あの日見た灰のドレス2
「初めましてシュニーカちゃん。今日から一週間あなたに魔法を教えるエルミラよ」
「……………」
九歳のシュニーカは不満そうにエルミラと名乗る女性の手を取った。
その目には尊敬や学ぶ者としての心構えとは別のものがある。
シュニーカは父親が大好きな娘だった。
四大貴族ダンロード家としてマナリル南部全体を支えるために奔走しながら、家にいる時は父として自分の相手もしてくれる父親を尊敬している。
だからこそ、最初に魔術を教えてくれるのは父親が良かった。
独学で身に着けた魔法を見せて、最初にまず凄いと褒めてもらいたかった。
なのに、いざ魔術を本格的に習うというタイミングで来たのは南部の貴族ですらない。
こちらを見る紅玉のような瞳が、父親への思いでもやもやもする子供心の癪に障った。
「私……お父様に教えていただきたかったですわ……」
「うーん、難しいんじゃない? あなたのお父さんは今忙しいもの。あなたもちょっとは聞いてるんじゃない? 近海付近に不審船が現れてるって話。そっちの対処でいっぱいいっぱいだからさ」
「……忙しいだなんて、言われなくてもわかってますもの」
シュニーカはすねるように俯く。
自分の父が忙しいことなどわかっている。けれど、今までどうでもいい頼みは二つ返事で聞いてくれたのに今回だけはお願いを聞いてもらえなかったのが不満なのだ。
そしてその不満は目の前のエルミラへと向かう。
「あなた、家庭教師の経験はおあり?」
「いいえ? ないわよ、こんなの初めて」
「それじゃあ、学院の教師だったとか……」
「友達にはいるけど、そんな経験も特にないわ。ロードピス家の再興とか出産とかで忙しかったからそういう職業を経験したことないの」
そう……ロードピス家。シュニーカは今日来る教師について多少は調べた。
目の前にいるエルミラは没落貴族だったロードピス家を再興させた当主だが、何故かその再興に自分の家であるダンロード家が噛んでいるのだ。
マナリル南部の貴族は基本的に南部以外の貴族にいい印象を抱いていない。
しかし、何故かロードピス家だけは例外で再興の際にダンロード家が後ろ盾になって支援していた記録がある。
「元没落貴族のあなたが、私の教師に相応しいのかしら」
シュニーカの中にある色々な不平不満が言うつもりのない言葉をうっかり口にさせてしまう。
日頃からダンロード家の心得として父親には言い聞かされている。
自分達は運良く恵まれて生まれた人間である。だからこそ恵まれた人間に相応しい責務と振る舞いを忘れてはいけない。
今の言葉は、ダンロード家には相応しくない物言いだったとシュニーカは反省する。
生まれは選べない。そこを使ってあてつけを言ってしまうなんて淑女として相応しくないと。
「あっはっは! 確かに教わる側からしたらちょっと不安かもしれないわね」
「……ごめんなさいわですわ」
「何でよ? あなたは生徒なんだから、教師に対しての不安は言ってもいい立場じゃない」
エルミラは機嫌を損ねるわけでもなく、シュニーカの言葉を笑い飛ばした。
「無関係な家族や友達を侮辱したらぶん殴るけどね」
「わ、私はダンロード家の息女ですわよ!?」
「だから? 大切な人達を侮辱された時にそういうの何か関係ある? 私はあなたが最低なことを言ったら普通に手を出すわよ。ただ言葉で怒られただけで済ませていいことと済ませちゃいけないことが世の中にはあるんだから」
四大貴族相手など関係ないと言わんばかりの態度にシュニーカは少し怯む。
教える側だからと威張っているわけではなく、大人だからと子供を見下しているわけでもない。
ただただ自然体で接してくるエルミラに今までとは違うものを感じて調子が狂う。
ダンロード家の名前にぺこぺこされるのが好きなわけではないが、だからといって四大貴族の家名に対して何とも思っていないような様子はそれはそれで違和感があった。
「まぁ、私に言いたいことはまだ色々あるでしょうけど時間がないからまずは目標を決めましょうか」
「目標……?」
「そうよ、私は一週間しか滞在できないからね……漠然と魔術を教えるわけにはいかないわ。あなたの目標に沿ったことを教えるわ。これができるようになるよう頑張るとか、あなた自身がどんな魔法使いになりたいとか、目標がないと勉強とか努力は曖昧なものになりがちだからね」
目標と言われて、シュニーカは自分の髪をもじもじするように撫でる。
そんなシュニーカが何かを言い出すのをエルミラはただただ待った。
何もないのなら会話を交えて引き出そうと思っていたようだが、どうやらシュニーカには魔法使いとしての自分のビジョンがあるらしい。
どちらかといえば、それを話すのを少し恥ずかしそうにしているだけのように見えた。
「……笑わないかしら?」
「人の夢や目標を笑ったりはしないわ」
「私……お父様のような、いえ……お父様を超えて……この国で一番の火属性の魔法使いになりたいの……」
顔を赤くしながらもじもじするシュニーカはちらちらとエルミラの様子を見る。
馬鹿にされないか。それは難しいと言われないか。無理だと否定されないか。
そんな不安はエルミラの表情を見て吹き飛んだ。
「でっかい目標でいいじゃない。じゃあ私はあなたがそうなれるようにサポートするわ。一週間だけだけど、あなたを本気で鍛えてあげる」
「……」
「ちょっと厳しくなるわよ。あなたが思ってるような華やかな授業にはならないかも」
シュニーカは本気で応えてくれるエルミラに目をぱちぱちとさせる。
こちらに向けられる眼差しに子供の夢だと見下したり、子供の言うことを本気で受け止めない大人特有の生暖かさはない。
エルミラはシュニーカの視線に気付き、にっと笑う。
「何よシュニーカちゃん。なおさら私で丁度よかったじゃない」
「丁度いいってなんですの……?」
エルミラは得意気に自分の胸に手を当てた。
「だってあなたの目の前にいるのが、マナリル最強の火属性魔法使いなんだもの。超えたい相手が目の前にいるのは、燃えるでしょう?」
エルミラは堂々とシュニーカに向けてそう言ってのける。
私が最強だ。
そんな風に言い切る堂々とした姿には決して驕りなどなく、圧倒的な自信を湛える赤い瞳にシュニーカは一瞬見惚れてしまっていた。




