102.護衛到着
「馬鹿か君は! 俺よりあそこに転がっているシラツユ殿を先に助けろ! 節穴か! 節穴なんだろうな!」
体を横にして抱かれているのが不満なのか、ラーディスは右腕でアルムを指差しながら文句の声を発している。
「戦って昂ってるのはわかるが落ち着いてくれ」
「落ち着けるか! これだから平民は! 早くこんなところにいないでシラツユ殿を助けろ!」
腕と足を力無く動かし、ラーディスはアルムに催促する。
今アルムは地形の変わった斜面に立ち、大百足との距離をとっている。
ラーディスは殺されかけたとは思えないほどの元気で暴れているが、強化をかけているアルムは立っている場所から動こうとはしなかった。
「いや、近付けないんだ」
「なに!?」
「よく見といたほうがいい。皆を助ける為だと大盤振る舞いしてくれる」
訳の分からない事を言うアルムに若干の苛立ちを覚えるラーディス。
しかし、その言葉の意味はすぐにわかる事となる。
「"放出領域固定"」
湖畔に響く声によって。
「【白姫降臨】!」
湖畔に響く合唱。
奏でられた声とともに大百足を中心に、その周囲は氷の世界へと一変した。
それにも関わらず、大百足の近くで這うシラツユには何の影響もない。
闇夜に紛れて大百足の背後から接近していたミスティの血統魔法によるものだった。
手加減してなお他の魔法と一線を画す大魔法。そして手加減してるとはいえ、その大魔法をコントロールする魔法の才。
魔法使いを目指す者なら惚れ惚れする光景だった。
現役の魔法使いでもこれほどの者はそうはいない。
そしてミスティの後ろから氷の世界を駆ける人影が現れる。
その人影は一人氷の世界を這うシラツユを抱えてそのまま大百足から離れた。
「ベネッタさん……」
「ようやく見つけた……! すぐに治すからねー!」
シラツユを助けた人影はベネッタだった。
慣れない強化の魔法を使ってシラツユを抱きかかえる。
その瞳はすでに銀色に輝いていて、魔力のある命を捉えていた。
「これがミスティの……凄いな……」
「あ、ああ……流石はカエシウス家……」
魔法に興味津々のアルムは勿論、住民の為にと奮闘していたラーディスすらも目の前で起きた光景に目を奪われていた。
魔法使いの卵ならば当然と言える。
「アルムくん!」
見惚れていた二人の元にシラツユを抱えたベネッタが到着する。
ベネッタは一度目の前で消えられたからか、シラツユの体を見てわかるほどに強く抱きしめていた。
強化の魔法によってベネッタの肉体は少なからずパワーも上がっている。
慣れていないのか、ベネッタは力の入れ具合を明らかに間違えていた。
「ベネッタ、もう少し優しく……」
「あ、そっか……!」
ベネッタは言われてようやく抱えていた腕の力を緩ませ、シラツユもラーディスと同じように体を横にして抱える。
「アルムさん……ベネッタさん……」
ベネッタに傷だらけの体を強く抱きしめられていたにも関わらず、シラツユの表情に苦痛の色は無かった。
だが、その代わりに顔向けできないという表情で気まずく俯いている。
「話は後だ」
アルムの声とともにベネッタも視線を同じ方向に向ける。
全員の視線はミスティの魔法で周囲ごと凍り付いた大百足に。
これで終わってくれればミレルは危機から逃れたと言える。
「あれ……?」
大百足を捉えたベネッタが不思議そうな声を上げた。
「何だ?」
「いや、あれ――」
『凄まじいな』
「!!」
ベネッタの声を遮るのは、脳に響くような大百足の声。
声の次に、バキイイン、と割れるような音が響き、氷の世界から大百足だけが解放された。
ぱらぱらと大百足の表面にあった氷が地に落ちていく様は雪のよう。
大百足を凍らせた魔法の使い手であるミスティは信じられないと言いたげな表情でその光景を見上げていた。
『単なる凍結か、温度を操作しているのか、それとも……世界を一時的に改変しているのか……』
「くっ……!」
『がっかりするでない。儂を数秒足止め出来るというだけでその価値は数多の金鉱にも値しよう』
ミスティは大百足から急いで離れる。
湖畔には逃げ場などあるはずもないが、動きに反応できる距離まではと跳ぶ。
大百足の意識を避難する人々から逸らすように、真逆の方向へとミスティは下がっていった。
「駄目か……」
「そ、そんな……」
大百足はミスティの魔法でも打倒できなかった。
延命はしたものの、状況は先程と全く変わっていない。
アルムとベネッタは大百足を見据える。
ベネッタの足は恐怖で小刻みに震えていた。無意識にその足は後ろに一歩下がっている。
一方、凍結から解放された大百足は品定めするように現れた邪魔者三人を順に見始めた。
自分を凍結したミスティ。
シラツユを救出し、奇妙な光を目に宿しているベネッタ。
最後にラーディスを救ったアルム。
アルムまで見て、アルムとベネッタのほうからは興味が無さそうに、大百足はミスティのほうに頭部を向けた。
『どうやらそなたが頂点のようじゃな……他のは邪魔ではあるがさっきのラーディスとやらと大差無さそうじゃ』
離れたとはいえ、大百足にとっては大した距離ではない。
声をかけられたミスティは大百足から発せられる魔力の重圧を感じながらも声に応える。
「ラーディスさんを馬鹿にしているようですが……それにしては時間がかかりましたのね? 私達が到着するまでの間止めを刺せなかったようですから」
『くく……そうじゃな、確かにそうじゃ。ただの玩具と思い込んで遊んでいたのが裏目に出たの。
儂の目が節穴じゃった。あの者は玩具では無かったからの。お主といい、山で会った鳴神の男児といい……どうやらこの国には中々の者が揃っておるらしい。万全を期してこのタイミングでここを襲ったのは正解だったようじゃ』
「鳴神……」
ミスティは当然その言葉からルクスの魔法を連想した。
入学式にルクスが見せた珍しい名称の魔法は印象に残っている。
この大百足からルクスの話が出るという事はどういう事かは想像に難くない。
「あなたが山崩れの……!」
『そう恐い顔をするでない。美味そうな顔がもっと美味そうに見えるじゃろう?』
睨むミスティと逆撫でするような声を発する大百足。
ミスティが感じていた大百足の放つ鬼胎属性の重圧はその怒りで塗りつぶされた。
「ベネッタ、今のうちに町のほうに。シラツユを治療しろ」
ミスティのほうに向いている間、アルムはベネッタに耳打ちする。
聞いたベネッタはアルムとミスティを残して一人で逃げるのが嫌なのか心配そうな表情を浮かべていた。
「で、でも……」
「逃げられてない人達はこっちで何とかする。それとシラツユを逃げないように見張っておいてくれ」
「わ、わかった!」
心配そうな表情から一変し、今度こそと決意した表情のベネッタはシラツユを抱えてすぐさまこの場を離れる。
魔法で強化された足でベネッタはすぐにミレルの町へと消えていく。
それを大百足が気にする様子も無い。
ベネッタが町のほうに駆けていくのを見送って、アルムは再び大百足を観察し始める。
「あれは魔法か? 使い手はどこにいる……?」
アルムの疑問に抱えられているラーディスが答えた。
「使い手はあの魔法が食った。外にはいない」
「食った?」
「シラツユ殿が話してるのが聞こえたが……その話によれば使い手が魔法に乗っ取られているらしい! 眉唾だが、シラツユ殿が嘘を言っているような空気でもなかった」
使い手が魔法に取り込まれるなどという話はアルムは聞いた事が無い。
故郷で十年、シスターと師匠が持ってきてくれた本や資料でひたすら魔法に関する知識を蓄えていたが、そんなケースは出てこなかった。
だが一つ、心当たりのある知識は持っている。
「自立した魔法は自我を持つって話があったが……それか?」
自立した魔法は、時に生き物のように自我を持つ事がある。
実際、一月前にベラルタを襲った魔法【原初の巨神】と直接相対したアルムはそれを肌で感じ取っていた。
自分の魔法に対して起こった見た目の変化。
魔法を構築するアルムに呼応するかのような咆哮。
そして、最後に聞こえた断末魔。
それらは死んだ魔法使いが遺した意思などではなく、【原初の巨神】自体に宿った自我なのではとアルムに強く思わせていた。
【原初の巨神】の影響で休暇となった際に王都に行ったのは友人との休暇のついでにそれを調べる為でもある。
「だが、使い手がいるのに自我を持って乗っ取るなんて事があるのか?」
「わからん! 後でシラツユ殿に聞け! 今は住民の避難が優先だ!」
「それは確かにそうだ」
アルムは湖畔から町に避難する人々の様子をちらっと見る。
目測であと数分といったところだろうか。
シラツユとラーディスが稼いだ時間によって残るは男だけ。
気になるのは一番後方に年老いた人々が固まっている事だったが、アルムはそこで大百足に視線を戻した。
固まっているという事は何らかの意図があるのだと結論付けて。
『さて、好みではないが……』
大百足が声とともに動く。
ぞろぞろぞろぞろと無数の体節と赤黒い足は蠢き、その頭部は触覚をぶんぶんと振り回しながら、今度はアルムのほうへと向く。
『そなたも儂の相手か? いやいや、これだけ魔法使いとやらに好かれるとはな……美女というのは辛いのう』
「……美女なのかあんた?」
アルム達が到着してもなお状況は変わらない。
大百足の脅威は未だミレルに健在である。
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