120.大百足攻略戦4 -変換-
「カエシウスの庇護下で暮らす下級貴族が英雄気取りか」
「ボクが戦ってる間に迂回して先に行った人達と合流してください!」
ミレルの人々に指示を出し、ベネッタは左手で制服の一番上のボタンを外し、右手を震わせた。
首元からは普段制服で隠している十字架が顔を見せ、右手からはじゃらっと、手首に巻かれた細い鎖の音が鳴り、袖からも十字架が現れた。
「『黒い穿孔』」
「『抵抗』!」
ヴァレノの周囲に黒い穴が再び増える。
景色に黒い水を落としたかのように穴は広がる。その数は十六。大きさは大小様々だ。
対するベネッタは無属性の補助魔法を自身にかけた。
属性効果に抵抗する補助魔法を唱えるベネッタは教科書通りと言ってもいい。
「『恩寵の加護』!」
そして強化の魔法をすぐさま唱えた。
相手は闇属性魔法。攻撃力の低い属性に対して信仰属性は治癒や防御を得意とする魔法。
属性の相性は悪くない。
問題は、相手が転移魔法という事。
ベネッタは自身が飛ばされる事だけは避けなければと、ヴァレノの魔法にすぐさま反応できるようにあまり得意ではない強化の魔法を唱えていた。
ヴェールのような魔法の幕が頭からベネッタを包み込む。
「『黒の穿斬』!」
黒い穴から放たれるは単純な魔力の斬撃。
十六ある黒い穴の内の数個から下位魔法でよく見られる黒い斬撃が放たれる。
同じ魔法で放出された魔法とは思えないほどに、斬撃の大きさは黒い穴の大小で変わっていた。
「『守護の加護』!」
「ちっ……信仰か……!」
前方に防御魔法を置き、到達する斬撃を防ぐとベネッタは横に跳ぶ。
斬撃は四つ目で防御魔法を破壊するも、すでにベネッタはいない。五つ目、六つ目の黒い斬撃が地面を切り刻んでいく。
そんなベネッタの魔法を改めて見てヴァレノは舌打ちする。
「『聖撃』!」
あれ、とベネッタは攻撃魔法を唱えて気付いた。
黒い穴が僅かだが減っている。
そう、丁度襲ってきた黒い斬撃の数くらい――
「『黒い穿針』」
攻撃されてもなおヴァレノは動かない。
不意打ちでなければこんな直線的な魔法に怯える必要は無いと言っているかのように魔法を唱える。
ベネッタからの不意打ちを受けた時と同じように、黒い穴から伸びる黒い針のようなものがベネッタの魔法を阻んだ。
ベネッタの魔法ではヴァレノの魔法を貫ける威力が無い。
それは信仰属性ゆえの弱点。
治癒や防御は得意でも、攻撃性に欠けている属性の宿命だ。
それでも魔法で防いでくれるなら上々だ。
ベネッタの狙いはヴァレノの魔力の消耗。
魔力が無くなり、魔法さえ使えなければ魔法使いとてただの人。ミレルの人々を傷つけることさえできはしない。
「お前に付き合ってる暇は無い……!」
「じゃあ早くボクを倒せばいいじゃん……! そんな弱い魔法ばっか乱発してないでさー!」
「ほざけ……! 『囚人の黒檻』!」
黒い穴から今度は黒い鉄柱のようなものが射出される。
先端に鋭さがあるわけではないが、速度は先程の斬撃より早い。
「やっぱり飛ばしてくるだけ……」
ベネッタは立ち止まって迎撃を選択する。
ガギイイ、と金属が擦れるような音が草原に響いた。
ベネッタが纏っているヴェールを正面に集中させ、黒い鉄柱のような魔法を横に弾いた音だ。
黒い鉄柱を模した複数の魔法の棒は数個当たってもベネッタのヴェールを貫けない。
ベネッタの纏うヴェールは薄いように見えて強固な盾。
身体能力を上げ、かつ全身を加護によって包む強化の魔法。
生半可な闇属性魔法では突破できない。
「ちっ……『黒い穿孔』」
舌打ちしながら、再び、ヴァレノは先程と同じ魔法を唱えた。
ヴァレノの周囲に再び黒い穴が展開される。
今の魔法を撃ち終わった瞬間、消えていった黒い穴を補充するように。
「減ってる……! それに――!」
ベネッタはそこでようやく理解した。
便利なのに何故珍しいのかを考えていた。習得難易度が高いというのもあるだろうが、便利ならもっと使い手が増えてもいいはずだ。
ならば何故珍しいとされるのか?
ベネッタは自分が信仰属性ゆえに気付いたのだ。
信仰属性もまた珍しいと言われる属性。
生き物を治癒できる唯一の魔法を生み出す属性として治癒魔導士となる者が主に学ぶ。しかし、魔法大国のマナリルでさえ治癒魔導士は年々減っていた。
それは何故か……単純だ、生き残れない。
魔法使いの戦いに置いて戦闘能力というのは重要だ。
信仰属性は治癒や防御には向いているが、敵を倒すという点において致命的に向いていない。
転移魔法も同じ。
敵を倒すという点において向いていないのだ。
転移魔法は、本来使い手の周囲に放出されるのが基本である魔法を転移で作った魔法の穴からも放出できるという特異性はあるものの、その属性は闇。信仰属性に毛が生えた程度の攻撃能力しか無い。
召喚魔法のように敵を打倒する召喚体を呼び出すこともできず、ただ攻撃力の低い魔法を連続で放出するしかないのだ。
そして連続で放出するには、ヴァレノの周囲に現れる黒い穴を常に維持する必要がある。
"いける……!"
ベネッタは確信する。
魔力量に自信があるわけではない。
だがベネッタの属性は信仰属性。治癒と防御に長けており、攻撃力の低い闇属性にとっては厄介な壁で長期戦になりやすい。
魔力を使わせ、この場に釘付けにするという案が現実味を帯びてきた。
「信仰属性が……! 調子に……ん?」
ベネッタの相手に早くも嫌気が差し始めたヴァレノに、ぼすっ、と布に何かが当たる音と、何かが服に当たった感覚を感じ取る。
ヴァレノは視線を下に向けた。
背の低い草の生える地面に転がったのは石ころだった。
「なんでもいい! 投げろ投げろ!」
「魔法使いってのは気散るのが嫌だって領主様が前言ってたんだ! 何でもいいから投げて嬢ちゃんを援護しろ!」
「ちくしょう! あんまりでかい石がねえな!」
「当たらなくてもいい! 気散らせ!」
ヴァレノが目を向けると、迂回して逃げる人々に混じって、未だ闘志のある数人の男性が石や泥の塊をヴァレノに向かって投げている姿があった。
ヴァレノに届く頃にはほとんど勢いを失っていて服の上から痛みなど与えられていない。
遠くから投げているので届かないのがほとんどで、今のもヴァレノに偶然、一つの石ころが当たっただけ。それは全くダメージにならない。
今度は、べしゃっという湿った音を立てて地面に落ちた泥の塊が跳ねてヴァレノの服に土をつける。
「私に……何を……している……?」
わなわなと震えるヴァレノ。
それが怒りによるものだというのは明白だ。
「ただ逃げ惑えばいいものを……」
石ころがまた、ヴァレノの足に転がってくる。
「ただ従っていればいいものを……!」
ヴァレノの黒い靴に、こん、と転がってきた石が当たった。
ヴァレノの様子に気付き、まずい、とベネッタが叫ぶ。
「駄目! みんな早くボク達から離れて!!」
ベネッタとて魔法使いの卵。
魔法使いは精神が揺れれば魔法の精度が落ちるのはわかっているし、ミレルの人々が少しでも戦おうとする気持ちもわかる。
だが――未だ出てきていないものがあるのをミレルの人々は知らない。
それは戦況を左右する貴族の切り札。
出会った事も無い先祖からの贈り物。
歴史が築き上げた一族の才の結晶が――!
「どこまでもこいつらは――屑というわけだ――!」
挑発じみた言葉をぶつけられ、直接戦っているベネッタに対してよりも石を投げてくる平民達に対してヴァレノは激しい怒りを示した。
ベネッタは身構える。
ヴァレノの体に今までとは違う魔力が迸ったのを感じた。
叫びながらヴァレノは指を鳴らす。
ヴァレノの頭上にあった黒い穴から、黒い水のような魔力が降り注いだ。
「【蓋無き鳥籠】!」
その声は幾重にも重なって、草原に重く響く。
鉄の塊を鳴らしたような鈍い声。
滝のように降り注いだ黒い魔力に飲み込まれ――ヴァレノがその場から姿を消した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
戦闘を書くのは楽しいですが、今回は結構早めに駆け抜けられると思います。……多分。