127.大百足攻略戦11
空に伸びる白い魔力の柱を見ながら大百足は思い出す。
昨日、葡萄臭いあばら屋で夜が来るのを待った際、ヤコウの姿で聞いたマキビの話を。
「そういえば、滝の前で出会った魔法学院の生徒やらで気になったものはおったか?」
ただの暇潰しだったつもりの質問。
いや、もしかしたらこの時から立ちはだかるであろう敵だと勘付いていたのかもしれない。
どちらにせよ、この時は軽い気持ちでマキビに問いを投げかけていた。
マキビは話すのを少し躊躇いつつもその問いに答える。
喋っても喋らなくても、恐らくそれに備えるようなことはしないだろうと思いながら。
「……オルリック家とカエシウス家っていうナナが言っていたやつはどっちもすごかったな。
カエシウスの嬢ちゃんのほうはナナを瞬殺してた。そりゃナナは強い魔法使いじゃねえけど、本当に一瞬だったぜ」
「ふむ」
「ヤコウ様。カエシウス家というのは――」
「ああ、よいよい。かえしうすは知っている」
山でルクスと対峙した際、オルリック家の事を説明したのと同様にカエシウス家の事を説明しようとするヴァレノをヤコウの姿をした大百足は不要と止めた。
何故オルリック家は知らないのにカエシウス家は知っているのか、知識のあべこべさに従順なヴァレノも流石に疑問を表情に出していた。
「儂もおるりっくの男児とは手合わせしたが……あれも中々じゃった。マナリルには将来有望なものが多いのう」
その将来を訪れさせる気など勿論大百足には無い。
霊脈を喰らい、元の姿に戻ってこの国の命という命を食いつくす。
その為にここにいるのだから。
「ああ、気になると言えば頑なに無属性魔法しか使ってこなかった変なやつはいたな」
「無属性魔法?」
無属性魔法。
それは魔法になりきれない紛い物。
今の魔法の土台となった功績は大きいものの、無属性魔法自体は属性の変換を行っていないただの魔力遊び。
魔力と魔法の中間に位置する欠陥品だ。
この世に魔法として蘇ったからこそ、その不完全さは大百足もわかっていた。
マキビの話も、そんな欠陥を好んで使う物好きがいる程度に耳に入れる。
「ある意味あいつが一番得体が知れなかったな……大したこと無いと思ったら最終的にはあいつに捕まったし……正直わけわからん」
「マキビ……儂はそなたを過大評価しておったか?」
「いや、戦ってればわかる。本当にわけわかんねえぞあれ」
「ほう」
「家名は?」
大百足はその時点で声から興味が消えていた。
ヴァレノが聞くと、マキビは両手の手の平を上に向けるジェスチャーをする。
「さあ? ただ……アルムとは名乗ってたよ」
『そなたか……! そなたが――!』
大百足は狼狽する。
間違いない。
これがマキビの言っていた無属性魔法しか使わない得体の知れない変わった生徒。
名前は確かアルムといったか。
得体の知れないどころではない。何だこの出鱈目な光景は――!
「ちょっと……早い、な……!」
アルムもまたその表情に少し焦りを浮かべていた。
屋根の上に描かれる白い紋様。
撃ち損じてなるものかとありったけの魔力をつぎ込んではいるが、掲げた手の先にはまだ砲身が無い。
現実に描く魔法式は完成しておらず、魔法を放出する準備は整っていなかった。
「まだ、繋がってるか……!」
だが、準備が整っていたとしても魔法を放出するのは分が悪い。
未だ大百足は霊脈と繋がっている。
大百足が一度に霊脈からどれほどの量の魔力を汲み上げられるかわからない以上、確実性に欠ける。
普通ならばあり得ない一つの魔法に捧げた複数の魔法の工程。
悲鳴を上げながら魔法を構築していった血塗れの体が言っている。
この魔法にやり直しは効かないのだと。
『何じゃこの魔力は……! 湖畔で見かけた時はこのような……!』
大百足は最初に出会った時に感じた魔力の弱さで気にも留めていなかった。
何せ湖畔で感じたその魔力は散々ぼろぼろにしたラーディス以下。
加えて無属性魔法しか使わないとあれば気にするほうがどうかしている。
敗北したマキビが誇張して言っていたのだと、大百足は思っていた。
それが――
『……っ!』
気付く。
魔法使いには増えすぎた自身の魔力に蓋をする技術があると聞いた事があった事を。
魔力ある生き物は常に魔力を出している。人は勿論、魔獣や草木に至るまで、自然の多い場所の魔力が濃いのはこれが理由でもある。
だからこそ、膨大な魔力を持った者は良くも悪くも目立つ。
周囲の魔力より目立った巨大な魔力はそれだけでその魔力の持ち主をわかりやすく示してしまうのだ。
その魔力から持ち主の詳細な情報を引き出すような魔法もある。そういった魔法から自衛する手段が、魔力を意図的に蓋する"閉ざす"という技術である。
『いや、そんなはずはない……! そんなはずが……!』
人の姿であれば大百足は首をぶんぶんと横にでも振っただろうか。
大百足は気付いた事実を否定するように、驚愕を隠せぬ声で繰り返す。
そう、有り得るはずがない。有り得ていいはずが無い。
魔力に蓋をするという事は、意図的に魔力を出さないようにしているという事。それはつまり使える魔力の量も激減するという事に他ならない。
だが――だとすれば……!
『そんな事があるというのか……そんな事が――!』
あの男は昨夜、魔力に蓋をしたまま戦っていたという事。
そんな事があっていいはずがない。
命を喰らい地を喰らい、一国すらも恐怖で落とすこの大百足を前にして魔力を制限していたなどと――!
「そりゃ、そうか……!」
アルムはつい舌打ちする。
大百足の向く矛先はミレル湖からトラペル家の屋敷へと変わっていた。
霊脈との接続を目的にしてここまで来た大百足にとって、本来優先すべきなのは湖畔で霊脈との接続を解こうとしているマキビを倒したであろう邪魔者二人。
だが、そんな常識的な思考は目の前の異常な光景によって覆っていた。
あれは完成させてはいけないものだと、大百足の生き物としての本能が告げている。
「畳み掛けろ!!」
『なに……!』
声とともにアルムを屠らんと向かおうとする大百足に突如のしかかる風の重し。
その勢いに大百足の頭部はミレルの町に叩きつけられる。
建物が崩れる音と砂埃が舞う。
大百足の頭部は傷こそつかないものの、その動きを一瞬封じていた。
『先程まで逃げ回っていた弱者が――!』
「うおああああああああああああ!!!」
叫びとともにヴァンの魔力が急激に消費されていく。
少しでも大百足の動きを抑えようと、ヴァンは残り少ない魔力全てを自身の血統魔法に注ぎ込んでいた。
まだこんな力があったかと大百足は頭上のヴァンに厭わしい視線を向ける。
『そなたらの相手は後でしてやる!』
のしかかる風を膂力だけで押しのけ、大百足は体を勢いよく起こす。
ぞろぞろぞろぞろ、と赤黒い無数の足はトラペル家のある丘向けて再び移動し始めた。
「"放出領域固定"」
そんな大百足の背後から小さく、幾度も聞いた声が聞こえてくる。
「【白姫降臨】!」
再び大百足の周囲に訪れた氷の世界。
合唱とともに世界が変わる。
すでに大百足の移動によって半分瓦礫に変わっていた居住区に入った途端、大百足は氷の標本へと変わった。
鬼胎属性によって精神的なダメージを受けてなおミスティは血統魔法を唱え切る。
「はっ……! はっ……!」
「ミスティ!」
「まだ……! いけます……! あと……一回!」
魔力切れと未だ残る鬼胎属性から流れ込む負の悲鳴がミスティを疲弊させる。
ミスティの名前を呼ぶヴァンも名前を呼ぶのが精一杯で、この十数分でどれほど多量の魔力を使ったのかを思わせる。
決して二人の魔力が少ないわけではない。ヴァンに至っては普段魔力に蓋をするほどの魔力の持ち主。
並の者なら操るのも困難な血統魔法を連続して使用した代償が二人の表情と体力に色濃く出ていた。
『邪魔を……!』
氷結された大百足から響く重い声。
幾度も破られている血統魔法が今回だけ通用するなどという都合のいい事があるはずもない。
『するでない!!』
やはり数秒で大百足の凍結は砕かれた。
表面に落ちる氷の欠片を払うように大百足は無数の体節を震わせる。
「まだか……!」
ヴァンは魔力を振り絞りながら祈るように湖畔に目を向ける。
「まだか……! ルクス! エルミラ!」
湖畔で今も奮闘する二人の名前を口にしながら。