ティル・ナ・ノーグの異人2
「ボクがガザスに?」
「ええ、実はラーニャ様直々にベネッタさんを指名していまして……」
夕食を終えてティアと使用人を下がらせた後のこと。
セーバは早く帰ってこられた理由と用件をミスティとベネッタに話した。
何でも、どんな用件で国に来てほしいかは秘密らしい。
ベネッタがミスティをちらっと見ると、ミスティは首を横に振る。
「我が家の専属治癒魔導士を書簡もなく、しかも要領の得ない用件で呼びつけるなんて……ガザスはずいぶんカエシウス家を軽んじているようですね」
「ち、違うんです! その、少々事情がありまして……万が一にも情報が漏れるわけにいかず……。こうしてベネッタさんに依頼するのも、事前にお知らせできなかったのもガザスの機密に関わる事だからです」
「え、ボクはいいのー?」
「ベネッタさん以外に問題を解決できる人物が思い当たらないんです。なので、こうして自分を通じてお願いしにきました」
セーバの言うガザスからの要請はあまりにも不自然なものだった。
王女からの依頼にもかかわらず、マナリルという国に対してではなくカエシウス家にでもなくベネッタ個人に対しての依頼。
通信用魔石での連絡もないとなれば、もしかすれば私的な用件なのかもしれない。
「もしかして妖精関係でしょうか……?」
「…………」
セーバの無言が、そのまま肯定の意味だった。
ガザスの女王ラーニャは妖精なる魔力生命体とその力を操ることのできる特異体質である。
妖精は魔法生命と似て非なる存在であり、この世界では存在証明も希薄なため普通の人間には見えず、感じ取れない。
ラーニャの存在を通じてでなければ空気中の魔力と変わらず、ベネッタのように特殊な目を持っている人間ではないと認識する事すらできないのだ。
「それならベネッタだけを指名しているのも納得できますね。私やアルムですらお役に立てないですし、国は存在すら認知していないでしょうからね」
「結局、何なのかすらわかんないもんね。ラーニャ様が操っている魔力の生き物みたいなー……ボクでも役に立たないと思うんだけど? ボクだって見えるだけだよ?」
「いえラーニャ様はベネッタさんを指名している以上、絶対にベネッタさんの力が必要なんだと思います。自分ですら全容を把握できていないので、このような説明不足で申し訳ないのですが何卒……」
セーバは多くは語らず、しかし真剣な表情を浮かべながら頭を下げる。
気心の知れた仲に甘えているのはセーバ自身もわかっているのだ。
ミスティの善意なしにベネッタを借り受けるのは難しい。
「……ガザスへの貸し一つ。条件を一つ飲むこと。そしてベネッタ本人の意思があるのなら許します」
「ありがとうございますミスティ様!」
ミスティとてラーニャは知らぬ顔ではない。マナリルに友好的な女王であり、十年前ガザスを襲っていた大嶽丸という魔法生命相手に共闘した戦友だ。
そのラーニャが困っているのなら手を差し伸べたいが、それはそれとして女王からの要請にしてはあまりに無礼なので条件くらいは付けくわえさせてもらう。
「という事で、大丈夫ですかベネッタ? 長旅になりますが?」
ミスティが改めて確認するとベネッタは頷く。
「ボクはもちろんいいよー。セーバくんの頼みだし、カエシウスの利益にもなるから」
「カエシウスの利益になるかどうかは気にしなくていいですよ」
「それなら行きたいかなー。久しぶりにガザスに行きたいしー……それに」
ベネッタは先程からずっと恐縮していて固いセーバに笑いかける。
「久しぶりにセーバくんと一緒にいれるって事でいいんでしょー?」
「は、はい! それはもちろん!」
「ガザスに着いたらデートできるー?」
「ラーニャ様からのお話が解決すればいくらでも! エスコートします!」
「へへ、やったー」
「……っ!」
ベネッタのふにゃっとした笑顔にセーバは別の意味で固まった。
久しぶりに会えた恋人の笑顔というのは、カエシウスへの恐怖も一瞬忘れさせるくらいだった。
学生時代に惚れて以来、何度この女性に惚れるのだろうとセーバは胸の奥がくすぐったくなる。
「ごめんねミスティ、じゃあちょっとガザスいってくるねー? お土産何がいい?」
「ガザスの燻製茶葉をお願いします」
「銘柄はー?」
「全ての銘柄をガザス持ちで。大丈夫ですよね? セーバさん?」
「はい……ラーニャ様にお伝えしておきます……」
「うわー! ミスティってばがめついんだー!」
「うちの大切なベネッタを貸すのですから当然です。ガザス産の茶葉は北部まで距離があるのもあって高くなるんですよ。こういう機会に貰っておきませんと」
先に無茶を言ったのはセーバなので、ミスティの言葉には逆らえない。
事実ガザス側の無茶に比べたらミスティの要求は可愛いもの。
マナリルとダブラマの架け橋……聖女ベネッタを説明不足で借りようというのだから、ガザス中の茶葉をかき集めても足りないくらいだ。
今日ほどガザスが茶業に力を入れている事を感謝する日もないだろう。
「そういえばミスティ、条件ってー?」
ベネッタが問うと、ミスティはにこっと笑った。
「世界で一番信用できる護衛の同行です」
◆
「どうしたミスティ? ああ、予定通り……ん? 待機?」
ベラルタ魔法学院。臨時教員用の部屋にて通信用魔石が光った。
黒髪に黒い瞳……珍しい容姿を持つ青年はベッドに寝転がりながら聞こえてくる話に耳を傾けていた。
「北部に帰らずに同行すればいいんだな? ああ、ヴァン先生に言えば問題ないから仕事のほうは心配しなくていいよ。それで誰の護衛を? ベネッタ? あいつに護衛必要なのか? どちらかというと襲ってくる連中のほうが気の毒に…………え? 本人に聞こえてる? か弱い女性なんだよって、ベネッタがか弱いのカテゴリに入るわけないだろ」
通信用魔石から聞こえてくる抗議の声に、青年は反射で通信用魔石を耳から離す。
友人からの抗議の声に青年もつい笑ってしまっていた。
今いる場所が場所だからか、学生時代を思い出したのかもしれない。
「とにかく、ガザスに用事のあるベネッタとセーバの護衛って名目でついていけばいいんだな。任せてくれ。お土産は茶葉でいいか? ああ、もうベネッタに頼んだのか。じゃあ別のものを買ってくるよ。うん……うん……ああ、俺も少し寂しいけどミスティの頼みなら。うん、うん、それじゃあな。ティアにもよろしく言っておいてくれ」
青年は妻からの通信を切りながら首を傾げる。
「護衛って……必要か俺?」
突然護衛を頼まれた青年の名はアルム・カエシウス。
聖女ベネッタに魔力の怪物アルム。ガザスからの要請でなければ魔法生命の再来か、侵略を疑われるような戦力過多コンビの完成である。
ガザスの皆々様。これは決して危機ではありません。ただの来訪です。
※アルムパパが帰ってこないのを知ったティアちゃん五歳とミスティママ
「お父様、帰ってこないんですか……? ベネッタお姉様もお出かけ……?」
「ごめんねティア……二人共お仕事で……」
「わかっています……。ティアはだ……だ、だいじょぶでず……おがあ、さま……」
「ああ、泣かないでティア……! そうだ、お父様の代わりにはならないけれど今週はずっとお母様と一緒に寝ましょう。どう? お母様と一緒に寝てくれる?」
「ほ、本当ですか!? 絶対ですよ!? お母様のベッドですからね!」
「ええ、約束よ」




