126.大百足攻略戦10
世界を変える合唱がミレルに響く。
ミスティの血統魔法によって一瞬で凍り付く大百足。そしてミスティ達の前に現れるは巨大な氷山。
ミスティが大百足を止められたのは数秒だけ。
氷が砕かれる音とともに大百足の凍結が溶ける。
瞬間――魔法名を作り、魔法の放出を終えていた大百足の無数の足から魔力の光線は放たれた。
『砕け散れ』
昨夜湖畔で見せたのと同じ魔力の光線。
昨夜と同じで狙いは定まっていない。
さっきまで町だった瓦礫を焼き、葡萄畑の生える丘も焼き、的のいない宙空にもその光線は放たれる。
「数が……!」
「くそ……! 防ぎきれねえ!」
「きゃああああ!!」
数本の魔力の光線を受けて砕けていく氷の盾。
魔力の衝突によって起きた衝撃は爆発のように三人を吹き飛ばす。
かろうじて、ミスティが作り上げた氷山によって威力の下がった魔力の光線をヴァンが身に纏う烈風を盾にして直撃を防いだ。
『ふむ』
そんな光景を見ても大百足は不満気だった。
『失敗のようじゃの。例え儂が命ある者だとしても……やはり魔法になったからにはそのるーるとやらは破れぬらしい』
結論から言えば、ミスティ達の最悪の想定は幸い当たることは無かった。
魔法に"変換"されきった魔力は決して魔法になる事は無い。
魔法が魔力を放つのは魔法に付随する性質であって、魔法の燃料になる魔力とはすでに別の存在。
大百足が放つ魔力の光線は黒く、鬼胎属性の魔力光を発している。それは魔法が持つ魔力だからに他ならない。
例え、意思を持つ魔法が魔法式を作る事ができたとしても、自身の魔力を魔法に"変換"することは決してできない。
それは魔力と魔法のルール。
魔法という奇跡が確立した時から変わらぬ絶対。
無数の赤黒い足から放たれた光線は、先程放った二本の光線とさほど威力は変わらないまま、ミスティ達とミレルの町を襲った。
「はっ……! はっ……!」
「ごほっ……! ぐ……!」
「白、龍……!」
そう、あくまで威力は変わらないだけ。
例え大百足の光線が魔法へ昇華されずとも、その威力が常識的なものであるかは別の話。
現実への影響力が底上げされなかったとはいえ、それは魔法が放った魔力の光線なのだ。
ならばそれは魔法の性質として充分以上の攻撃力を備えている。
氷山の盾は融解しながら破壊され、その衝撃で後ろにいた三人は瓦礫の山へと飛ばされた。
乗せた二人を咄嗟にかばった白い龍はぐったりと力無く倒れていた。
「ミスティ……大丈夫か……?」
ヴァンが飛ばされた場所はワインの保管庫だったのか、辺りは酒気と葡萄色の液体に塗れていた。
紫色に染まった白衣のような上着を脱ぎすて、体を起き上がらせながらヴァンは問う。
すでに立ち上がっているミスティには大した怪我はない。
ヴァンの烈風の盾とシラツユの白い龍がかばった事でこの中で最も無傷に近かった。
「あと二回……いえ、三回です……!」
だが、ヴァンの問いに対してミスティは大丈夫とも、怪我は無いとも言わず、回数で答える。
「よし……!」
『どうした? 追いかけっこはもう終わりかの?』
上体を起こしたままの大百足がその視界に三人を捉える。
見下す大百足を前に三人の戦う意思は消えていない。
倒れていた白い龍も大百足の嬉々とした声に反抗するかのように体を起こし始める。
『動かぬのか? 龍神と持て囃されたお主も傍らにそんなか弱い少女では頼りなかろうて……まぁ、喜べ。しっかり儂が餌として喰らってやる。天上にあげてやるのだ、感謝の一つでもしてほしいものだな?』
大百足はその醜悪な口を開く。
並んだ牙とその牙より巨大な顎肢。
三人が見上げた先にあるのは人間と比べて大きい白い龍すらも一口にできるだろう巨大な口内だった。
「白龍! 動いて!」
『異界の天上にお仲間がいるといいのう?』
勢いよく、大百足の頭部が白い龍に振り下ろされようという時――
『なに?』
びゅう! と吹いた突風とともに大百足の頭部がぴたりと止まる。
ミスティ達はすでにその場にはいない。
白い龍はヴァンの烈風によって無理矢理吹き飛ばされ、ミスティ達は自身に強化をかけた身体能力ですでに回避している。
大百足がその動きを止めずともミスティ達はかわしていただろうが、それでも不可解な止まり方だった。
『……なんじゃと?』
大百足の視界にもうミスティ達は映っていなかった。
大百足の頭部は今まで来た方向へと向いている。
ミレル湖のある方向だ。
『マキビがしくじった? いや――?』
大百足が感じたのは霊脈から汲み上げている魔力が減っている事と、霊脈に接続していた自身の曳航肢が断たれる感覚だった。
大百足の脳裏に一人の少年がよぎる。
今とは程遠い姿とはいえ、山で一度は互角に戦った雷の巨人の使い手。
あの時の戦いでも雷の巨人はその力で足を傷つけている。
なるほど、確かにあの雷の巨人ならば霊脈と接続している曳航肢を引き裂く事も可能だろう。
マキビが後れをとるのも頷ける。
湖畔で見かけた数人がここにいなかった理由もこれで納得というものだ。
『くはははは! やるのう?』
嬉しそうに大百足は笑い声を上げた。
声に焦燥は全く無く、未だその声は余裕が溢れていた。
何せ、霊脈と接続している曳航肢は二本ある。
大百足が引き裂かれたと感じたのはその内の一本のみ。
未だ大百足は霊脈と繋がったままであり、状況が傾くほどのことは何も起きていない。
『では、対処させてもらおうかの』
だからといって放置する理由も全く無い。
魔法として圧倒的な力を持ちながら霊脈と繋がって魔力を確保しているという万全な状況。
その万全を崩そうとしている輩がいるのなら、目の前で飛び交う三人の餌よりもそちらを優先するは必然。
大百足は強者としての余裕も自身の持つ矜持も見せるが、決して油断をしているわけではない。
自身が霊脈に繋がっているこの状況を打破しようというのなら、それを全力で叩き潰そう。
背中を見せるなと言われようが、逃げるのか臆病者と罵られようが、その全てを最終的に喰らえばいい。
目の前で飛び交っていたミスティ達か、霊脈との接続を断とうとしている誰かか。
どちらを優先すべきかは大百足にとって明白だ。
『元の姿になるまでは付き合ってもらわねばならないのでな、悪いが早々に退場してもらうとしよう』
大百足の頭部は反転した。
噴水のあった広場からミレル湖方面へその巨躯を動かしていく。
「気付いたか……!?」
「ヴァン先生!」
「ああ!」
大百足の動きに気付いたヴァンは飛んだ。
そして腕を翼のように広げて振るう。
羽ばたくような腕の動きで吹き始める烈風がミレル湖に戻ろうとする大百足の頭上に降り注いだ。
『おやおや……さっきまで逃げ回っていた者共が急にどうした? そんなに湖に行かれたくないのか?』
「背中を見せた相手を追撃するってのは基本だろうよ……!」
『くはは! 違いない!』
烈風を受けながらも進む大百足。
ヴァンの起こした風によって動きは少し遅くなっているが、その赤黒い足は進み続ける。
連なる体節はしなる弓のように曲がり、ミレル湖方面へと反転する。
『安心せい、お主らの相手は後でしてやる……霊脈で何かしている者共を殺してからのう』
「魚が餌だと勘違いしてつっついてるんじゃねえのか?」
てきとうな事を言いながらヴァンは大百足を観察する。
ルクスとエルミラは成功したのか?
否。
無数の体節には未だ躍動するように流れ込んできている魔力の光があった。
「ミスティ! まだだ!」
「わかっています!」
ミスティはより一層表情を引き締める。
瓦礫となった居住区をミスティは強化のかかった足で走った。
白い龍という飛行手段を失った今、頼れるのは自分の体しかない。
何の為に鍛えているのか、それはこういう時の為だ。
反転したことによって一時的にスピードが落ちた大百足の体節にミスティは飛び乗る。
妙な滑らかさを持つ黒い甲殻に嫌悪感はあったが、そんな事は言ってられない。
「"放出領域固定"!」
ミスティは自身の魔力を集中させる。
「【白姫降臨】!」
響き渡る二度目の合唱。
氷結された世界が再びミレルに顕現する。
大百足はその魔法によって凍結され、周囲の瓦礫も全て氷で覆われる。
しかし――
『おやおや』
砕かれる音ともに大百足の氷結は解かれた。
氷結された瓦礫はそのままに、大百足だけがミスティの血統魔法から解放される。
力づくで解除されるのはこれで三度目だった。
『何度やっても同じじゃ……儂を数秒止められるのは確かに見事。じゃがそのままで儂を倒すことは永遠にできはせぬよ。それと……』
「!!」
ミスティの乗る大百足の体節が黒く輝きを見せる。
その場所に魔力が集まっていたのは明らかだった。
『背に乗るな。不敬じゃぞ』
「きゃああああ!!」
集中した魔力はそれだけでミスティを浸食していく。
流れ込んでくる鬼胎属性の魔力。
ミスティの脳髄に刷り込むように、恐怖に塗れた悲鳴、死を前にした絶叫、自身を殺す怪物への呪詛から救いを求めて叫び泣く震えた声までが流れ込んできていた。
何が起こっているのかはミスティにしかわからない。
ミスティは悲鳴を上げながら渾身の力を振り絞って大百足の体節から跳んだ。
瓦礫の上に着地した瞬間、ふらっ、と体がよろける。
鬼胎属性の魔力は恐怖を力とする。
大百足は数多の人や生き物、そして龍神すら餌としてきた怪物。
命の危機を前に発した餌達の負の声を魔力を通じて流し込むなど、大百足にとっては容易いことだった。
「く……あ……!」
『ほう?』
それでも、ミスティは膝をつかなかった。
よろける体を二本の足で支える。
その小柄な体からは想像もつかないほどしっかりと、自分の足でミスティはその場に立つ。
「はぁ……はぁ……!」
苦痛に歪む表情を浮かべるものの、怒りにも似た感情でミスティは大百足を睨みつけていた。
『くはははは! そうでなくてはな! 後でしっかり相手をしてやろうぞ!』
大百足はミレル湖に向かいながらミスティの様子に喜び、笑う。
自身の魔力を注ぎ込んでも折れない精神。
餌としてではなく、自分に敵対するに相応しい者として大百足はミスティを気に入っていた。
『全く……これだから飽きぬのう……!』
ぞろぞろぞろぞろ。
大百足はミレル湖へと向かっていく。
無数の足が見せる滑らかな動きは大百足をすぐにミレル湖が見える辺りまで辿り着かせた。
大百足は触角をミレル湖の方向に向け、命の気配を探る。
『一つ、二つ……三つじゃな……マキビのやつめ、やはり負けておる』
先程まで戦っていたミスティ達で三人。
湖畔に感じるマキビ以外の命で二人。
昨夜湖畔で歯向かってきた人数とは微妙に合わない。
"逃げた餌共の護衛についておるのか?"
どこかに隠れているものがいないかと、大百足は念のために触覚を周囲に振るった。
『……なんじゃ?』
しかし、その振るった触覚に意味は無かった。
命を捉える触角に頼らずとも……一目でわかる異変がそこにはある。
『……なんじゃ?』
誰かに答えを求めるように、大百足は再び同じ言葉を呟いた。
視線の先にいた人物も大百足の頭部が遠目にこちらを向いているのを確認する。
偶然にも、互いの視線は交差した。
『なん……じゃ……それは……?』
困惑を声にして大百足は繰り返す。
あまりの光景に、大百足の動きは一瞬止まっていた。その光景を何とか理解しようとしているかのように。
しかし、その困惑も無理はない。
その視線の先には――
「"変、換"……!」
トラペル家の屋敷の屋根の上。
ミレルで最も高いその場所で――血塗れの人間が不敵に笑みを浮かべていたのだから。
『なんなんじゃ……それは……!』
その血塗れの人間の周りには、魔力で構成された巨大すぎる魔法式。
はっきりと視覚化された魔法式はその異常な魔力量を雄弁に語る。
「ああ……もう、戻って来たの、か……!」
『なんなんじゃ――お前は!?』
白い魔力の線が天に向けて昇っている。
それが意味するのは視覚化されたその巨大な魔法式が未完成という事実。
初めて大百足は戦慄する。
自身が魔法となり、そして魔法として埋め込まれていたからこそわかる――その異常とも言える魔法の構築に。
「自己紹、介が……まだだったか? いいだろ、別に……名前は、よ……!」
ただひたすらその人物は魔力を注ぎ込む。
それだけが自分に出来る事だとわかっているがゆえに。
彼の名前はアルム。
ベラルタ魔法学院の制服を纏っている、唯一の平民である。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ようやくです。頑張ります。