ティル・ナ・ノーグの異人
魔法創成歴1710年。
カエシウス家の専属治癒魔導士ベネッタは、すんすん、と可愛らしい泣きべそをかいているアルムとミスティの娘……ティアの膝の擦り傷を治癒していた。
「はい、終わり」
「ベネッタお姉様ありがとうございます」
「遊ぶのはいいけど、今度は気をつけなよー。ラナさんの言う事ちゃんと聞いてね」
「あ、あの……お母様には……」
「言わない言わない。けど……いっぱい泣いちゃって目が赤くなっちゃうとばれちゃうかもよー?」
ハンカチを手渡すと、ティアは目に溜まる涙をごしごしと拭う。
ベネッタは、多分ばれるだろうな、と思いながらも言わないことにした。
「早く顔洗ってきなー、ハンカチは持ってちゃってもいいからさー」
「はい、ありがとうございました」
ティアは四大貴族らしからぬ、そして子供らしからぬ丁寧なお辞儀をするとベネッタの仕事部屋から出て行った。
アルムとミスティの娘ではあるが、ベネッタも生まれた時からずっと成長を見守っているので立派に育っているティアの姿は感慨深い。
「ティアちゃんももう五歳かー……」
ティアを自分の子供のように可愛がっているが、それでも自分の子供ではない。
実際、さっき見事なお辞儀を見せられたように身近ではあるが、家族とは違う距離がきちんとある。
そんな事を意識したからか、ふと自分の子供についてベネッタは考え始めていた。
途中からアルムの旅に同行して、その後は仕事仕事仕事。
長い間いがみ合っていたマナリルとダブラマの国交回復を周知のものにするため、聖女と呼ばれるベネッタは二国を橋渡しするようにこの数年ずっと外交に忙しかった。
「セーバくん……何してるかな……」
当然、忙しくしていたのもあって恋人にも会えていない。
その恋人も今年は祖国で忙しくしているので仕方ないといえば仕方ないのだが。
一昨年にガザスの女王であるラーニャが結婚したのをきっかけに、ガザス国内は色々と忙しい状況にあるらしい。
セーバはまだガザスの貴族……しかもラーニャの信頼を得ている魔法使いなので招集されている。そのせいか今年に入ってからはベネッタもセーバに会えていなかった。
やり取りは何通かの手紙だけ。これでは恋人になる前に戻ったかのようだ。
学生時代を思い出す。ガザスへの留学以来、セーバと文通で他愛のない話をしていた時のことを。
「…………」
静かな仕事部屋。ぽつんと座る自分。
ベネッタはトランス城に来てから味わったことのなかった感情に襲われる。
そんな時、ノックの音が聞こえてきた。
「どしたのミスティー?」
ベネッタがノックに答えると、扉が開く。
言ったとおり部屋を訪れたのはミスティだった。
「扉を開ける前から名前を呼ばないでください。他の人だったらびっくりしちゃいますよ?」
「流石に他の人はわかんないよー。ミスティの魔力が他より圧倒的に多いからわかりやすいんだってばー。アルムくんといいミスティといい魔力馬鹿なんだからー」
「ふふ、お似合いのバカップルだなんてそんな……」
「言ってないよ?」
自分の友人が相変わらずである事に安心すら覚える。
結婚してからもずっとミスティは夫であるアルムに恋をし続けたまま。
変化といえば、恋が成就して精神的な余裕ができたからか、友人からのからかいにも耐性ができたことくらいだろうか。
「どしたの? ティアちゃんのことー?」
「ティアが怪我したのですか?」
「しまったー! 誘導尋問!?」
「誘導した覚えがないですが……」
「どうかボクが口を滑らせたのは内緒で……!」
「ふふ、はいはい」
何とかお姉さんの威厳を維持できそうなことに安堵すると同時に、ティアのことではないのならどんな用件なのかが気になるベネッタ。
そんなベネッタを察してか、ミスティは窓の方を指差す。
一緒に窓の外を見てみると、一台の馬車がトランス城の正門前でチェックを受けているところだった。
「今日、来客の予定あったっけ? 魔力が普通よりちょっと大きいくらいだからアルムくんじゃないよね?」
「セーバさんですよ」
「え!?」
「予定より早く帰ってこられたそうです。迎えに行ってあげては?」
窓の外にはミスティの言う通り、馬車から下りてくるセーバが見える。
馬車の中で変な寝方をしたのか、茶色の髪がぴょんと情けなく跳ねていた。
「ありがとミスティ!」
「いいえ」
杖を持って、早歩きで部屋を出るベネッタ。
一階に下りて、正門前の玄関の扉を開くとセーバもベネッタに気付いたようだった。
「ベネッタさん! お久しぶりです!」
大型犬のように駆け寄ってくるセーバを見て、ベネッタも満面の笑みで出迎える。
セーバはベネッタの前まで駆け寄ってきたかと思うと、目の前で止まってしまう。
杖を使っている自分に飛び込んでこないのが彼らしいと思いつつも、久しぶりの再会にしては物足りない。
「ん」
「え」
ベネッタは杖を置くと、セーバに向かって言葉もなしに両手を広げた。
玄関前で使用人の目もある中、そんな風に催促されたセーバは狼狽えてしまう。
ベネッタに何を求められているのかはわかっているが、恥ずかしさとせめぎ合う。
「ベ、ベネッタさん……周りの目が……」
「ん」
セーバがやんわりと言っても、ベネッタは譲らない。
譲らない女性なのはセーバもわかっている。そんなところにも惚れている自分がいるのは隠しきれない。何よりベネッタがそんな風にしてくれるのが嬉しくて、セーバは困りながらも覚悟を決めた。
「ん!」
「し、失礼します!」
ベネッタの要望通り、両手を広げて待っているベネッタをセーバは思い切り抱き締める。
今日までの恋しさを示すように痛いくらい抱き締められて、その圧迫感すら今のベネッタには心地よかった。
「おかえりなさいセーバくん」
「ただいまベネッタさん」
いつもありがとうございます。
予告通り、ここかはら番外編「ティル・ナ・ノーグの異人」になります。
数話で終わります。




