109.懺悔
「最初はあいつだと……確信があったわけではありませんでした……」
シラツユは語り始める。
その面持ちはベッドで介抱される怪我人とは違う面持ちだった。
処刑台に立たされた罪人。
もしくは罪を告解する信徒。
そんな絶望と打ち明けられる事で楽になろうとしている自分への嫌悪感が入り混じった複雑な表情を浮かべている。
ただの被害者ではあり得ない罪を感じた肩が震える。
その恐怖は何によるものか。
あの大百足に対するものではない事だけは確かだった。
「常世ノ国にまでその存在が伝わっていた山の巨人……マナリルを襲った自立した魔法の話はガザスにも伝わっていました。ダブラマが関わってるという話も……。
けど、私は……いえ、コノエという組織の最後を知っている人間なら誰もが思ったと思います。
魔法使いではなく、魔法が主導となって国を脅かす……その重なる状況に……」
「兄さまを乗っ取った魔法が関わっているかはわかりませんでした……でも、私は一月前のその事件をきっかけにガザスの霊脈をただひたすら回るようになりました。
もしもに備えて……数年前からガザスにある小さな霊脈は白い龍に食べさせていたので、あいつらが狙いそうな霊脈を絞るのは簡単でした。そしてつい最近……ガザスとマナリルの国境近くにある霊脈である惨状を発見したんです」
「本物のガザスの研究員と護衛の遺体だな」
その場の惨状を思い出したからか、シラツユの顔は青くなる。
霊脈近くに捨て置かれた上半身を食われた半分だけの遺体の光景を知っているのはシラツユだけだ。
「別の霊脈を見て回っていたので直接殺害した所は見ていません……ですが、私の中の白い龍は兄さまを乗っ取った魔法と敵対していた魔法で……その遺体に残る魔力でわかったんです。当然、植え付けられている私にも同じ感覚が流れてきました。
そして近くにはもう魔力を食われた霊脈があって……そこで確信したんです……あいつがガザスに来てると……!」
シラツユの手が強く握られる。
白い鉢巻はただそれを受け止めることしかできない。
「来た事を確信はしましたが、何故こんな風に殺されているのか最初はわかりませんでした。でも殺されていた遺体の鞄の書類にマナリルの霊脈調査に関する資料が入っていてわかったんです……あいつは自分が襲うその時に、他の魔法使いが霊脈を訪れるのを避けたかったのだと」
「ガザスの研究員がマナリルに来てからだとマナリルがどんな護衛をつけるかわからないものね。それこそヴァン先生みたいな手練れがつく可能性だってある……だからマナリルに入る前に殺したんでしょうね」
エルミラが顔を俯きながら納得したようにそう言うと、ルクスがピンと来たように顔を上げた。
「そうか……遺体もわざとだ……」
「わざと?」
「遺体を残したことがだよ。マナリルに派遣した研究員が殺されれば、ガザスはマナリルを疑って派遣を中止するし、マナリルの魔法使いの侵入を想定してガザス国内を調査し始める。ガザスでそんな事があれば派遣された研究員を受け入れる予定だったマナリルだって無実の主張とガザスとの情報共有を考えてその目はガザスに向く。
本来の目的だった霊脈の調査なんてもうできるはずがない……霊脈の調査に来る邪魔者を消すと同時に、二国の目を緊急性が高い研究員の殺害事件に向くように仕向けたんだ。
そうなればマナリルの霊脈を狙ってるやつがマナリル内部で動いてるなんてシラツユ殿みたいな事情を知ってる者にしかわかるはずがない……ミレルの祭りが始まるまでのこの数日の間、マナリルで動きやすくなるためにわざと見つけられるように遺体をそのままにしたんだ」
そう、ルクスは一度、今ミレル湖に浸かる大きさになる前の大百足と遭遇している。
今ほどではないとはいえ、その時点でもあの百足はルクスの使っていた血統魔法【雷光の巨人】と同じくらい……十メートル以上の大きさはあった。
あの百足が人間を食うというのなら、あの大きさで人間三人を処理できないのはあまりに不自然とルクスは感じていた。
「……あいつらは途中までダブラマの魔法使いと行動していた。ダブラマか近くにいたあのヴァレノってやつの入れ知恵の可能性もあるな。
ダブラマはそういう小賢しい手は大の得意だ。情報は……ヴァレノってやつが提供してるのかもしれないな。研究員派遣を知ってるとこを見ると王都にいた魔法使いか……?」
思い出そうとするもヤコウの隣にいた魔法使いの顔に見覚えは無い。
ヴァレノと呼ばれていた若い魔法使い。
王都にいる有名な魔法使いのほとんどは把握しているが、その名前も顏もヴァンの記憶には無かった。
「そこで私は思いついたんです……その書類を利用してマナリルに入れれば……あいつにばれずに近付けるんじゃないかって……だから……書類に書いてある名前を私の血統魔法で改竄して持ち出したんです……。
これを使えばあいつの邪魔ができるかもしれない……もしかしたら兄さまを解放できるかもしれないと……」
シラツユの目が何も無い壁に向く。
ここからが懺悔なのだと、シラツユの瞳に溜まる透明な雫が知らせていた。
一瞬、シラツユは虚空を見つめる。
もしくは視線の先にある壁にはシラツユだけが見える思い出が映っていたのかもしれない。
この場の誰もが知り得ない兄との思い出を、湖面のように揺れることすらない無機質な白い壁に。
その視線はすぐに下へと戻った。
ぽたっと、雫が落ちる。
「そして……そして待ったんです、このミレルで……あいつが、あの百足が動き出すのを待ってたんです……! あいつは人を襲うと知りながら……躊躇なく人を殺すと知りながら黙っていたんです……!
あいつが万が一にも逃げないように……ただ黙って、動き出すのを待ってたんです……ミレルの人達を恐怖に陥れると知っていて、魔力だけでなく、人を食べる怪物だと知っていて……ミレルの、人達が……襲われ始めるのをただただ待っていたんです……自分の為に、自分の為だけに……」
かちかちとシラツユが喋る間、時折歯が鳴る音がする。
気温によるものではないと誰もが理解していた。
罪の告白によって嘘で固めた自分の醜さを曝け出し、自分に向けられる視線がどうしようもなく冷たくなるのを恐れているからなのだとシラツユ自身もわかっている。
視線を向けたのは目を背ける為。
全員の顔が見れなくなったシラツユはその言葉だけが罪を流れだそうとしているかのように、止まらずに溢れていた。
透明な雫がシラツユの次々と目から溢れ、ベットにぽたぽたと落ちていく。
その雫は冷たく、重い。
「ラーディスさんにヴァンさん、ミスティさんにアルムさんにベネッタさん、ルクスさんにエルミラさん……酒屋の店員さんに、一緒に踊ってくれたおじさんに歌ってた子供達……それに、あいつに……殺された人達……。
私を、ガザスの研究員だと信じて、守ってくれた人とここに住む人々全員を騙して私はあの百足が来るのを待った……そして、そんな事をしても私は……何もできなかった……嘘を吐いて、見捨てて、裏切って……そこまでしたのに私はどこまでも中途半端で覚悟をしたつもりの……何も救えない、救おうとすらしていなかった馬鹿な女でした……兄さまを……解放してあげられなかった……」
言葉と涙を溢れさせながらシラツユはふらふらとベッドから降りる。
その姿は居場所のない亡霊のよう。
ベネッタが手助けしようとするのを手で制止して、シラツユはそのまま床に座り込む。
決して居場所をみつけたわけではなく、ただそれしかできないと言うかのように。
「ごめんなさい……」
そして額を床に擦りつけるように頭を下げた。
やはりそれは亡霊ではなく、罪を感じる人間のままだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……騙してごめんなさい……恥知らずの魔法使いでごめんなさい……!
殺してください……でなければ自刃させてください……お願いします……お願いします……最後までわがままでごめんなさい……けど、今の私ではそうする事でしか報いることができません……」
シラツユの懇願に部屋の空気は重くなる。
自分以外を踏みにじった罪悪感、そして踏みにじって尚何もできなかった喪失感がシラツユを支配していた。
この懇願は決して冗談ではない。
罪悪感と喪失感に押し出されて出てきた悲しい願いだ。
その罪悪感も喪失感も、感じていてもそれを真に理解できる者はこの場にいない。
額を床にこすりつけて頭を下げるシラツユの姿は薄氷のようで今にも壊れてしまいそうだ。
ナイフを一本前に置けば、それだけでシラツユは自分の首を躊躇いなく切るような危うさがある。
その光景を見ていた者達の声が詰まった。
あなたのせいじゃないと、そう誰も言うことができなかった。
いや、自分の持つ倫理観ではそう言い切ることができなかったのだ。
特に、彼らは貴族。
力を持った者には責任があると知って魔法使いを目指す者、そして魔法使いになった者。
危機を知るというのはある種の責任でもある。他者にそれを知らせないのは責任の放棄ではないか。
そう無意識に考えてしまったからか――誰もシラツユを守れる者はいなかった。
「駄目だろ」
だが、一人……シラツユの懇願を否定する人物がいる。
「え……?」
シラツユは顔を上げる。
誰の顔も見られないと思っていた目はいつの間にか前を向いていて、涙でぐしゃぐしゃになった顔が見つめるその先にその人物はいた。
濡れた瞳は世界をぼやけさせている。声の主をはっきりと捉える事は無かったけれど、その声だけははっきりと聞こえてくる。
その声色にはシラツユへの憐憫は無く、取った行動への同情も無い。
ただただ何か簡単な間違いを正すように、
「だから、駄目だろ」
アルムは短く、そう言い放った。
いつも読んでくださってありがとうございます。
二部の数日間で何が起きていたかはこれで大体説明し終わったかなと思います。