114.前夜3 -忘れずに-
「まぁ。まぁ。まぁまぁ!」
トラペル家のキッチンではアルムとミスティが全員分の飲み物を入れていた。
トラペル家の使用人はすでに逃げた後らしく、キッチンは作業途中で放り出されている。
そんな中、領主の趣味なのか、キッチンの戸棚に綺麗に並べられている茶葉の入った瓶をミスティは嬉しそうに順に見ていた。
その様子はかくれんぼで隠れた友人を探す子供のようだ。
「楽しそうだな」
ぴょんぴょんと少し高い棚に置かれた瓶を見ようとしているミスティはアルムの目から見ても微笑ましい。
そんな活発なミスティに対して、アルムは火を放ち、湯を沸かしている魔石の前でじっと座っていた。
普段よりミスティのテンションが高いのは流石にアルムでもわかる。
「はい! 実家を思い出します。今の家でもラナが数種類買ってきてくれてますけど、この家は珍しい茶葉もあって素敵ですわ」
当然、アルムはこの棚に置かれている茶葉の瓶にあるラベルの名前はどれもわからない。
詳しい詳しくない以前の問題で、紅茶を飲んだのがそもそもベラルタに来てからであり、味の差異がよくわからないというのが本音だった。
「キッチンに火属性の魔法式が刻まれた魔石がある事といい……領主の方は結構紅茶マニアなのかもしれません」
「有名なのはワインなのにか?」
「そういう事だってありますわ。さっきベネッタが持っていかれた"ミークローツ"というお茶もここで作られているものですし、案外紅茶でも一山当てようとしているのかもしれません。この棚に置かれているのはその研究の為にという可能性もありますわね」
「貴族って色々やるんだな……」
貴族が魔法使い以外に何をやっているかなどアルムは今まで興味も無かった。
だが、エルミラの家の事情やこの領地のように領主が変わって栄えた場所などの話を聞いて来た今は想像以上に大変な立場であるという感想を抱き始めている。
ベラルタに来る前、アルムは貴族をお金を持っている人達程度にしか考えていなかった。
自分の住んでる領主とすらほとんど交流が無いのだから当然。
アルムの持つ魔法使い像も本からの知識に過ぎない。
魔法を学ぶ為の本には貴族の在り方なんて情報は載っていないのである。
「いつから好きなんだ?」
「お母様の影響で……自分で淹れてみようと思ったのは八歳の頃でしょうか? ふふ、一向に上手くなりませんでした」
「へぇ……やっぱミスティ達が買うような高いやつでも淹れ方によって変わるのか?」
揺らめく火を見ながらした質問にミスティの表情がむっと変わる。
「アルム、高いからといって必ずいいというわけではございませんわ。安価な茶葉であっても楽しめる味わいというものがあるものです」
「そういうものなのか?」
「そういうものですわ」
いい事を思いついたとミスティは小さく手を叩き、その表情が明るくなる。
「アルムも今度私の家で色々お飲みになりませんか? エルミラとベネッタは一度招いたことがありますの」
「いや、遠慮しとく。俺は多分飲んでもわからん」
「飲んでみないとわからないじゃありませんか?」
「流石に向き不向きがあると思うぞ……味の差異がわからない俺に飲まれるよりは味のわかるミスティ達が飲む方がいいだろう」
アルムの見ている魔石の火の上には水の入った鉄製の鍋が置かれている。
中に入った水は沸騰してお湯となり、泡がぼこぼこと出ていた。
「それより沸いたぞ。頼む」
残念ですわ、と小さく呟きながらミスティはアルムと場所を代わる。
ミスティは近くに置いていたガラスのティーポットに手慣れた様子で茶葉をスプーンで入れていく。
茶葉をスプーンで掬った際、スプーンを軽く揺らして掬った茶葉の量を調節したりしているが、アルムは後ろで見ていてもその目安はよくわからなかった。
茶葉を入れ終わると、鍋で沸騰させた湯をミスティはティーポットに注いだ。
お湯を注ぎ終わると、ティーポットに蓋をする。
ティーポットの中で浮き沈みする茶葉を見てミスティは満足そうに微笑んだ。
「悪いな、結局全部やらせてしまってる」
「好きでやってますからお気になさらず」
少し間が空いた。
一分にも満たない間。
ミスティはティーカップの中の茶葉をじっと見つめ、アルムも習うようにその後ろからティーポットを見ている。
すでに人数分のティーカップはテーブルに用意されていて、今やる事は特にない。
先程までいたラーディスの部屋くらいには広いキッチンに束の間の静寂。
そんな静寂の中、口を開いたのはミスティだった。
「アルムは明日の事を考えて恐くなったりしないのですか?」
聞かれて、アルムは首を傾げる。
「いや、特には……? 俺のやる事を考えたらほとんど危険があるわけでもないしな」
「ふふ、アルムは本気で言っているからすごいですね」
「ミスティは?」
「恐いですけど……恐いからと委縮してこうして皆さんとの時間を楽しめないのは嫌ですわ。
あんな魔法に私自身の楽しみまで奪われたくありませんもの」
「流石はミスティ」
会話が切れ、また少し間が空く。
互いに沈黙は苦に感じていない。
何をするでもなく、ミスティはティーポットを見ており、アルムは今度はミスティの後ろ姿を見ていた。
そして今度はアルムが口を開く。
「ありがとう、ミスティ」
「何がですか?」
「さっき、俺がシラツユに言った事だ。昨夜ミスティに教えてもらわなかったら俺はシラツユに何もできなかったと思う。だから……ありがとう。昨夜、あの場所にいた俺に声を掛けてくれて」
ミスティが振り返ると、アルムの真っ直ぐな視線と目が合う。
アルムからの感謝がその視線から伝わってくるようで、ミスティは少し気恥ずかしさを感じて視線をポットのほうについ戻した。
「違いますよアルム。確かに私は昨夜アルムに声を掛けました……でも私はさっき、シラツユさんに声を掛けられなかったんです。声を掛けたのはアルム、あなたですよ」
アルムの感謝は嬉しいけれど、それは違うとミスティははっきりと断言する。
「いや、だが……」
「例えば」
ミスティは少し声量を上げて、アルムの声を遮った。
それはミスティ自身が自分のおかげなどではないとわかっているからだった。
「ある誰かがかつての偉人の言葉を使って悩める方を救ったとしても……悩んでいた方はその偉人の言葉に感銘は受けても、偉人に感謝の念を抱いたりしません。
その時、いてくれて声を掛けてくれた人に感謝すると思います。そしてきっと、シラツユさんもそのはずです。例えアルムが私の言葉と教えてもアルム……あなたへの感謝の念が薄れる事はないでしょう」
再び、ミスティはアルムのほうへと振り返る。
今度はミスティが真っ直ぐな視線をアルムに向けていた。
確かに自分は昨夜のアルムの力にはなれたかもしれない。
こうして感謝するアルムからは自分の言葉が何らかの救いになれた事が伝わってくる。
だが違う。
あの時、シラツユにミスティは声を掛けられなかった。
シラツユの境遇に同情はした。シラツユが自分達を騙した理由に納得もした。
けれど、何も言う事はできなかったのだ。
だからミスティはアルムに勘違いをしてほしくなかった。
「忘れないでください。あの時のシラツユさんを救ったのは私ではありません。例えアルムが私の言葉のおかげと感じたとしても、シラツユさんをあの時救ったのはあなたですよアルム。これを、きっと、ずっと忘れないでください」
忘れないでほしい。
きっと、今日の出来事はアルムの力になると信じてミスティは念を押すように繰り返す。
ミスティの言葉にアルムは頷いた。
「わかった。ミスティがそう言うのなら」
「はい、私からのお願いです」
「ミスティからのお願いか……それはずっと聞かざるを得ないな」
「ふふ、ありがとうございます」
真剣な表情で言うアルムを見て笑うミスティ。
そんな中、ぱたぱたとキッチンの外から足音と、声が聞こえてきた。
「あ、ルクスくんも?」
「ああ、自分の分ついでにエルミラにももう一杯ね」
声とともにキッチンの扉がゆっくり開く。
最初から空いていたのか、金具の音はせず、静かに開いていった。
キッチンで向かい合うようにしているアルムとミスティ、そして扉を開けたルクスとベネッタの目が合う。
「ルクス、ベネッタ」
「ああ、お疲れ二人とも」
「お二人ともお飲み物ですか? もうちょっとだけ待ってくださいませ」
特に気にする様子も無くキッチンに入るルクスとは裏腹に、ベネッタは、はっ、と何かに気付いたように頭を抱えた。
「あー! いい空気だったかもなのにごめんなさいー!」
「ベネッタ……そんな事ありませんから……」
膝から崩れ落ちそうなほど後悔しているベネッタを見て、呆れたように言うミスティ。
その後ろではアルムが両の手で何か探すように空をかいたり、鼻を鳴らしたりして、何かを探すように見える動きをしていた。
「アルム?」
「……空気は普通だと思うが……?」
今度は首を傾げるアルムに呆れるミスティ。
ルクスの苦笑いも追加されて、キッチンは何とも言えない空気になるのだった。
穏やかな空気ももう少しで終わりです。