121.大百足攻略戦5 -変換-
「しまった……! 転移された――!?」
姿を消したヴァレノ。
ヴァレノの周囲にあった黒い穴もいつの間にか消えていた。
ベネッタは一瞬、アルム達の方に行ったかもしれないと町のほうに目をやる。
それはまずい。
魔力切れを狙っていたのは転移魔法によって万が一にも大百足を倒す作戦を邪魔させない為でもある。
血統魔法でヴァレノの位置を確認しようとしたその瞬間、
「ぐああああ!」
逃げる人達から悲鳴が上がった。
「なに……?」
その光景にベネッタは一瞬怯む。
一体何が起こったのか。
自分の目の前にあったはずの光景……ヴァレノと無数の黒い穴がいつの間にか、逃げているミレルの人達の所まで移動していたのだ。
「ぎゃああ!」
「うらあ! いづ!」
「どうした屑共! さっきの威勢は!!」
さらに、今までその場から動かなかったヴァレノが無数の穴で転移し続け、逃げる人々を襲っている。
黒い穴からまた別の黒い穴へ移動するその姿はまさに縦横無尽。
応戦しようと一人の男性が鍬を振り回すも、そんなものが当たるはずもない。悠々とかわされ、その背中に切り傷が作られる。
ヴァレノの手にはどこから出したのか、黒塗りの短剣が握られていた。
「転移は魔力を使うから多用できないって……」
目の前の光景から目を背けるようにベネッタは呟いた。
即座に、違うと、ベネッタは首を振る。頭に残る常識を捨てるように。
直前にヴァレノは魔法を唱えていた。
明らかに今までと雰囲気が違っていたあの魔法は血統魔法に違いない。
だとすればそんな制限は無視出来てもおかしくない。
魔法を放ったら消えていた黒い穴もヴァレノの移動だけでは消える様子も無い。
積み重なった現実への影響力が魔力の消費を限りなく低くしているのか、それとも自身だけ転移ができる存在へと変えるのか。
やめさせなければと、ベネッタは足を動かす。
「『聖撃』!」
魔法を放つも、ベネッタが放ったのは単純で直線的な魔法。縦横無尽に黒い穴を転移するヴァレノに当たるはずもない。
魔法を撃ってきたベネッタを無視して、ヴァレノは手あたり次第に短剣を振るい、逃げる人々の背を狙い続ける。
戦っていたさっきまでとは違う。
急激な無力感がベネッタを襲った。
「ボクとの戦いはどうしたのヴァレノ! ボクには勝てないって怖気づいたー!?」
何とかこちらを向かせようとベネッタは挑発する。
ヴァレノは声には反応し、走ってくるベネッタを一瞥した。
「最初に言っただろう。私は無益な戦いは望んでいない……ああ、そうだ。お前に乗せられてつい応戦してしまったのだ……こいつらに石を投げられて思い出したよ。私はこの恥さらしの住民を殺せればそれでいいのだと!」
ヴァレノは再び住民達に目を向ける。
「『黒い穿針』!」
黒い穴から黒い針のようなものが住民目掛けて放たれる。
無数の黒い穴から放たれた魔法は逃げる住民の足や腕、腹に突き刺さり、走る住民を草原にこけさせる。
「そうだ! 本来お前らがそうなるべきだったのだ! 私達ではない……! 何故お前らがのうのうと暮らしている……! 私達がいなくなってから栄えている……! 領主は私だ……私なのだ! ここは――私の土地だ!!」
誰が見てもヴァレノが冷静さを欠いているのは明白だった。
意味の分からない叫びを繰り返し、先程まで相手していたベネッタを無視して平民を襲うその姿は狂っていると言っていい。
「やめて! やめてよ!」
その狂った魔法使いをどうにもできない自分の弱さを痛感し、ベネッタの目尻に涙が溜まっていく。
ここにミスティがいたら黒い穴全てを凍らせただろうか、ルクスがいたら黒い穴のどこからヴァレノが出ても巨人が薙ぎ払っただろうか、エルミラがいたら出てきた瞬間に燃やせただろうか、アルムがいたら――こんな弱気な気持ちにはならなかっただろうか。
任された、自分はまかされたのに……他の人だったら、ここにいたのが違う人だったらよかったのに。
「ヤコウ様の許可をもらった今私を止める者はいない! 私に殺されるのもヤコウ様に殺されるのもお前らにはお似合いだ! この国で最も下種なお前らにはな!」
「ふざけんな! 俺達が何したってんだぁ!!」
怪我をした女性に肩を貸して走る一人の男性がたまらず叫ぶ。
自分達にはこんな目に合う覚えがない。
やっと、やっと手に入れた豊かな生活を突然壊される理由など無いと。
「何もしなかったからこうなる! 霊脈が見つかった途端にはしゃぐお前らを見ていると反吐が出る! 何もしていなかったお前らが! ただ無為に日々を過ごした連中の癖に!
さも自分達で幸せを掴んだなどとよくそんなホラが吹けたものだ!」
「俺達だって――!」
「お前らの声など聴いていない! お前ら平民など誰だろうと変わらない! たまたまここにいただけの屑共に喋る権利があると思うな!」
飛び交う誹謗の声。
魔法使いの力をただ受けるしかない人々の心をなじっていく。
ベネッタがどうすると考えている間にもその口は怒りのまま声を発する。
「平民などいてもいなくても大して変わらん! こいつらでなくても! 従順であればそれだけでいいのだ! お前らに個など必要ない!
平民は大人しく従え! 夢など見るな! 魔法の才無き下等な人種が霊脈の恩恵にあずかるなどおこがましい! ここを統べるのは霊脈を価値あるものとして喰らう者こそ相応しい!!」
「……!」
ぷつん、と何かが切れた音がした。
今何て言った。
何て言ったこいつは――!
「やめてよ……」
制止の声はミレルの人々を思ったわけではなかった。
「いや……!」
友人に誇れるようにと動いていた体の原動力が変化する。
ベネッタの中に渦巻く怒り。
険悪な関係の父親にすらこんな感情は抱いたことがない。
こんなのは貴族じゃない。
こんな人間に魔法の力を振るわせていいわけがない。
「やめさせるんだ……!」
確かに今を生きる平民には魔法の才が無い。
たまに魔力を持って生まれても魔法を構築できる術がない。魔力を魔法に変換するのは才能が物を言う。
だがベネッタは知っている。
才が無くても進む人間を。
才が無くとも、別の方法で実を結ぼうとこの世界に乗り込んできた身の程知らずの友人を。
知っている――才が無くとも、人間には夢を見る権利があるという事を!
「できる……!」
思考が回転する。
魔法の記憶がベネッタの頭を巡る。
自分の魔法の可能性。
治癒と防御の信仰属性。
そして一族から継いだ血統魔法。
縦横無尽に動き回る敵の魔法使いをどうにかする術を導き出す。
「無い……無いよ……」
何度考えようとそんな都合のいい魔法は持ってない。
ベネッタが出来るのは治癒と固い防御。
そして……魔力を持つ命を見る事が出来るだけ。
一瞬、その声色に弱気が顔を覗かせる。
「違う……! 無いんだったら……作り変えるんだ……!」
一瞬、顔を出しただけで、弱気は強い意思に塗り潰される。
そう、こんな決意は無茶ではない。
あの日――四百メートルを超える巨人に立ち向かった友人に比べれば――!
「できる……きっと……!」
見開いた目に魔力が巡る。
焼き付くような熱がこもった。
そんな変化を無視して、普段ならばあり得ない……例え有力な貴族でも口に出すのは憚れるような言葉をベネッタは口にする。
「ボクは魔法が使える……才能ある貴族なんだから!」
……血統魔法が魔法使いの切り札足る由縁は何か。
それは言うまでも無く、先祖から代々積み重なる"変換"による確固たる現実への影響力。
先祖から唱え続けられ、現象として世界に残る他と一線を画した魔法形態。
しかし、どうだ。
唱え続けられているとはいうものの、"変換"によって作られる魔法の形は人によって異なる。
例えば、炎の剣を作るとしよう。
魔法の最も重要な工程である"変換"は魔法使いのイメージによって属性、形、性質を作り上げる。
では――果たして剣とは何だ?
万人は常に真っ直ぐな両刃の剣を思い浮かべるか? フランベルジェのように揺らめく刃を思い浮かべる者はいないか? レイピアのように刺突用の剣を思い浮かべる者は本当にいないのか?
否。
人間の認識とはその個人のもの。そして魔法は、使い手のイメージから構築される現実だ。
つまり……使い手によって魔法の形や性質は時に変質する。
血統魔法が魔法使いの切り札足る由縁は何か。
それは言うまでも無く、代々積み重なる"変換"による確固たる現実への影響力。
そしてもう一つ、それは今日まで積み重なった先祖達の"変換"そのものにある。
使い手によって魔法の形や性質は変質する。
つまりそれは――先祖の数だけ、血統魔法には可能性があったかもしれないという事。
「魔力を捉えて――!」
掘り起こせ、刻まれた記憶を。
「命を掴め――!」
掬い上げろ、記録の海から。
「この瞳はきっと――それができる――!」
その銀の瞳は本当に――魔ある命を見る為だけのものだったか?
「【魔握の銀瞳】!」
脳内を巡った解答。
一つの確信を持って、ベネッタは自身の血統魔法を唱える。
重なる声は風のように草原を駆けた。
銀色の魔力が翡翠の目に溶けていく。
混じって一つに。
銀の涙が頬を伝う。
今――魔法は変革する――!
「む……?」
変化は一瞬だった。
突如、ヴァレノに異変が訪れる。
「何だ……これは……!」
攻撃の手が止まる。
手に持った短剣が次の獲物の背中寸前で止まった。
ヴァレノの動きが止まった事で、背中を突かれるはずだった人の背中が遠くなっていく。
「どう……なってる……?」
手だけではない。
異変を感じ、さらには転移をしようとするがその体が動かない。
もがこうとするも、四肢はぴくぴくと動くだけ。
――魔力切れ?
いや、ありえない。
自身の血統魔法は使い手に転移を自由にさせる血統魔法。
魔力が無くなっても転移の穴さえあればこの体を逃がすことはできるはず。
「一体――!」
草原を駆ける少女が走る音。
気付いた時にはすでに目前まで迫っていた。
「『鉄槌の十字架』!」
動かせない体の中、瞳だけはヴァレノの意に従い動いてくれた。
ヴァレノは眼球の動きだけで音のする方向を見る。
そこには跳んできた魔法の使い手。その瞳は銀色に妖しく輝き、ヴァレノの姿を捉えていた。
「二度とその汚い口を開かないでよ! ヴァレノ!」
頭上に現れる巨大な魔力の十字架。
動けない体。頭上に現れる魔法。
ヴァレノはこれから起きる自分の結末を予期して歯軋りする。
「そんな……そんな馬鹿な!」
体が動かないのはこのベネッタとかいう少女の魔法?
そんなはずはない。
こんな魔法があるのだとしたら、ニードロス家が下級貴族なんかで甘んじているはずはない!
「こんな雑――!」
言い終わる前に、ヴァレノの頭に十字架が落とされる。
後頭部に振り下ろされたそれはまさに鉄槌。
もがいていた四肢は力無くぶらっと垂れ下がり、ヴァレノの意識が飛んだ事を伝えていた。
周囲にあった黒い穴も砂のように消えていき、ヴァレノの体も地面に落ちる。
「はぁ……はぁ……ボクの瞳を覚えておけ……! この瞳は――あんたを一生逃がさない――!」
輝く銀の瞳。
異常な消耗を感じる自身の魔力。
息を切らしながらベネッタはヴァレノを見下ろした。
「やった……? やってくれたあああああ!」
「へ?」
「やった! あの嬢ちゃんがやってくれたああ!」
「助かった……」
ミレルの人々から歓声が上がる。
ここに残っているのは怪我をして早く逃げられなかった人々。
ただ殺される順番を待っていただけの人々が歓喜と安堵の声を上げる。
「へへ……えっと……こうで、いいのかな?」
ベネッタは弱々しく片腕を挙げた。
その行動が正しかったのかすらベネッタには自信が無い。
だがそれはミレルの人々にとって、平民を守ってくれる強い貴族の勝ち鬨だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
少し時間がかかってしまい、いつもより時間が遅くなってしまいました。
魔法を変化させるのは解釈の拡大です。
アルムとルクスはすでにやっていますね。