130.大百足攻略戦14
『儂を殺すのは……決してそなたなどではない!! そなたのようなみすぼらしい者であっていいはずがない!!』
目の前に現れた現実を否定するように大百足の頭部はアルムへと突っ込んだ。
この餌の命さえ奪えば全てが元に戻る。
死んでいった龍神のようにただ食えばいいだけの話。
触角が焼けるような激流する魔力。
魔力だけで構成された見えるはずのない魔法式。
こんなものが現実であっていいはずが無い。泡沫の夢のように消え去るべき現実だ。
「怖気づいて退いてくれればいいものを……!」
アルムの目測ではギリギリ足りない。
魔法式は完成した。
しかし、時間のかかりすぎるこの魔法は放出までにすら数秒かかる。
それは巨大すぎるがゆえにかかる魔力が行き渡るまでの時間。普通の魔法なら有り得ないタイムラグ。
大百足が少しでも怯んでくれればそれだけでよかったが、大百足はアルム目掛けて突っ込んでくる。
それは決して計算によるものではなかったが、奇しくも大百足にとって最も確実でアルムの魔法を防げる最善手だった。
「やっぱギリギリまで……! 頼るしかないって事だな……!」
だが、その突進を見てなおアルムは屋根から離れようとしない。
そう――彼は決して一人ではない。
「"放出領域固定"」
作戦も大詰め。残った魔力を総動員して一つの魔法が唱えられる。
「【白姫降臨】!」
『しま――!』
ミスティの口から発せられた何度目かの合唱。
それはアルムへの祝福のように。
凍り付く大百足と瓦礫の町。
アルムのいる屋根に突っ込もうとした大百足の体がミスティの魔法によって突然動きが止まる。
凍りながらも意識のある大百足。
その視界では肩で呼吸し、瓦礫によっかかりながら笑うミスティがいた。
「確かあなた……これで数秒……動けなくなるんでしたわよね?」
『……!』
これを最後にミスティも魔力切れ。
ヴァンに問われた際に答えた回数は三回。
ミスティは宣言通り、その問いの後から三回の血統魔法を唱え切った。
「掴まれ!」
「ヴァン先……生……」
瓦礫によりかかるミスティを回収するヴァン。その左腕にはシラツユも抱えられていた。
ヴァンは残りの魔力を血統魔法の維持ではなく強化にまわし、動けなくなった二人を回収して大百足から離れていく。
ヴァンは知っている。アルムの魔法の威力を。規模を。
巻き添えを食らわぬようにヴァンは全速力で大百足から離れていった。
「これで……狙えるでしょう? アルム?」
ラーディスの部屋での作戦会議。
アルムは四本目の指を立てて魔法を使う際の最後の問題を皆に伝えた。
「四つ目。あの虫の核の場所がわからない。あいつは魔法だから核を破壊しないと再生する可能性が高い。それは避けなきゃいけない……それとあの長さと速度だ。核に当たらないようにかわされればそこで負ける」
「あ、核の場所ならボク多分わかるよ」
「え?」
四つ目の問題が一番難しいと最後にしたはずが、その時あっさりとベネッタは手を挙げた。
全員の注目の中、ベネッタは自分の目を指差す。
「ほら、ボクこれで大百足の事見てたから。見た時に命が二つあると思ったの」
「二つ?」
聞き返されてベネッタは頷く。
「うん、シラツユを見た時もシラツユと植え付けられた魔法で二つ。それで、大百足を見た時も丸いのと人型のが一つずつ。人型のは多分これシラツユのお兄さんじゃないかなー?」
「ほ、本当ですか!? 兄さまはまだ生きて――!?」
「わ、わ、わ」
シラツユは縋るように両手でベネッタの足を握った。
ベネッタはくすぐったそうに足をよじりながら逃げようとするも、すごい力で掴まれていて逃げられない。
「気持ちはわかるが落ち着いてくれシラツユ」
「あ、は、はい、ごめんなさい……」
アルムに言われてシラツユはベネッタの足から手を離す。
今の勢いはどこへやら。床に座り込んだままシラツユは頭を下げる。
「ベネッタ。核の場所は?」
「あの繋がってるやつあるでしょ? それの頭から八番目。それで人型のは頭にあったよ」
ベネッタからの情報でアルムは考え込む。
「……シラツユ、悪いが俺はあの虫を倒すほうを優先する」
「え……」
「意味がわかるな?」
そう、アルムは自分が使う魔法がどんなものかをわかっている。
アルムの魔法は都合よく核だけを破壊できるようにコントロールできるような魔法ではない。
その規模と現実への影響力でただ目前の相手を撃ち抜くしかできない単純な魔法。
大百足がどう動こうとも、頭だけを残して破壊できるような結末は訪れないだろう。
「恨んでくれていい。俺はお前の兄さんごと……あの虫を倒す」
嘘をつくことなどしない。
命を奪うという事に対してはどこまでも真剣に向き合うのがアルムという人間だった。
家族であるシラツユの憎悪を受け止める覚悟で、アルムはシラツユの兄の体ごと大百足を破壊する事をあらかじめ宣言する。
「そんなことあるはずがありません……元より助かるとは思ってここに来たわけじゃありません。
私が戦ったのもあの百足から兄を解放する為……いつまでも体を乗っ取られていいように非道な行いを強要される兄が哀れだったから……だから……どんな結果になっても、アルムさんを恨むようなことはありません。だって、私は最初からそれを望んでいたんですから」
「……わかった」
そんなはずはない。出来れば生きていてほしいと願っているはず。
でなければ……兄との思い出をあんなにも幸せそうに話すはずがない。宿で聞いた兄の話をするシラツユの温かい声がアルムの記憶に蘇る。
シラツユの精一杯の強がりをアルムは受け止め、頷いた。
「それでは、アルムが魔法の核を狙えるよう動きは私が止めます」
「……まぁ、それしかねえわな」
この場で大百足の動きを確実に止める事が出来ていたのはミスティのみ。
ヴァンの言う通り議論するまでも無くそれしかない。
「私が血統魔法で数秒だけ動きを止めます……そこをアルムは狙ってください」
「頼む」
「……私が動きを止めて、アルムが止めを刺すんですのよね」
「ん? ああ……そうだな」
わかりきった事をミスティは改めて口にする。
そして――
「でしたら……私も共犯ですわね」
ミスティは優しくアルムに向かって微笑んだ。
「ただ助けてくれただけだろう……!」
アルムは広げた指を握りしめる。血に濡れているはずのその手に感覚は無い。
ミスティの作り出した数秒が魔法の完成を確実なものにする。
空に広がる白い天の輪。
魔法式と円の中心が魔力で輝きを増していく。
巨大な花の砲口はついに――氷漬けになっている敵に向けられた。
「"放出用意"!」
後は自身の魔力が、魔法が、目の前の大百足を凌駕するかどうか。
ミレルで戦った者の信頼全てがアルムに託される。
アルムは知っている。
今に至るまでに戦った人達――無茶でありながら、この怪物が全てを台無しにする瀬戸際に歯向かった人達がいたからこそ、今こうして魔法を放つ条件が揃っている事に。
自分は決して大百足の言う英傑などではない。
貴族ですら無いただの平民。誰かに助けてもらえなければ夢を見る事すらできなかった半端者。
――けれど、大百足の言う英傑と同じところがただ一つだけある事だけは確信していた。
『ふざけおってぇええええ!!』
氷の世界が砕ける音。
氷漬けとなっていた大百足がその身を自力で解放する。
たった数秒。
だが、その数秒でアルムと大百足の立場は逆転する。
一対一なら完成することすら無かったであろう魔法式。
嵐のように猛る魔力と輝く光の渦を大百足は目の当たりにする。
そう……かわすにはもう遅い――!
『ま……さか……』
凍結を解除し、改めて魔法式を目の当たりにした大百足の頭にありえるはずのない一つの推測が浮かぶ。
一月ほど前……自身がダブラマをけしかけて動かしたスクリル・ウートルザの血統魔法【原初の巨神】。
オウグス・ラヴァーギュとヴァン・アルベールが核を破壊して解決したと言われる事件。
この世界で最も有名であろう魔法の一つはあまりに呆気ない結末を迎えたはずだった。
『そなた……か……?』
目の前に展開された巨大な魔法式が初めてその結末を疑わせる。
【原初の巨神】を直接けしかけたダブラマでさえ【原初の巨神】は核を破壊されて自壊したのだと信じている。
そう、あの巨人を直接破壊できる者などいるはずがない――誰もがそう思っていた。
それをまさか……まさか――!
『そなたがあれを――!』
破壊できる少年が今目の前にいるのだとしたら――!
「ここが終点だ虫野郎。遠いとこからご苦労だったな――!」
託された信頼は自信に。救いを求める声は決意へと。
目の前の怪物を本当に凌駕できるのか?
決まってるだろ、と少年は口元で笑った。
無色の魔力は使い手の意思に呼応するように迸る。
吠える声は眼前の旅人への別れの言葉。
見せる魔法は最後の手向け。
世界を超えて訪れた来訪者の旅路は終わりを告げる。
『馬鹿な……』
「"魔力堆積"! 【天星魔砲】!」
少女の声に立ち上がった――"魔法使い"の手によって――!
『そんな馬鹿なことがあるものかああ!!』
「いっけえええええええええええええ!!」
花の魔法式から放たれる魔力の砲撃。
顕現した砲口から放たれた常識を超えた光線が数百メートルある大百足の体を呑み込む。
燃料源の負担など省みず、その砲撃は大百足をこの世界から退去させるべく放たれ続ける。
人間に耐えられるはずのない魔力によって裂かれる皮膚。
荒れ狂う鮮血は制服を血に染めると同時に魔力を帯びて輝いていた。
「あああああああああああああ!!」
『が……! な……じゃ……!』
"ふざけるなふざけるなふざけるな――! 何じゃこれは――!"
アルムの放つ魔力の砲撃に耐えながら大百足は呪詛を吐く。
苛立ちは拮抗する今の状況に対してだった。
汲み上げられる量に限度はあるも、自身は半日霊脈に接続していた魔法の生命。
有する魔力は一介の魔法使いがどうこうできる量ではない。
圧倒が当然。
蹂躙が必然。
抵抗など紙切れのように。
存在が魔法そのものであるからこそ、魔力だけでも現実を破壊できる点において隙も無い。
元の姿になっていない今でさえ国を落とせると言っても過言ではない。
それが……それが――たった一人の魔法使いと拮抗しているなどと――!
「もう、ちょいか……!」
だが、この少年を相手して拮抗ですむはずもない。
魔力の拮抗を感じ取っているのは大百足だけではなく、アルムもだった。
拮抗を崩すべく自身の魔力に焼かれながらアルムはさらに魔力をつぎ込む。例え体が限界だろうが、その魔力は限界にはまだ遠い。
アルムの体に眠る燃料はさらに体内で加速する。
『この……まま……終われるものかぁああああああ!!』
「!!」
突如、アルムは流れ込んでくる何かを感じた。
魔力を通じて流れてくる大百足に食われた死者の嘆き。
理不尽な結末への恨み、目の前に現れた大百足への殺意、家族と別れる悲しみまで。
負の感情が魔法と魔力を通じて流れ込んでくる。
恐怖を糧にする鬼胎属性の真骨頂。
精神を乱せば魔法は崩れる。これさえ耐えきれば二発目は無いと大百足は魔法を通じて自身の魔力を流し込む。
「知っ……た……ことかぁ!!」
亡者に足を絡めとられるような不快感を振り払うようにアルムは叫ぶ。
そんな苦し紛れの抵抗でアルムが揺らぐことはない。
沸き立つ魔力をただひたすら変換し続け、放出している魔法に乗せていく。
「ふざけ……やがって……!」
流れ込む負の感情を振り払ったのは怒りからだった。
これは自分が受け止めるべきではない。
これは……これは――!
「てめえのだろうがぁあああああああああ!!」
咆哮に籠る怒気。
大百足の選択はアルムの逆鱗に触れる。
アルムの下に届いたのは大百足が殺した命達の最後の声。
手を下した者だけが受け止めるべき感情の渦。
その声を……その声を、あろう事か他者に背負わせようなどと――!
『あ……か……! なんじゃ……魔力が……!』
怒りの理由は大百足にはわからない。
しかし、その間もなおアルムの中で燃え立つ怒りが不可視の水源を沸き立たせる。
感情と共に噴き出す魔力。
耐える?
それは彼を前にして最も愚考な選択肢。
勢いの増す無色の魔法は上乗せされ続ける魔力によって大百足という魔法を凌駕し始める。
無限に変換し続けられる魔力と底上げされ続ける現実への影響力。
引きちぎられる無数の足と砕かれる黒い甲殻が均衡の崩壊を物語る。
どれだけ耐えようともアルムの魔法の勢いが衰えることはない。ましてや使い手の怒りを買った今となれば――!
『なぜじゃ……儂が……! 儂が……こんな小僧一人に……!』
ありえるはずがない。
現実から逃避するかのような内心の呟き。
霊脈を喰らい、人を喰らう自分がこんなちっぽけな人間に負けるなどあっていいはずがない。
理不尽な結末を与える側であるはずの自分がこんな、こんな出鱈目な最後を迎えるなんて事があっていいのかと。
「なんだ……! お前わかってないのかよ……!」
そんな大百足の声をアルムは笑い飛ばす。
「俺一人にやられた? そんなわけねえだろ……俺一人じゃ普通にあんたに負ける……! こんな魔法あんたに撃ち込めるわけねえからな……!」
『な……にを……』
「お前は俺達に負けたんだ……! シラツユがこの町に連れて来た……俺達にな」
そう、それは一人の少女の嘘から始まった退治の道のり。
騙されて始まったアルム達の旅は楔となって大百足の野望を邪魔している。
そう、アルム達の誰か一人でもミレルに来なければ――ミレルを滅ぼすなど簡単で、元の姿になる事も夢では無かったろうに。
大百足が愚かだと見下した少女の行動は結果的に、大百足の足を引っ張る足枷となっていた。
それが例え罪だったとしても――少女の行動は決して間違いだけでは無かった。
『儂は……儂は……奴に、再び会うまでは……!』
「帰って探せ――元の世界でな!!」
『う……あ……があああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
空に響く断末魔。
無色の砲撃は長く連なる体節を砕き、ついに大百足の核へと届く。
絶叫とともに大百足を貫く光の矢。
瓦礫となったミレルに落ちる大百足の体の破片。
砕かれた魔力は霧散してミレルの空へと。
しかし、その魔力が天上に届く事は決して無く――ただただ、自然に還っていった。
「ぐ……おああああ!!」
アルムはすでに魔法につぎ込んだ魔力を出し切り、魔力の動きを止める。氾濫した川に逆らうような行為に痛みは伴うも、無事に魔力の動きは止まった。
「はぁ……はぁ……!」
魔力が無くなった事によって崩壊していく魔法式。
崩れ落ちる魔力は散った花びらのようにミレルの町に降り注ぐ。
固定された魔法式が解除され、アルムは屋根の上に崩れ落ちるように倒れた。
どしゃ、っと屋根に力無く倒れるアルム。
二撃目など当然撃てるはずもない。綱渡りの電撃作戦は今ここに終了する。
「なあ……聞こえてるか……? 奴の人?」
仰向けに倒れてアルムは天に向かって声をかける。
顔も知らない異界の誰か。
届くはずの無い声だとわかっていても、アルムは問わざるを得なかった。
「あんた……本当にあれ弓矢で倒したのかよ……?」
空への問いかけは帰ってくるはずもない。
大百足が話した信じられない英雄譚。あれを弓矢で倒すなどそれこそ奇跡でも使ったのかとアルムの疑問が止むことは無かった。
アルムには大百足の語った昔話の真偽はわからない。けれど、実際に語る大百足がいたのだから本当の話なのだろう。
「すげえな……あんた……」
大百足の話していた奴という人の顔も声もどんな姿かもわかるはずもない。
しかし、そんな人物と自分達との共通点が多分一つだけある。
あんな怪物に立ち向かえたのはきっと、助けを求める声に応えたからだろうと根拠のない確信が離れない。
世界が違えども、人間は誰かを助けて、自分もまた助けられる……そんな関係で回っているのだと。
力無く笑いながら懐からミスティから借りた本を取り出す。
魔法使いの英雄譚。
誇張の混じった参考にならない伝記の一冊。
「案外……嘘じゃないのも混じってるのかもな……」
事実はなんたらかんたら。
遠い異界のことわざなどアルムが知っているはずもなく。
起きたら自分の血に塗れたこの本の事をミスティに謝ろうと思いながら、アルムの瞼は静かに閉じた。
大百足攻略戦決着となります。
一連の流れに別の言葉を入れたくなかったので短い間でしたが、後書きを書かずにいました。
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