幕間 -原初の教え-
「大事なのは忘れない事だよ、アルム」
少年は女性の声に耳を傾ける。
二人の服は返り血に塗れていた。
アルムと呼ばれた少年は持っている短剣は全く汚れていないが、そのシャツは赤く染まり、魔獣の死体の傍らで斧を持っているその女性は修道服の白の部分を赤くさせている。
女性は少年よりも長身でその服装はフードの無い修道服だ。修道服に似つかわしくないその手に握っている斧の刃は人の顔より大きく、柄は女性の胸まであった。
アルムの持っている短剣も短剣にしては大きいが、女性の斧からすれば玩具のように見えてしまう。
「魔法がしっかり使えるようになったのはおめでとう。私は喜びましょう。立派に夢へと近づいているようで何より。
だけど、それで私の教えを忘れるようならお前は糞だ」
「わかってるよ、シスター」
アルムは返事をして魔獣の死体に向けて手を合わせる。
幾度も繰り返した祈り。
しかし、それは決して義務的なものではない。
目の前の女性、育ての親に教わった、命に感謝する儀式をアルムは終える。
祈りを終えると、アルムはその短剣を魔獣の腹に入れる。
「どうだ、師匠ちゃんとの修行は」
言いながら、シスターと呼ばれた女性はどこからか煙草を取り出した。
アルムはそれの名称を知らないが、何かをこすると火が付く棒でシスターは煙草に火をつける。
アルムは家でシスターが煙草を吸うところを見たことが無い。
普段は全く吸わないが、狩猟の後にだけシスターは決まって煙草を吸うのがお決まりだった。
「げほっ! げほっ!」
そして咳き込むまでがワンセット。
普段吸わない人間が、狩猟の時にだけ吸うものだから体がいつまで経っても慣れていないのだ。
今日の魔獣は"ラパーダ"。草食のフォルスという魔獣に似た肉食の魔獣で人里にも餌を求めてたまに顔を出す魔獣だ。
この魔獣は過剰魔力で暴走し、一人の老人の命を奪った。
その体は過剰魔力によって普通よりも肥大化していた。
アルムは短剣に力を込めた。
「楽しいよ。本を読んでるだけじゃどうにもならなかった事が本物の魔法使いに教えてもらうと全然違う感覚だ。
こんな俺でも魔法が使えるんだから師匠はやっぱり教えるのが上手なのかもしれない」
「そうか、そりゃよかった」
アルムは顔をしかめながら魔獣を解体し始める。
この作業だけはアルムはどうにも慣れなかった。血そのものに抵抗があるわけではない。魔獣の獣臭さと中身の臭いが混じった特有のものが苦手だったのだ。
だが、苦手だからといって手は抜かない。
肉はすぐに調理して食べたり、加工して保存食に。皮はなめして服などに。
獲物の肉は出来る限り無駄にしないのが鉄則である。
「ふー……」
解体するアルムの顔にシスターは煙草の煙を吹きかける。
アルムは煙を顔に受けると、横に逸らして咳き込んだ。
「シスター……げほっげほっ……それやるの好きだな」
「いひひ。わりぃわりぃ。やりたくなるんだよ」
楽しそうにシスターは笑う。
シスターが時折吸っているせいか、アルムは煙草の臭いが嫌というわけではない。
けれど、こうして煙を吹きかけられると咳き込んでしまうのであった。
毎回、シスターはこうしてアルムに煙を吹きかける。
口調は荒っぽいものの、根は真面目なシスターの珍しい悪戯だった。
「忘れるなよ、アルム。命ってのは糧にしたやつが受け止めるもんだ」
「うん」
「俺達は今からこいつを調理して美味しく頂く。それにしっかり感謝しろ」
「うん」
「誰かに食い物を貰った時は? 自分で手を下さなくてラッキーか?」
「いや、誰かがやってくれたことに感謝して、その食べ物にあった命にも感謝する」
「それでいい。私の息子はいい子だ」
その言葉だけで、アルムは誇らしかった。
「いつも言ってるが、自覚しろって話だからな? 私達は命に支えられている。遠くで死んだ誰かや誰かが殺した動物を哀れめとか悲しめなんて聖人めいた無茶な事を言ってるわけじゃねえ。自分が食ったり勉強させてもらった命にくらいはしっかり祈ったり感謝しろって話だ」
「うん、わかってる」
「命は平等、なんて綺麗事を吐くやつは基本信用しないほうがいい。だがな、狩猟みたいに殺し殺されの関係になるとその綺麗事通りで、どっちがやられても平等なんだ。それは互いに互いの命をとろうとした結果だから。けど、だからって疎かにしていいわけじゃない。平等だからこそ尊重しろ。そして受け止めろ」
「うん」
「命に縛られろって事じゃない。受け止めろって意味だ。自分が貰ったものなんだってな……わかるな?」
「わかってる。シスターに教えてもらったことだ。忘れるはずがない」
「よしよし」
そう言ってシスターはアルムの頭を撫でる。
力加減が下手くそで、髪をがしがしとするような雑な撫で方。
それでも、アルムは終わるまで気にすることなく受け入れた。
髪はボサボサになったが。
「魔法を使っても私の教えは忘れるなよ」
「言っただろ、シスターに教えてもらったことだ。忘れないよ。忘れるもんか」
「いや……お前が思ってるよりもな……何かを殺す感触が無いってのは虚ろだぞ」
ふー、と寂しそうにシスターは口から煙を吐く。
まるで煙を全部吐き出そうとしているかのように長かった。
「感触が無いってのは自覚も薄れるってことだ。自分がやったと実感しにくいってことだ。
当然そうじゃないやつもいる。感触が無いからこそ必要以上に受け止めて病んじまうやつだっている……だけどな、その逆で実感が全く無くなるやつもいるんだよ。魔法ってのは遠くから相手をばーんってできちまうだろ?
だから余計にさ、心配なんだよ私は。魔法使って今までより相手の命を遠く感じちまうようになったお前が……私の教えを忘れるんじゃないかってな」
アルムは手を止めて上を向き、シスターの表情を伺う。
普段家にいる時とは全く違う表情だった。
シスターが何を思っていたのか、この時のアルムにはわからなかった。
ただ……自分が心配されている事くらいはわかっていた。
「まぁ、私が言いたいのはさ。チープかもしれないけど、命は大事で、そいつの最後を大事にしろってことよ」
「優しいな、シスターは」
「ひひひ! 当然! お前私に拾われてよかったなあ!」
シスターはいつも見るにこにことした笑顔に戻る。
「ほら、終わったか?」
「ああ、とりあえずは」
「よし、じゃあ水洗いといきますかー! ほら、そっち持て。頭の方」
「斧はどうする?」
「あんなもん一緒に運べるか。後で取りに来るさ」
そう言って、シスターは吸い終わった煙草の吸殻を動物の皮で作った小さな袋のようなものにしまう。
その日、アルムは妙に気になってしまって、
「シスターって何で狩猟の時だけ煙草吸うんだ?」
「あん?」
初めて、吸う理由をシスターに問いかけた。
「いや、普段吸わないけどこういう時だけ吸うじゃないか。丁寧に終わった煙草用の小さなポーチみたいのまで作ってるし……何でかなって思って」
「あー……」
アルムの問いに、シスターは口を開けながら理由を探すように空を仰ぐ。
草木の間から輝く星が見える。
「さー……何だったかなあ……」
「毎回咳き込んでるし、やめたほうがいいんじゃないか?」
「んー……そうだな……まぁ、お前が一人立ちしたら記念にやめるか」
「お、俺次第か……何か責任感じ……待てよ……?」
アルムは獲物の頭のほうを担ぎながら気付く。
シスターの言葉の意味に。
「俺の為か?」
今日までシスターに教わりながらアルムは何年も狩猟を重ねてきた。
そう、シスターは決まって狩猟の後に煙草を吸う。
狩猟し、獲物を解体するタイミングで。
なら――狩猟の後、シスターが決まって煙草を吸うのは、自分が苦手な解体する時の臭いを誤魔化す為なのでは?
「ああ? それは流石に自意識過剰だ馬鹿。ほら、行くぞ」
「……ああ」
そう言って足のほうを担いで先を歩くシスターの耳は真っ赤だった。
アルムが十四歳。
魔法学院へと旅立つ二年前の出来事。
見上げた星がいつもよりも綺麗な夜だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなり、第二部終盤となる大百足攻略戦に突入となります。
よろしければブックマークや下の☆マークを押して応援して頂けると嬉しいです。
感想も随時お待ちしております。
第二部も皆さんに楽しんで頂けると嬉しいです。