111.ださい掛け声
「当たり前って……」
声はエルミラのものだった。
安請け合いにも聞こえるアルムの言葉に口を挟む。
「何か考えでもあるの?」
「いや、無い」
振り返ることもなく、その背中でアルムは答えた。
間髪入れず答えるアルムには考えようという素振りすら無い
「でも、当たり前だろ」
シラツユの手を離し、アルムは立ち上がる。
離れても握られていたシラツユの手には未だアルムから伝わった温もりが残っていた。
アルムはエルミラのほうに振り返って、
「魔法使いになりたいなら、助けを求める声を聞くのは当たり前だろ?」
そんな綺麗事を口にした。
魔法使い。
それは魔法を駆使して戦い、守り、救う超越者の総称。
今では国を守る貴族が就く職業の呼び名でもある。
だが、きっとどちらの意味合いで使ったとしても、アルムはこの綺麗事を口にしていただろう。
「それに多分間に合わない」
だが、綺麗事だけではない。
アルムは続ける。
「王都から魔法使いが来る前にあいつは間違いなくミレルの人達を食いつくす。それに霊脈から魔力を汲み上げてどんどん元の姿とやらに近づいていくんだろう。
あの虫が語ってたような三本の矢であれを倒せるような人はいないんだ。だったら今いる人間がやらないと」
「あれをどうにかできるのかい?」
ルクスが聞くとアルムは一つ間を置いて考える。
「わからない。けど、今しか無いとは思ってる。さっき少し戦ってわかった。あの虫は防御が固いだけで俺達の魔法は普通に通用してる。
王都の魔法使いがあの虫と戦うまでどれだけの日数があるか分からない……霊脈の魔力でこれからあの虫がどうなるか予想がつかない以上、まだ今の方が倒しやすいと俺は思う」
「綺麗事とまともな推察……どちらも言うとは質が悪いな」
ヴァンは呆れたようにため息を吐く。
アルムは魔法の知識から大百足の状態を推測していた。
先程の湖畔での戦い。
あの時、現実への影響力を底上げしていない状態の無属性魔法でも大百足の動きを少し変える程度には通用していた。
ならば、ミレルの人達の被害を増やしながらこのまま逃げるよりも倒せる今を狙って戦うべきだとアルムは考えている。
無論――それは理屈の上での話。
いくら今が魔法が効くからといって、全長だけならすでに【原初の巨神】を超えている怪物に誰が挑もうなどといえるだろうか。
「俺は魔法使いになりたい」
アルムは改めて宣言するようにそう言った。
知っている。
学院でただ一人の平民。
欠陥とされる無属性魔法を引っ提げて来た無謀な挑戦者。
今は共にいるルクスですら、学院に相応しく無いと最初は断じていた。
今でも学院でのアルムの評価は大して変わっていない。ただ実態がわからず、周りにいるミスティやルクスの存在が警戒させているだけの魔力が高いという事だけが知られているブラックボックス。
それが学院でのアルムという少年だ。
ミスティやルクスの手前、アルム達が耳にする事は少ないが、平民で魔法使いを目指している事を馬鹿にする声は未だにある。
「でも、それだけじゃない。助けを求められて、俺が助けたいと思ったんだ」
【原初の巨神】が襲撃した時のような、選択を委ねられたあの時とは違う。
アルムは誰に聞かれる事も無く、ただ助けの声に応える為にここに立つ。
馬鹿だと。
無謀だと。
今もアルムにいい感情を抱いていない者は言うかもしれない。
「だから俺は戦うよ、あれと」
ここで見捨てれば魔法使いへの道が遠のくという根拠のない何か。
そして、昨夜自分の胸に押し寄せていた衝動とミスティに貰った言葉……ここで逃げるのは、どちらにも背を向ける行為だとアルムは無意識に感じていた。
そんなアルムの声にまず一人が立ち上がる。
「どちらにせよ、時間稼ぎは必要だよね」
「ルクス」
立ち上がったのはルクスだった。
そのままアルムの元まで歩いて肩を叩く。
その手はまるで一人で気負うなと言っているようだった。
「そうですわね、百人の生贄を持ってこいなんて言う方ですもの。私達が、止めませんとね」
「ミスティ」
ミスティはアルムの隣に立つ。
アルムを一人にしないように。私達が、という声を強調させていた。
「あー……もう……平民のあんたがそんなんじゃ貴族の私が逃げられるわけないじゃないの……」
「エルミラ」
不満気な表情ではあるものの、エルミラもアルムの背中を軽く拳で叩く。
ぽんと背中に当たった拳はエルミラなりのお礼の証。
「ボ、ボクだってー!」
「ベネッタ」
半ばやけくそ気味にベネッタも立ち上がる。
アルムに寄り添う皆に続くように、ベッドの向こうからアルムの前に座り込むシラツユの横に立つ。
その表情には恐怖もあったが、それでもふんふんと自分を奮い立たせていた。
「……お前らそいつに感化されすぎだ」
「あれ? ヴァン先生は平民にあんなの任せて逃げるの?」
エルミラが煽るようにバルコニーの先に見えるミレル湖の大百足を指差す。
「お前な……」
「冗談よ冗談。【原初の巨神】の時に学院長に煽られたのをヴァン先生にお返ししたの。ごめんなさいって」
「俺に返すな俺に」
ヴァンはエルミラが指差した先の大百足をじっと見つめる。
その声にエルミラに煽られた事への不満や苛立ちは全く無い。
何故ならヴァン本人だってわかっていた。
ヴァンとて魔法使いの道を選んだ貴族。
自分達貴族が守るべき平民が、ここを守ると言っている。
そんなアルムの事を馬鹿だと思いはしたが、その馬鹿を見捨てる気にも彼はなれなかった。
「確かに……倒すなら数日後じゃ遅いだろうからな……それにエルミラの言う通り、平民が戦うのに俺らがやらないんじゃ貴族としてどうなんだって話になるわな」
ミスティ達のようにアルムの元にこそ行かないものの、ヴァンも覚悟を決める。
「仕方ない……やるか……」
「そうこなくちゃ!」
「魔法相手は専門外なんだが……まぁ、そんな事も言ってられん」
この短い時間に何度ため息を吐いたかわからない。
教師になってから今年は余りにハードだと、ヴァンはつい苦笑いを浮かべた。
「俺だって協力する!」
「ラーディスさん、腕は大丈夫なんですか?」
「ええ、問題ありません!」
アピールするように腕を大きく振りながら、ラーディスもベッドの向こうからアルムのいる部屋の中央に歩いてくる。
アルムの思いが伝播するように、この部屋にいる魔法使い全員が覚悟を決めた。
「よし、行くぞ。えっと……ベラルタ魔法学院!」
「うわ、かけ声だっさ……」
「ふふ、いいじゃありませんか」
「そうそう、僕達元からそんなに纏まってないしね」
「あははは!」
目の前で笑い合うアルム達をシラツユは見上げる。
あの大百足と戦うというのに、シラツユの目には初めてアルム達と会ったあの日、実技棟の使われていない一室で見た時と変わらない空気が映っていた。
「ださくなくするにはどうすれば……?」
「別にいいわよそこは」
「あて」
真面目に考え始めるアルムの頭にエルミラは小さくチョップする。
いつの間にか、部屋にあった冷たく重苦しい空気は消えた。
この部屋にいる、ただ一人の平民を中心にして。
いつも読んでくださってありがとうございます。
いよいよ第二部終盤に向けてという感じです。最後まで是非お付き合いください。