これいいなぁ、と思った作品の方を応援するとその作者さんのモチベーションに変わると思いますので、お気に入りの作品にはしてみてあげてください。
感想や質問にも出来る限り答えていきますので、お時間ある方は是非!
第二部は終わりましたが、作品としてのお話は勿論終わっておりません。
第三部、そして白の平民魔法使いをこれからもよろしくお願い致します。