131.後日談
ミレルの町に増援が駆け付けたのはそれから四日後だった。
ヴァンの伝令が正しく伝わっていなかったのか増援の魔法使いの数は十人にも満たず、アルム達の奮闘が無ければマナリルは【原初の巨神】の時のように脅威に晒されたであろう。
増援に来た魔法使い達には実質責任者であるヴァンの口から説明され、やがてマナリル中がこの事件を知ることとなる。
事件から二週間後に出た新聞の見出しは"ミレルの湖から自立した魔法現る"。
常世ノ国で行われた魔法実験の事を世間に知らせて混乱させるわけにもいかず、ミレルの湖に眠っていた自立した魔法が暴れまわったという事件としてマナリルに広まった。
ミレルの住人は襲われた当事者であるものの、あの大百足が一体何なのか詳細がわかっているものはラーディス以外にはおらず、世間の平民や魔法使いも自然と受け入れることとなる。
王都から派遣された魔法使いにもヴァンは混乱させないようにいくつか情報を誤魔化していて、ミレルで起きたこの事件は最終的に自立した魔法をヴァン・アルベールとベラルタ魔法学院の生徒が破壊したというマナリルの優秀な魔法使い事情を他国に知らしめる結果となって終結した。
あの大百足が何なのか、常世ノ国で何が起きたのか、真実は当事者であるアルム達。そして王都にいる数人の魔法使いと上級貴族だけに共有される事となる。
「あー、めでたしめでたし」
ぱちぱちぱちと拍手の音がとある町の路地に小さく響く。
「ひっ……!」
一人の男がその拍手する人物から逃げるように行き止まりの建物の壁に張り付いた。
髭を蓄えているものの、頬はこけて目は窪んだ健康的とは言えない男性だ。
「随分長期戦になってしまったが……もう逃げる魔力は残っていないだろう? 執拗に追い回した甲斐があったものさ」
路地裏に差し込んだ月明かりが照らす目元の泣き黒子。
拍手の音は止み、静謐の夜闇にオウグス・ラヴァーギュが姿を見せる。
ここはマナリル北部のとある町。カエシウス家の配下の貴族によって治められている。
製粉場と比較的大きな聖堂くらいしか目立つものの無い小さな町だった。
雪国のイメージが強いこの地域もまだ温かい。
オウグスは追い詰めたその男に一歩ずつ近づいていく。
「"ヴァウロー・マルジェラ"。現トラペル領の領地をかつて治めていた貴族にして、転移魔法が使える事を国に隠して逃亡を図った犯罪者。最近まで大人しかったのが急に脱走したと王都に呼ばれて来てみれば……こんな面倒な事になるとはね。んふふふ。流石は転移魔法だ」
「はっ……! はっ……!」
追い詰められたヴァウローは出口は無いかときょろきょろと辺りを見回す。
建物の裏口を見つけるが、そこまで行くにはオウグスに向かって近づかなければいけない。
扉に鍵がかかっていないとも思えず、ヴァウローは躊躇する。
そして何より、目の前のオウグスから走って逃げられるとはどうしても思えなかった。
「息子の"ヴァレノ・マルジェラ"をけしかけて今回の騒動に協力したんだろう? 大方トラペル領は不当に奪われたとか領民が自分を追い詰めたとかある事ない事吹き込んだんじゃないのかい?
まぁ、それ以前からヴァレノ・マルジェラは王都の魔法使いにしては少し精神面に問題が見られていたが……経歴を見るにあそこまで思い切った事をする魔法使いでは無かったからねぇ。民への意識こそ希薄だったみたいだけど」
オウグスは勢いよく右手をヴァウローに差し出すように突きつける。
演劇めいたその動きにヴァウローは体をびくっと震わせた。
「どうだい? 息子を唆して牢獄に入れた気分は? どうだい? 自分の家を終わらせた貴族の気分というのは? んふふふふ! 僕に教えてくれたまえよ」
笑って首を揺らしながらオウグスはヴァウローにまた近付く。
数週間前に逃げ出した魔法使いを追い詰め、オウグスが油断して余裕を見せている状況に見えるが、これは釣りだった。
追い詰められたヴァウローがまだ有用と判断されているのなら、ヴァウローが手引きしていた魔法使いが助けに入るかもしれないと、オウグスはわざと時間をかけている。
オウグスもミレルで起きた事件の詳細は伝え聞いた。今回の事件に関わっていたとされる魔法使いはたったの数人。霊脈を奪い、国を滅ぼすという大それた計画だった割には不自然なほど少ない。
恐らくこれはお披露目だったのだろう。
常世ノ国を滅ぼした魔法達を受け入れた国があり、その魔法達が力を披露する為の一幕に過ぎなかった。
これからはその魔法達単独では無く、互いに利用し合いながらマナリルを攻撃し始めるだろう。
その国が一体どこなのかは今のところわからない。ならば最低限の情報しか持っていない可能性の高いヴァウローよりも、他国の魔法使いを釣ったほうが核心に迫れるとオウグスは考え、わざと自分を攻撃しやすい狭い路地裏に入り、背中をがら空きにする形でこの状況に割って入る第三者を待っていた。
「ああ、あとついでに……君と協力したのはどこの国だい? ダブラマ? カンパトーレ? 大穴でガザス? んー、ガザスは無いか、一応マナリルと友好を結んでるから逃げ込むには不安だもんねぇ?」
「はっ……! はっ……!」
一応、目の前のヴァウローに質問するも、当然ヴァウローからは何も返ってこない。ただ首をぶんぶんと振るだけだ。
途中まで大百足に協力していた魔法使いが大百足を裏切り、常世ノ国の"呪法"でどうなったかの報告もオウグスは聞いていた。
恐らくヴァウローにもその"呪法"がかけられている。
「自白したら死ぬから自白させないって形が厄介だなぁ。取引もできやしない。常世ノ国もやるねえ……全く知らない国だけどさ」
オウグスはけらけらと笑うもその目は笑っていない。
瞳にはただただ敵国への怒りが浮かんでいる。
「『黒の穿孔』!」
その隙を突くように、ヴァウローは魔法を唱えた。
今日までオウグスから逃げる為に幾度となく唱えた転移魔法。
多量の魔力を消費する為にもうヴァウローには一回しか唱えられる魔力が無い。
唱えられないほど魔力を消耗した風を装ってこの路地裏で追い詰められた振りをしていたのは今度こそオウグスから逃げ切る為の策だった。
背中の壁に人間大の黒い穴が現れる。
沼に沈むように、ヴァウローの体はその黒い穴へと飲み込まれていった。
勝ちを確信したヴァウローに初めて笑みが浮かぶ。
「"放出領域固定"」
だがその策は――路地裏に響く合唱によって無残にも潰される事となる。
「馬鹿め……!」
「【道化師の遊技場】」
笑い声混じりの複数の声。
路地裏に響いた唄は目の前の愚者を嘲るように。
声は響くもその場に目に見えた変化は訪れない。
だが……ヴァウローの体は黒い穴に飲み込まれる途中でぴたりと止まることとなる。
「あ……?」
「褒め言葉をありがとう。どうだい? ちゃんと馬鹿に見えていただろう?」
「な、なな、な?」
壁に埋め込まれたような状態にヴァウローから困惑の声が何度も漏れた。
右腕と左足はもう黒い穴の先にあり、背中もほとんどが黒い穴の向こうにある。あるというのに、向こう側へと体が行こうとしない。
「この……!」
中途半端に黒い穴から抜ける途中で止まったその体は向こう側に行こうと力を込めても、向こう側から体を引っ張り出そうとしてもびくとも動かない。
一体何が起こったのか。
ヴァウローは必死に体をよじるも自分で放出したはずの黒い穴から逃れることができない。
「んふふふ! 彫刻みたいだね?」
「ひっ……」
「だけどこのタイミングで誰も助けに入らず、自分の魔法を使うという事は……君はあんまり重要じゃないみたいだ」
残念そうに両手を上に向けてやれやれと嘆息すると、オウグスは歯をかちかち鳴らして怯えるヴァウローに近付く。
もうゆったりと歩く必要は無い。
それどころか今――この空間はオウグスのもの。
例え今からこの場に駆け付けたところで遅いのだ。
「びっくりしたかい? 楽しんでもらえたかい? 転移魔法に使うのは初めてだが……こんな感じになるんだねえ?」
「あ……ああ……!」
「"完全放出"すればまた面白いものが見れるんだが……ちょっと君には勿体ないね」
遥か昔、まだ魔法使いが貴族だけで無かった頃。宮廷道化師の家系にいた女性を祖にするラヴァーギュ家の血統魔法。
世界を改変するこの魔法は、見た目には何も変化を起こしていない。
さっきと同じで追い詰められたヴァウローと追い詰めたオウグスが路地裏にいるだけの光景だ。
だが、ヴァウローの転移の魔法は完全に機能しなくなっていた。
「な、なな、なに……なにが……!」
「さあ? 何が起きてるんだろうねぇ?」
恐怖でどもるヴァウローにオウグスは冷たく笑いかける。
そう、何をされているのかわからない。魔法に何かされているのか、それとも自分に何かされているのか。
これこそオウグスの血統魔法の情報が漏れぬ理由。
当事者ですら何をされているのかわからない異質な血統魔法。
例え彼から生き残ったとしても、情報は正確に伝わらない。
奇妙な事が起こった。ただそれだけの情報と、直接攻撃されたわけではないという事実だけが広まるばかりでただ実態の無い恐怖とオウグス・ラヴァーギュの名前だけが広まっていく。
「こ、殺さないで……殺さないでくれ……!」
ヴァウローの口から出たのは命乞いだった。
動けない体。目の前にいる得体の知れない恐ろしい魔法使い。
荒い息を吐きながら必死にヴァウローは懇願する。
「んふふふふ! 殺すわけないだろう、一応君は情報源さ。僕の任務は君の捕縛。殺すことじゃない」
「そ、そうか……」
「でもね?」
「あがっ! いづああ!」
オウグスの言葉にヴァウローはほっとするも、オウグスはすぐにヴァウローの髪を掴む。
出来るだけ荒く、動けぬ体を実感させるように。皮膚ごと引きちぎる勢いで首が曲げられるぎりぎりまで動かしながらオウグスは告げる。
「君が死んでも死ななくても情報は吐いてもらう。意味は分かるよねぇ? なあに、大したことは無いよ……今回生徒達とミレルの人々が受けた痛みに比べれば……本当に大したことは無い。なにせ……君が受けるのは君が死なない程度のたった一人分の痛みなんだから?」
「あ……あ……」
笑う表情。笑っていない目。
道化の笑顔はこれ以上ないほどヴァウローの目に恐怖として映る。ヴァウローは自分がこれから何をされるのかをその笑顔だけで悟った。
「……なぁ、知ってるかい? 僕は意外と祖国思いなんだぜ?」
王都に行ってたあの人も裏でちゃんと仕事してました。