129.大百足攻略戦13
『なに――!?』
大百足に訪れる不測の事態。
それは湖畔に見える一本の火柱だった。
その意味は変化の訪れた大百足が一番よくわかっている。
「エルミラの魔法……!」
「合図か!?」
ミスティとヴァンもその火柱を視界に捉えた。それは間違いなくルクスとエルミラからの合図。
霊脈との接続を断った仲間からの朗報だった。
『じゃが――!』
霊脈からの魔力が途切れた事を大百足は確認する。
だが、それで暴れ狂うなんて事は決してない。
霊脈との接続を断たれてもなお大百足が常識を超えた魔法の怪物である事は変わらない。
『そなたを踏みつぶせばよいだけのこと!』
半分瓦礫と化したミレル居住区。
凍結を解除した大百足は再びアルムのほうへと向かう。
宙に伸びる魔力の白い線。
その完成の図は大百足にはわからないが、白い魔力の線はただ伸びているわけではなく、何らかの形を目指している事くらいは見てわかる。
ならば完成を邪魔すればいいだけの事。
魔力の砲撃では確実性に欠けると、自身の巨躯で押しつぶす為に大百足はミレルを這う。
大百足の巨躯と速度なら辿り着くまで十数秒ほど。
最悪初撃はかわされてもいい。この魔法式の完成さえ阻害できれば再び霊脈との接続は容易だと判断し、大百足は冷静にアルムへの距離を詰める。
「くそ……魔力が……!」
「アルム……!」
今さっき大百足を止めた二人は魔力を絞り出す。
ヴァンのほうはすでに血統魔法で飛行できないほどまで魔力を消耗していた。ミスティの血統魔法も今破られたばかり。一呼吸してもう一度というわけにはいかない。
あともう少し、もう少しのはずだというのに。
「あああああああああああ!!」
大百足を見送るしかない二人を他所に、大百足の頭部に雄叫びとともに白い塊が突き刺さる。
白い塊の正体は先程まで力無く倒れていた白い龍とそれに乗るシラツユ。
その勢いは今までに無いほどに鋭く、大百足をよろけさせた。
『死に損ないが……! 止めを刺されにでもきたか!?』
「いいえ! お前がやられるところを見に来たのよ!」
"キャオオオオオオオ!!"
白い龍は咆哮する。
信仰属性の魔力の迸っているその体は先程のダメージをものともせず大百足の頭部を抑えつけようとしていた。
『貴様――どうやって!』
アルムの存在によって焦りを見せた大百足に畳み掛けるような事態が続く。
先程戦場となっていた居住区の建物は全て壊した。他の居住区から酒を探して持ってくる時間など無かったはずなのに白い龍の魔力が回復している。
さっき落としてやっただろう。
さっき死にかけていただろう。
供物も無しにどうやって回復した――?
大百足と白い龍はともに同じ出自の魔法。供物や霊脈を喰らう以外に即座にダメージを回復する手段などないはずなのに。
「お酒ならいっぱいあった……! 地面にね……!」
『なんじゃと――』
大百足の巨体や魔力の光線によって建物ごと破壊されたワイン樽やワインのボトル。だが、ワイン作りが盛んなこの町にある全てのワインがすぐに蒸発して消えるなんてことは決して無い。
流れ出たワインは建物の瓦礫やミレルの地に染み込み、その瓦礫や地を白い龍は食らい、啜った。
『随分落ちたな龍神……! 地の飲んだ酒を啜るなど……!』
「それでもいい! お前を倒す為ならば……私も白龍も喜んで泥を啜る! お前の足を一本でも引っ張れる足枷になれるなら!!」
自分では助けられない。
自分達では倒せない。
自分は英傑気取りの馬鹿な女だったのだと湖畔でこいつに思い知らされた。
――全ては無駄だったのだと一度は思った。
「もう一度名乗ろう! 私の名前はシラツユ・コクナ! お前に兄を乗っ取られ一度はお前に負けた女!
そして今……! 兄を解放することすら他人に託した哀れな女だ!」
だけど救われた。救ってくれた人がいる。
こんな自分を、優しいと言ってくれた人がいる。
この大百足を倒せるなんて本来なら信じられるはずもない。
それでも――自分を救ってくれた人の言葉だから信じようと思えたのだ。
当たり前のように、綺麗な言葉を言ってくれる人がいたから。
『よくわかってるではないか自分が愚かな女じゃと……!』
「愚かでいい! 私のようなちっぽけな人間で……お前の邪魔をできるなら!!」
吠えるシラツユに呼応するかのように白い龍も大百足の頭部に食らいつく。
人任せと言われようが構わない。
泥だらけと笑われても、恥知らずだと唾を吐かれてもこいつが存在するほうが耐えられない。
生きて償う世界にこいつさえいないのなら自分は喜んで手と足の枷を受け入れる。
償うのはこいつが倒される瞬間を見た後。
きっと、きっとその瞬間は訪れる。
『儂の餌ごときが……! 調子に乗るでない!!』
大百足の声とともに、うねる触覚が頭部に食らいつく白い龍の頭部と尾に巻き付く。
口を大きく開ける大百足。並び立つ牙が何をするのかを雄弁に語る。
"キャオオオオオオ!!"
「は、白龍……!?」
すんでの所で白い龍は大きく暴れた。巻き付いた触覚はびくともしない。
しかし、それは触角を振りほどく為の動きではない。自分の背に乗っているシラツユを振り落とす為の出鱈目な動きだった。
バランスを崩したシラツユは白い龍から滑り落ちる。
「そんな……白龍!!」
『もう一度儂の餌となるがいい!』
ぐしゃり、と大百足の巨大な口は白い龍の胴体全体に満遍なく牙を立てた。突き立てられたその牙に抵抗などできるはずもない。
断末魔の声は無く、霧散する信仰属性の魔力が魔法の最後を物語る。
自分の体が町へと落下する最中、シラツユは焼き付けるようにその最後を見届けた。
「うっ……! ううっ……!」
常世ノ国の実験によって植え付けられた白い龍。
そして勝手に植え付けられただけなのに自分の為に最後まで戦ってくれた友の最後。
植え付けられた時とは違う、何かが消失する感覚がシラツユの首元から伝わってきた。
目を逸らしていいはずがない。
目尻に涙を浮かべながら自分達が出来るのはここまでだとシラツユは悟る。悔しくないと言えば嘘だった。
けど……進んだ。
救われた事で、助けられた事で、自分と白龍だけでは来られなかった日まで歩けた。
本来、自分達が生きていたのは昨夜湖畔で大百足と戦った時まで。今日という日は間違いなく来なかった。
こうして大百足に再び立ち向かえたのはきっと、自分達にとって最善以上の出来事だろう。
「……さん……!」
だから後は信じるしかない。
「アルムさん!! お願いします!!」
助けてほしいと言わせてくれた――あの朝出会った"魔法使い"を――!
『奴は――!』
邪魔者は退場し、大百足の頭部はトラペル家の屋敷の方を向く。
死に損ないに稼がれた時間を取り戻すかのようにそのまま大百足は無数の足を動かす。
『――っ!』
それはきっと声にならない悲鳴だった。
屋根の上から張り巡らされた完成間近の魔法式。
塔のように伸びていた白い魔力はすでに円を描き、その中に記憶の花を描いている。
大百足の目は屋根の上で魔法式を構築しているアルムでなく、空に描かれた円の魔法式に奪われた。
「"変換式、固定"……!」
声とともに、とっくに感覚の無くなっていたアルムの足が魔法式によって固定される。アルムの体に紋様のように描かれた魔法式は絶えず輝きを放っていた。
完成してなお激流する無色の魔力。
アルムの中にある不可視の水源はただひたすら魔力を生み続ける。
大百足が魔法の怪物だとすれば、ここにいるアルムは魔力の化け物。
その水源は枯渇する事無く、変わらず魔力を生成していく。
「っ……! ぐ……ぁ……!」
自身の多すぎる魔力で焼かれるアルムの体。
アルムの発する苦悶の声にすら薄い魔力を帯びており、吐く息は寒くもないのに白かった。
その成果はただ一つの無属性魔法。
この世で一人しか完成させられない魔法式の砲台。
放たれる魔法に相応しい形を描いて大百足の前に現れる――
『――!』
大百足の眼前で完成する巨大すぎる魔法式。
円の中に描かれるはアルムの記憶にある最も美しい白い花。
魔法の使い手の思い出は故郷より遠い地で今魔法となって花開く。
輝きを増していく白い紋様。
魔法式から溢れる魔力の奔流。
そのどちらもが歴史の無い無色の魔法を予告する。
魔法でありながら魔力。
魔力でありながら魔法。
魔法という奇跡が確立する前にありながら、端に捨て置かれていた原初の魔法を――!
『こんな事が……あってよいはずがない!』
煌々と輝くその魔法式を見て大百足の脳裏にふと死の記憶が蘇る。だが、大百足は蘇ったその記憶を否定するかのように内心で言葉を繰り返した。
……似ていない。
奴とは全く似ていない。
似ていないはずなのに何故――何故あの時の記憶が蘇るというのか!
『あってよいはずがない!!』
大百足の奥底から憤怒の感情が沸く。
思い出すは生前自身を倒した英傑の姿。自分を殺せるとすればその者か奴に似た英傑に違いないのだと。
だが――目の前の小僧はどうだ?
奴はもっと英傑らしく立っていた。
奴はもっと英傑らしく胸を張っていた。
再び自身を止めるとすればまた……そんな英傑が現れるのだと大百足は信じていた。
自身を倒せるのは決して支えられない足で膝をつくような奴ではない。
自身を倒せるのは決してこんな欠陥魔法を使う奴ではない。
自身を倒せるのは決して、決して――こんな血塗れの小僧ではない!