122.大百足攻略戦6 -変換-
「『火炎掌』!」
「無駄だ」
ミレル湖の湖畔、ずるずると次から次へと湖から出てくる大百足の体節の近くで三種の魔法が飛び交っている。
エルミラの手から放たれた炎はマキビの纏う亀を模した水に阻まれ、マキビには届かない。
ただ水を焼くような音を立てて消えていくだけだった。
「だったら……『火蜥蜴の剣』!」
「"咬め"!」
エルミラのほうから飛来する炎の剣に、マキビの首から伸びる水で模した亀の頭部が食らいついた。
それを見たエルミラはにやりと笑う。
「そうくるでしょうね!」
「なに……!?」
獣化魔法によって作り上げられた亀の頭部が食らいついたにも関わらず、勢いを失ったはずの炎の剣が発熱する。
白い煙を上げながら亀の頭部に異変が起きた。
ごぽごぽと沸騰するように亀の頭部に泡が出来始める。その泡が弾ける度に、獣化魔法を構成している魔力が抜けていくのをマキビは感じた。
水属性の魔力に火属性の熱の性質が伝わり、マキビの魔法を侵食していく。
「器用なことしやがる……!」
マキビはその熱が伝わり切る前に獣化魔法を解除する。
本来、性質の関係で火属性に有利な水属性魔法。
エルミラはその対策を怠っていない。
不利なのはエルミラも重々承知。それでも今のように出来ることはある。
「誰の友達やってると思ってんのよ!」
自分の隣にいつも立っているのはこの国最高峰の水属性魔法の名家カエシウスの息女。
いずれ学院内で魔法儀式をする時も訪れよう。
そんな自分が相手が水属性魔法だからと諦めていいはずがない。
水属性魔法が相手だからこそ、エルミラは闘志を燃やして魔力を振り絞る。
「そこだ……!」
湖畔は平地で、搦め手を使った地形によるイレギュラーも起きにくい。
今この場は魔法の地力が物を言う。
獣化魔法を解いたその間隙を狙い、エルミラは地を蹴った。
マキビとの距離を詰め、獣化の解けた使い手の体を狙う。
「『鳴神ノ爪』!」
エルミラの動きに合わせ、虚を突いてルクスが飛び出す。
ルクスの右手に作り上げられた雷獣の爪はエルミラより一歩遅らせて唱えられる。
ルクスが使うのは水属性と属性の有利不利が無い雷属性。
定石ならルクスを主軸に置いた動きにするところを二人はエルミラの動きを主軸にして戦いを繰り広げていた。
それは決して示し合わせたわけではない。
エルミラが前のめりになり、ルクスがそれに付き合っているわけでもない。
二人は先を見据えている。この戦いはマキビを倒して終わりではない。目的はあくまで大百足の霊脈の接続を切る事だ。
ルクスは先日のヤコウの戦いから魔力が回復しきっていないが、霊脈との接続を切る為にはルクスの血統魔法が不可欠。
ならばルクスが魔法を使うのはマキビに攻撃できるタイミングに絞らせて、ルクスの魔力を温存するのが確実。
ルクスとエルミラは事前に話し合ったわけではないが、それが最も目的を達成させるのに確実だと信じて二人は動いている。
「『蒼髭』!」
滝の前でも見せた二本の水の鞭。
だが、もう遅い。
魔法の間隙を狙った絶妙なタイミングでエルミラは駆けだし、ルクスもそれに合わせて動いている。
強化のかかったエルミラはすでに懐に潜り込みかけていて、ルクスも例えその水の鞭を振るわれてもすぐに雷獣の爪で引き裂ける状態だ。
ルクスとエルミラどちらかの攻撃は確実に入ると二人は確信していた。より致命傷になりやすいルクスの魔法を防ぐ為かとエルミラはマキビの動きを予測する。
だが――マキビが狙ったのはそのどちらでもない。
「よっと!」
「え!?」
その水の鞭が狙ったのは地面だった。
水の鞭が現れた瞬間、地面を勢いよく叩き、その勢いでマキビの体をその場で浮かす。
本来なら懐に入れたタイミングのはずがエルミラの目の前にあるのはただの湖畔。
エルミラは驚き、地面を踏みしめて勢いを殺し、その場で止まった。
「流石に戦い慣れてる……!」
「そんな使い方もできるのね……」
滝の前での戦いではやらなかった魔法の使い方に二人は魔法使いの卵としてつい素直に感心してしまう。
マキビの取った一手に感心しつつもルクスは焦らず、マキビを浮かしている水の鞭を雷獣の爪で引き裂いていった。
本当に二人の攻撃をかわす為だけに唱えたのか、滝の前よりもその強度は無く、ほとんど何の抵抗も無く水の鞭は引き裂かれる。
「いっづ……!」
それだけでは終わらないのが雷属性の魔法。
マキビの使う魔法は魔法を纏うタイプが多い。『蒼髭』も手に水を纏わせている魔法だ。
雷属性の魔力が流れ、マキビの体に痛みが走る。
「『抵抗』をしっかり唱えろっていう基本はやっぱ正しいんだなおい」
魔法使いの基本中の基本。魔法と属性の効果を活かして攻めてくるルクスとエルミラを見てマキビは薄ら笑いを浮かべた。
体に走った痛みが最初に魔法を教えられた時の遠い記憶を思い出させる。
欠陥魔法だと馬鹿にして碌に学ばなかった――実際欠陥魔法ではあるのだが――無属性魔法。
魔法を教えてくれた父でさえ、大体役に立たないが一応覚えておけとしか言っていなかった事を思い出す。
そして同時に……無属性魔法しか使ってこない滝の前で会ったアルムという少年の事も。
「ああ……やっぱ気が乗らねえなあ……」
"マキビ・カモノ"は幼い頃に常世ノ国から出国した魔法使いだ。
父親以外の家族はマナリルの北東にある国カンパトーレに辿り着き、食客貴族として迎えられた。
カンパトーレは近年ガザスを狙っており、成長したマキビはガザスとの小競り合いに駆り出される事になる。
そして何度もガザスとの戦いを経験し、その都度生き残っている。比較的平和とされる今の時代で若いながら対魔法使いの経験が多い魔法使いの一人だ。
その経験が、目の前の二人はものが違うと言っている。
滝の前で出会った時からわかっていた。
決して嘗めていたわけではないが、二人の着るその制服姿は伊達ではない。
マナリルが誇る有数の魔法学院。その生徒。
苦し紛れに前線に出されたガザスの若い魔法使いとは違う確かな下地。
魔法の構築速度の速さ、魔法と属性への理解度が高いからこそとれる選択肢、そして現実の影響力をおざなりにしていない変換の正確性。
基本をしっかりと守りつつも、その場その場での柔軟性も持ち合わせた才能ある魔法使いの卵。
「きっちりやらねえといけねえよなあ……」
マキビの脳裏に迷いが生じる。
今自分は何をしている。
今やっているのは本当に魔法使いの仕事なのか?
マキビはカンパトーレから紹介されたコノエ……いや、ヤコウに雇われて今ここにいる。
最初こそ、ダブラマと手を組んだり、魔獣の討伐だったりとカンパトーレの外交や安全の為だと思っていた。
……どこからだおかしくなったのは。
滝の前でこいつらに会ってからか? それともナナが殺された時か?
「ああ、きっと」
最初からおかしかったのかもしれない。
故郷を捨てた貴族。
守るべき者もいない魔法使い。
故郷を捨て、カンパトーレに従うと決めた時から自分は誇りを捨ててしまったのかもしれない。
仕事はきっちりという信条が自分の芯だと決めつけて今まで魔法使いをしてきたのかもしれない。
「気が乗らねえ……気が乗らねえが……こりゃ仕事だ。仕事は……きっちりやらねえとな」
その信条を今更捨てられるはずもない。
これは今まで生きてきたマキビという魔法使いの生き方でもある。
「『炎竜の息』!」
宙から落ちてくるマキビ目掛けてエルミラは魔法を放つ。
マキビの心情などルクスとエルミラが知り得るはずもないが、二人は少なくともマキビを甘く見ていない。
相手は今の攻撃もすんなりかわした戦い慣れた魔法使い。少しの隙も魔力に余裕があるエルミラが突いていく。
エルミラはその拳を宙のマキビ目掛けて振り抜いた。
拳から火柱がマキビ向かって放たれる。
着地の隙はルクスが狙う。マキビなら魔法によってエルミラの攻撃をかわすだろう。どう動いてもマキビの着地に合わせられるよう、ルクスは息をひそめて備えていた。
「【河神毒蛟】」
マキビは自分に向かってくる火柱を見ながらその名を静かに唱えた。
澄み切った透明の声が重なり、湖畔に響く。
しゃん、しゃん、と祭事に鳴らす鈴のような音が聞こえた気がした。
水が集中する。
それは間違いなく血統魔法。
マキビの体を水が包み込み、その魔法は顕現する。
エルミラの放った火柱などその魔法の前では無力。
エルミラが使ったのは破壊力の高い中位の火属性魔法だが、火柱が勢いよく突き刺さってもその水はびくともしない。
その水の中の――双眸が光る。
その瞬間、ルクスとエルミラもその魔法に対応する為、即座に最適と言える判断を下した。
「【雷光の巨人】!」
「【暴走舞踏灰姫】!」
続く二組の合唱。
ルクスは黄色い魔力の雫を天に捧げ、エルミラは赤い魔力を纏う。
二つの貴族が奏でる贅沢な重唱が湖畔に響く。
"オオオオオオオオオオオオ!!"
"ジャルルルルルルルルルル!!"
マキビの纏う水は巨大な蛇のような生き物に姿を変え、裂けた口を大きく広げる。
ルクスの背後には雷が波打つ甲冑の巨人が現れ、エルミラは灰色のドレスでその姿を着飾った。
現れた魔法の怪物と魔法の怪物が互いを威嚇するように咆哮する。
二体の咆哮にピリオドを打つかのように、エルミラは灰のヒールをカツンと鳴らした。
渦巻く三種の魔力。
霊脈から放たれる魔力よりも濃い魔力が湖畔に漂う。
「いいのかい? 僕に血統魔法見せちゃって」
「よくないわよ。だからあんま見ないでよねエッチ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
感想など頂けると嬉しいです。