116.大百足攻略戦 -準備-
『刻限じゃな』
朝日は昇り、いつも通りミレル湖に眩い光が注がれる。
大百足に魔力を取り込まれてもなお輝く霊脈の魔力の光と水に反射する朝日の光でミレル湖は一層きらきらとしていた。
そんな美しいミレル湖に浸かっていた大百足が動きを見せる。
普段ならばありえない異物であり怪物。
湖畔に百人の生贄が用意されている様子は無い。
『マキビ』
「……おう」
呼ばれて返事をするのはマキビ。
昨夜マキビはミレル湖が見える葡萄畑の小屋から戦いを見ていた。
無謀にも複数の魔法使いの卵達が大百足に抵抗する姿を。
今ここにいるのは朝日が昇ったら湖畔に来るようにすでにヤコウ……今はヤコウと呼ぶのすら躊躇われる大百足が事前に指示をしていたからだった。
『任せたぞ』
「ああ、きっちりやるさ」
『それでこそ、そなたを雇った甲斐がある』
大百足は無数の赤黒い足を一斉に動かし始めた。
一夜明け、その巨躯はさらに一回り大きくなっており、さらには大百足を構成する体節も数えきれないほどに増えている。
【原初の巨神】のような存在で圧倒するような巨体とはまた違う、底の見えない無限に連なる黒い甲殻。
その体節一つだけでも十メートルの大きさはあり、そんな体節が連なった形の生き物が移動しようものならその通り道は全て踏みつぶされ更地になる。
全長だけならば【原初の巨神】でさえもとっくに超えていて、その姿は遠くから見れば大地を穿つ黒い道。
霊脈にその体を接続したまま、大百足は町へと侵攻する。
湖畔でその様子を見ているマキビが、この大百足の体は無限にあるのではと錯覚するほどに湖から一つ、また一つ黒い体節が姿を現していく。
昨日、ミレルの住民が苦労して逃げた丘の道をものの数秒で乗り越え、一番近い居住区へと大百足は乗り込んだ。
『さて、どうするか』
その天にも届くであろう長い体を持ち上げ、居住区を見渡すが、流石に湖畔に一番近い居住区には人気が無い。
しかし、人の営みは残っている。
弱き者が寄り添い、作り上げた文明の跡。
あえてこの場で暴れまわって壊す意味もない。
町は人がいなければ勝手に死ぬ。それどころか、自身が通るだけで半壊するだろう。
ミレルは丘に生えている葡萄畑を挟んで居住区がいくつかわかれている。
次の丘に大百足が向かおうとしたその時、
「【風声響く理想郷】!」
『ほう?』
ミレルの朝を祝福する合唱。
美しい音を奏で、緑に輝く突風が吹き荒れる。
持ち上げていた巨体の全身にその風を受け、大百足は勢いに押されて少し後ろに下がる。
驚くべきはその現実への影響力。
今、大百足が持ち上げていた部分だけでも二百メートルはある。
その全身に今の大百足に影響を及ぼすほどの突風をその魔法は起こしていた。
「化け物が……! "完全放出"でこれか……!」
『ヴァン・アルベール……死にに来たか?』
大百足の体勢は崩れた。だが、その体へのダメージは極めて軽微。足を一本切り裂く事はできたが、大百足はそれを気に留める様子は無い。
その触角は魔法の持ち主を捉える。どこに隠れていたか、屋根より少し高い空中にヴァンはいた。
大百足を襲った突風は当然ヴァン・アルベールの血統魔法。
ルクスを助ける際に見せた時とは違う自身の血統魔法の本気の放出。
それでも大百足の甲殻を破壊するには至らなかった。
元々風属性魔法は威力が低い魔法。それでも人間相手なら十分な殺傷力を持つ。
だが、目の前にいるのは正真正銘の魔法の怪物。
自分がどんな化け物を相手にしているのかを改めてヴァンは認識した。
「"放出領域固定"」
『まだいたか――!』
「【白姫降臨】!」
ミレルの地に再び魔法の合唱が響いた。
それは静謐に似合う詩。
体制の崩れた大百足とその周囲はミスティの血統魔法によって瞬く間に氷の世界へと変わる。
最初に戦った時よりも大百足は一回り大きくなっているが、町に侵攻しかけている大百足の体全てをミスティは凍り付かせた。
だが――
「……駄目ですわね」
氷を割り、砕く音。
凍結された大百足とその周囲の世界から氷は消える。
湖畔で戦った時のように、大百足はものの数秒でミスティの血統魔法を破った。
『なるほど。確かに儂に勝てる可能性があるとすれば、あの中ならそなたらしかおらんじゃろうな』
触角はヴァン同様、先程は見つけられなかった屋根の上に立つミスティの姿も捉える。
その距離はヴァンに比べて比較的近い。
「【異界伝承】!」
『おっと、これはこれは……場違いな者もいたか』
「【竜宮白竜譚】!」
突如出現する白い龍。
こことは違うどこか別の祈りの形を、決意に満ちた声が唱えた。
その瞬間、ミスティは屋根から飛ぶ。
現れた白い龍は使い手であるシラツユを乗せ、大百足の脇を通り過ぎた。
そして屋根から飛んだミスティを乗せてそのまま大百足から距離をとる。
自身の魔法で飛行するヴァン。そして飛行する魔法に乗ったミスティとシラツユ。
三人は戦う意思を持って大百足に立ち塞がる。
『どこに隠れていたかはわからぬが……あんな醜態を晒してよく生きておられるものだ……』
「今度は昨日のようにはいかない!」
『そうかそうか……それはよいよい。たまにはそんな愚かな者も必要じゃろうて』
大百足の声は嬉しそうに、人間の表情なら笑みを浮かべていただろう。
触角はぐにぐにと動き、三人の姿を記憶するように動いている。
『その様子……儂に挑む気か?』
「見てわかんねえのか、体がでかくなって知能が落ちたか?」
『くはははは! よい、よいぞ……振るった蛮勇に後悔が無いといいのう!』
ヴァンの挑発めいた声に応えたわけではなく、大百足は現れたミスティ達にただただ敵意を見せる。
巨木のような触角は三人を捉え、今度は激しく動き始めた。
通常のサイズであれば見た目に忌避するだけで直接害は無いが、その触角はすでに二十メートルを超している。
触覚が動き、町の建物にかするだけでその建物は破壊されていく。
「まじか……本当に乗ってきたな」
ヴァンは大百足から離れるように風に乗って移動する。
「乗ってきた……!」
「後は手筈通りにですわ、頑張りましょうシラツユさん」
「はい!」
同様に、ミスティとシラツユを乗せた白い龍も大百足から離れるように移動し始めた。
「で、どうするんだ?」
ラーディスの部屋で大百足と戦う事を決意した直後、ヴァンは具体的な考えを求めるように聞いてくる。
「どうするも何も……そんなんやれるの一人なわけで」
エルミラがそう言うと、シラツユとラーディス以外の視線がアルムに集まった。
「お願いしますね、アルム」
「悔しいけど、僕達じゃ可能性は無いからね」
「見せてないけど、私の血統魔法でもあんなの無理だから」
「アルムくんのあれしかないよー!」
「まぁ、俺の血統魔法でもあんなん無理だからなありゃ。必然そうなるな」
ヴァンもわかりきっていたようで、驚きはない。
だが、その様子を見て驚きの声を上げる者が一人いた。
「まさか……あれ……一月前のも本当は君なのか?」
今のやり取りでラーディスは察したようでアルムを指差した。
あれとは当然、【原初の巨神】の一件であろう。
【原初の巨神】を破壊した人物は関係者以外にはオウグスとヴァンの二人だと公表されている。
だが、大百足を倒す者として視線を集めたアルムを見てラーディスはその公表が嘘であると気付いたのだった。
ラーディスは入学式の日、ルクスの血統魔法をアルムが破壊している所も見ているギャラリーの一人でもある。
だからこそ、その考えに辿り着いたのかもしれない。
「そうだ、一月前、【原初の巨神】を破壊したのは何を隠そうこの平民だ」
改めて言われるのがアルムは何となく照れくさくなったのか、頭をかいた。
「まじか……」
「隠して話を進められる状況じゃないから言ったが……他言したら普通に処罰もんだ。あんたもだ、シラツユ。他言すれば書類改竄や魔法使いの不法入国どころの罪で済むと思うなよ」
「え? え? ほ、本当に、ですか?」
シラツユは信じられないようで、きょろきょろと冗談だと言い出すのが誰か探すように全員の顔を順に見ていっている。
無論、こんな状況で冗談を言う必要があるはずないのだが、それほどに信じられなかったのだ。
「実は私とルクスさんも実際に破壊するところは見ていないんですけどね」
「ベラルタ方面で光が昇るのは見えたけど、破壊するところまでは流石に見えなかった。
ドラーナの馬は怯えていたせいでベラルタに向かうのも遅れてたから」
「ほんとにすごいわよ」
エルミラの声に同意するようにベネッタもうんうんと力強く頷く。
シラツユとラーディスに至っては【原初の巨神】の実物すら見ているわけではない。
だが、知識はある。
常世ノ国にすら伝わる千五百年前に存在した魔法使いスクリル・ウートルザの血統魔法。
その魔法は、大地そのもの、動く山、国落とし、どの書物でも等しく巨大な災害に等しい魔法とされている。
ラーディスもそれが四百メートルを超す巨人だったというのはベラルタの住民達からの噂で聞いていた。
そんな魔法を――この平民が破壊した?
俄かには信じ難い。
ヴァンは他言するなと言ったが、他言したところで誰が信じるというのだろうか。
「それでアルム、いけるのかい?」
「わからんが、やる気はある」
「なら主軸は君だ」
ルクスは一度自分の血統魔法を破壊されているのもあってか、アルムの言葉を疑う気は全くない。
託すように、アルムの肩に手を置いた。
「私達はそれの援護だねー!」
「ほんと、私達に援護されるとか贅沢な男だわ」
「贅沢とは縁が無いから光栄だ」
「あら、いつもこんな美女三人と一緒にいるのは贅沢じゃないっていうの?」
「え? あ、そうか……すまん。そう考えると俺は普段から贅沢なのか……」
からかうエルミラに馬鹿正直に考え込むアルム。
ミスティはエルミラを呆れたように窘める。
「もうエルミラ……からかわないでください。それに話が逸れますわ」
「ごめん、こういうやり取り久しぶりに感じてつい……」
そんなやり取りを端から見てたヴァンが軌道修正すべく口を挟む。
「話を戻すが……俺達が戦う気になったとしても、あいつがまず乗ってくるかだな。
アルム、お前の魔法はてきとうに放出してあれに当てられるもんなのか?」
「いえ、いくつか条件があって……」
アルムはヴァンに言われて考え込む。
頭の中でいくつか問題を挙げる。自分の切り札をあの大百足にどう当てるか考えてから再びヴァンの質問に答えるべく口を開いた。
「少なくとも一度ミレル湖から離す必要はあると思います」
「なら……あいつを誘導する必要があるな。あの巨体なら戦闘に乗るかどうかすら怪しいな……手当たり次第に襲う可能性もある……」
「それに関しては多分問題ないかと」
「あん?」
アルムの声にヴァンは怪訝な表情を浮かべた。
「……俺は人の感情や思考を読み取るのが得意じゃない」
「「「「知ってる(ますわ)」」」」
「お前ら仲いいんだよな?」
切り出したアルムにミスティ、ルクス、エルミラ、ベネッタの四人が見事に口を揃える。
学院に入ってからまだ一月半ほどの付き合いだが、アルムがどんな人間かこの四人はよくわかっていた。
「だが、命の取り合いって状況になるなら話は別だ。狩猟も戦闘も変わらない。
あいつはしっかり自分の意思で行動している。湖畔からミレルの人達が逃げ切ったら俺達を見逃すような、あの虫なりの矜持すら見せてきた。
思考があるなら、そこには必ずあいつの……獲物の行動を読める材料がある」
「矜持って……私達の事見下してるだけの気もするけどね」
「そこだ」
大百足に対して矜持という言葉を使ったのが不満だったエルミラの声にアルムが飛びつく。
「湖畔の状況と数度の会話でわかった。あいつは人間を見下してる。だが、それ以上に人間に執着してる。というよりも……多分自分を殺した英傑に執着しているんだと思う」
「何故そう思うんです?」
「湖畔での死傷者があまりに少ない。人間を殺したり食べたりすると言いながら、あいつ自身が積極的に人を狙ってないんだ」
「霊脈が目的だから人間はどうでもよかったとかはー?」
手を挙げてそう言うベネッタにはアルムの代わりにエルミラが答える。
「それなら祭りが終わって町が寝静まった時にミレル湖に行けばいいでしょ」
「あ、そっか」
ベネッタは納得したように手をぼんと叩く。
そう、人間がどうでもいいなら祭りが終わった夜。
人気の無くなったミレル湖でじっくりと霊脈の魔力を取り込めばいいだけの話。
人が集まるタイミングを狙う必要は全く無い。
「あの虫の目的は確かに霊脈なのかもしれない。その為に貴族がいないこの町の祭りの時期を狙って、ガザスの研究員を殺してマナリルの魔法使いの目を避けるような策もとってる。
だが、エルミラの言う通り、本当に万全を期すなら誰もいない時に霊脈を狙えばいいんだ。
あの巨体なら霊脈から魔力を汲み上げて、夜明けに町を襲うだけでも被害は間違いなく昨日以上になる。
それが……いかにも人を殺すのが目的のように人が集まるタイミングを狙ってるにも関わらず、避難する人達を積極的に狙うような事はしていない。俺達が来てからもだ。
あまりにあいつの行動と状況が矛盾してる。あいつが話した通り、本当に人を蹂躙するのが目的だったのなら、あの死傷者の少なさはいくらなんでも出来すぎだ。
つまりあいつは……抵抗してくる何かを望んでる」
アルムの話を聞いてラーディスは口元に手を当てる。
ラーディスは自分が戦っていた状況を思い出していた。
「確かに……あの百足がシラツユの相手をするのはわかる。途中までは勝負になっていた。
だが……自分で言うのは少し悔しいが、どの魔法でもダメージを与えられなかった俺の相手を最後までする必要は全く無い。民をただ殺すだけなら俺など無視して……いや、俺ごと避難する民を食うなりすればいい。シラツユの時は避難する民を襲うような素振りがまだあったが、俺の時は全く無かった」
ラーディスがそう言うとアルムは頷く。
「多分無意識なんだ。あの虫は俺達が来た後も避難する人間を狙う素振りは無かったし、最後の光線も色んな場所に放たれていて逃げる人達を狙ってたわけじゃない。そして……狙わないのは何故か?」
「立ち向かってくる相手に何かを期待してる……?」
「俺はそう思う。かつて自分を倒した誰かに執着してるのか、それとも代わる誰かを見つけたいのか……それは個の思考になるから俺には見当もつかないが、あいつは人を見下したような口調はするものの、戦ってる相手、もしくは戦う意思がある相手をしっかり見ている」
思うと言いながらも、その声は確信に満ちていた。
相手は規格外の自立した魔法ではあるが、人を襲うのは魔獣も同じ。
人を襲うには餌が足りなかったり、住む場所を追われて生きる為にという事情があったり、過剰魔力で暴走しているなど理由があったりする。
個によっては人間の肉の味が忘れられずに、などという嗜好すらあり、それを読んで狩りをしなければいけない時もある。
そういう意味では大百足はアルムにとって魔獣よりもわかりやすい。
人を殺すのが自分だ、と言っておきながら、簡単に殺せる相手を無視し、立ち向かってくる相手を見つめ続ける執着。
それはきっと饒舌に語った過去の再生を求めている。
自分に立ち向かう何者かの到来を。
「こっちに戦闘の意思があれば乗ってくる。間違いなく」
いつも読んでくださりありがとうございます。
幕間を挟んで本編の更新となります。
第二部も終盤です。よろしくお願いします!