119.大百足攻略戦3 -変換-
ミレルの町から伸びる馬車の轍も新しい道。
普段ならありえない人数がその道に沿ってミレルから離れようとしていた。
ミレルの住人はラーディスの指示によって二方向に分かれて避難している。
「はい、もう大丈夫」
ベネッタのいる集団は小さいながらも流通が盛んで、すぐに近隣に伝達できるであろうニヴァレ方面へと避難しようとしていた。
ラーディスが纏めているほうはより南に。北部ならカエシウス家、東部ならオルリック家、西部ならパルセトマというように、南部にも"ダンロード家"という有力な貴族がいる。
急速に成長するトラペル家をよく思っていない家ではあるが、そこに救援を求めるとラーディスはベネッタに言い残し、二人は別れたのだった。
「ありがとうお姉ちゃん!」
「ありがとうございますって言いな! 本当にありがとうございます、ただの擦り傷まで……」
「わっ! ママー!」
怪我をしていた茶髪の少女はベネッタの治癒を受けて笑いながら礼を言う。
そんな少女の母親も少女の頭を手で下げさせながら、自身も深くベネッタに向けて頭を下げてきた。
「これくらいなら魔力の消費も大したことないんで大丈夫ですよー!」
先導する貴族が全く知らないベネッタになった際には住民の顔には不安が浮かび上がっていたが、ベネッタが足を怪我した女性を治癒した途端、住民の不安は瞬く間に和らいだ。
ルクスの言う通り、怪我を治せるというのは目に見えて住民を安心させる要素だったようで、こうして住民を治療しながらベネッタの受け持った集団は何とかニヴァレのほうへと進んでいる。
。
ベネッタの誘導する集団は五百人以上いるが、人数に比べれば泣いている子供などは少なく、苛立ちで喧嘩する者や恐怖でパニックになっている者などもまだいない。故郷を破壊されている状況を考えれば避難するスピードは早いほうだ。
そこはミレルの住人が逆境に強い証拠であろう。
それでも道のりが長く感じるのは、見えるのが見渡す限りの草原と地平線の先にある山だけいう景色のせいだからだろうか。
「何か聞こえるねママ……」
「いいから。ほら行くよ」
少女の親が促し、治癒の終わった少女は再び歩き始める。
少女の耳に届いたのはミレルの方から聞こえる地響き。そして建物の倒壊する音。
人の足で考えればミレルからそこそこ離れているのだが、大百足が町を破壊する音はここまでしっかりと聞こえてくる。
この地があまり障害物の無い草原だからというのもあるだろう。歩いている住民にとってはこの音が今はどんな騒音よりも煩わしい。
ベネッタも肩越しに音の方向を見てしまう。
その音の中心には間違いなく自分の友人がいると知っているから。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん? なーに?」
少女の声でベネッタは隣に並ぶ。
不安を顔に出さないよう、笑顔を作って。
「大丈夫だよね?」
何のことを言っているのか。
決まっている。全部だ。
自分達が住む町のこと、今歩いている自分達、そして現れた怪物のこと。
遠くから聞こえる破壊音はこの少女に不安を植え付けようとしている。
大百足が動く限り、それは人々に不安をもたらすのだ。
「大丈夫大丈夫。ボクの友達すっごく強いんだから」
「ほんと?」
ベネッタは細い両腕で小さくガッツポーズをし、友人の強さをわかりやすく協調する。
少女の不安を解消する手段はミレルの町を襲う大百足が倒される他無い。
「そりゃもうすごいんだよー? 少し前だって悪い魔法使いをやっつけたんだからね」
「じゃあ……お姉ちゃんもすっごく強い?」
「え……?」
一瞬、言葉に詰まる。
不安そうな表情でベネッタを見上げる少女にベネッタは生唾を飲み込んだ。
「勿論。ベラルタ魔法学院の生徒だからね!」
「よかったー!」
笑顔が上手く作れていたかわからない。
それでも少女の表情から不安は消え、笑顔になっていた。
「きゃああああああああ!」
その問答から悲鳴は上がるまでに時間はかからなかった。
ベネッタが悲鳴が上がった方向を見ると、宙に黒い穴のようなものが浮かび上がっている。
人々は騒ぎ出し、逃げ出すように散るものもいる。
何かが起こっているのは明白だった。
「なに……?」
「お姉ちゃん……」
ぎゅっと、少女が母親の手を強く握った。
ああ、やめてほしい。これ以上不安を煽るのは。ここにいるのは弱い、とても弱い貴族なのだから。
ふー、と弱気を息にして吐き出してベネッタは走り出す。
「お姉ちゃん!」
「任せて!」
精一杯の強がりで背後の少女の声に応えてベネッタは走った。
「女子供は下がれ!」
男性の必死な声が聞こえてくる。
宙に現れたあの黒い穴は間違いなく魔法。
それでも立ち向かおうとする誰かがいる声だった。
「男は守れー!」
「逃げろ逃げろ!」
逃げる人達の動きに逆らうようにベネッタは走っていく。
固まっていた集団は散り散りになり始めていた。
声が近くなり、人の波はやがて無くなる。
道の真ん中には一人の男がいた。そしてその男に数人の男性が農具を向けている。
数人の男性の後ろには逃げ遅れた人々が大勢いる。
道を塞ぐようにして現れたその男のせいだった。
「愚かだな」
男の指が鳴る音。
男の魔法によって現れたその黒い穴から生える針のようなものが、一斉に立ち向かおうとしていた数人の男性を一度に襲った。
幸い、死傷者は出ていない。
農具を構えていた数人の男性は鍬や斧で抵抗しようとするも相手は魔法。
使い手を中心に無数に現れている黒い穴は戦う意思のあるものすら近付かせない。
「ぐああ!」
「いでえ……!」
「あなたは……!?」
ベネッタの声に男は肩越しにベネッタを確認する。
数日前、滝の所で見たマキビではない。
消去法で大百足に協力している魔法使いはもう一人。話に挙がっていたヴァレノという魔法使いであると、すぐにベネッタは理解する。
「……ニードロス家の長女か」
ヴァレノもまたベネッタを見て呟いた。
ヴァレノが自分の事を知っている事にベネッタは驚く。
ニードロス家はカエシウス家の下についている下級貴族。
輝かしい功績も無い家系で、知らないという者も少なくない。
ヴァレノがベネッタを知っているのはダブラマを通じてベラルタ魔法学院の新入生の素性のほとんどを知っているからだった。
【原初の巨神】侵攻の際、リニスが収集した情報な為、リニスと魔法儀式をしていないベネッタの魔法の情報は無い。
だが、ここにいるという事は戦力としては数えられていないだろうと、ヴァレノはベネッタを蔑むような目で見ていた。
「どこか行け」
「へ?」
「お前にこいつらを守る理由は無いだろう。どっかに行くといい」
「何……言ってるの……?」
相手する必要はないとヴァレノはベネッタから目を背け、敵意をミレルの人々に再び向ける。
驚くベネッタにヴァレノは不思議そうな声色で答えてきた。
「だから……お前にこやつらを守る理由など無いだろう? 私は無益な戦いは望んでない。私が用があるのはここの住民だけだからお前と戦う理由は無いというだけの話だ。
安心しろ。全て殺しておいてやるからお前が逃げたなどという悪評が広まることもないだろう。……それに、どうせヤコウ様に全て殺されるのだから心配することはない」
ヴァレノは完全にベネッタを嘗めていた。
実際、ベネッタは戦闘の経験も少なく、属性も戦闘向きではなければその性格すらも向いていない。
ヴァレノの見立て通り、戦力としてはアルム達に比べて頼りない存在である。
「そんな事できるわけ――」
「できるだろう。ただ見捨てればいいだけの話だ。自分の領民ではない平民などお前には関係ないだろう」
まるでベネッタ本人が貴族の責任など普段は気にしないのがわかっているかのように、ヴァレノは言葉を突きつけてきた。
「……なるほどね」
「わかれば――」
「『聖撃』」
「なに――!?」
ヴァレノの背後から聞こえる魔法名。
無論、その魔法を唱えたのはベネッタだった。
自分の言葉に同意したかに見えたベネッタからの不意打ちにヴァレノは驚愕の表情を浮かべる。
「『黒の穿針』!」
黒い穴の間を抜けて向かってきた信仰属性の魔法に対して、ヴァレノは舌打ちと指を鳴らして黒い穴から伸びる針のような魔法でそれを防ぐ。
「駄目か」
「……何のつもりだ?」
「え? いや、わかるでしょー?」
ベネッタは不意打ちを悪びれる事も無く前に出る。
「ボクは避難する人達を守る役目がある。あなたは避難する人達を襲ってる。だったらやる事は一つでしょ?」
「役目……? 役目と言ったか」
ヴァレノは苛立ちを露にし、声にして吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しい。ここにいるという事はお前はただ戦力外だっただけだろう。力も無いのにたまたまいたからこの平民どもを押し付けられただけだ。戦う力があるのならまだミレルにいて戦っているはずだからな。もう一度言おう。お前にこいつらを守る理由などない」
「まぁ、あなたがそう思うならそうなんじゃない?」
ベネッタは素っ気なく返す。
「足手まといが体よく厄介払いされたと気付いていなかったか? 貴族ってのはいつもそういうものだ。マナリルは他の国と比べて貴族が多い……だからお前みたいな余りものはこういう外れくじを引かされるだけの話だ」
経験があるかのような物言いでヴァレノはベネッタを責め立てる。
何かに火が付いたようだった。
「そうかもね」
「……下級貴族の癖に随分自信があるな? それとも平民なら誰でも守る正義感にでも溢れているのか、くだらない」
やけに落ち着いているベネッタにヴァレノはさらに苛立つ。
視界に入れようともしていなかった最初とは違い、その目はしっかりとベネッタを敵として見ていた。
「まさか」
そう、自信なんてあるはずもない。正義感すらないのもわかってる。
自分が戦いに向いていないなど百も承知。
戦うなんて生きていく上でずっと苦手項目に違いない。
自分はきっと薄情者だ。一人だったら逃げ出していたかもしれない。
それでも――ベネッタは揺れない。
いつもなら突き刺さるかもしれないヴァレノの言葉を流すのは今のベネッタにとって、少女の前で精一杯強がるよりも簡単だった。
"ベネッタくんが適任だと思う"
友人の言葉が頭の中で再生される。
その言葉がヴァレノの言葉を全て否定していた。
たまたまいたから?
押し付けられた?
外れくじで余りもの?
ベネッタは鼻で笑い飛ばす。
「口ぶりからしてあなたにも何かあったのはわかるよ。ボクみたいなのにそういう事言いたい気持ちもちょっとわかる」
「お前に何が――」
「でも、あなたの言葉は全部……ボクには当てはまらないんだよね」
……知らないだろう魔法使い。
自分の友人達がどんな人達か。
そんな友人達がどれだけ真っ直ぐな目で自分にこの場を託してくれたかなど。
「守る理由ならある!
ボクの名前はベネッタ・ニードロス! ここにいるミレルの人達を任された貴族だ! ヴァレノ!」
ベネッタは精一杯の虚勢を張って宣言した。
自分は貴族。平民を守る為に戦う者だと。
託してくれた友人のように、今だけは強い貴族としてこの場に立つ事を誓って。
「下級貴族が……! 私の名前を気安く呼ぶな」