アモルトゥリスの呼び声
「これは……誰の声だ……?」
ダブラマ王城セルダール・執務室。
未だ不安定なダブラマのために奔走する女王ラティファは天井のほうを向いた。
その動きがまるで書類から現実逃避をしているかのようだったのか、同じ部屋で報告書に目を通していたマリツィアが大きなため息をついた。
「ラティファ様、連日届く報告書の山から逃げたい気持ちもわかりますが……流石に、言い訳が苦しいのでは?」
「ち、違う。違うぞマリツィア、決して気分転換をしたいという意味ではない」
「わかりました……気分転換にコーヒーではなく果実飲料を持ってこさせますので……」
「違う、本当に違うのだマリツィア、本当に声が聞こえたのだ!」
日々、ラティファの側近としてだらしない部分も見ているからかマリツィアは半信半疑と言いたげな視線のまま。
確かに砂人形を身代わりに少しの間執務から逃げたり、視察先を自由に見て回りたくて行方をくらましたりもしたが……今回は誓って本当だ。
"――告……警告……を――"
現に今も、ラティファの耳に聞こえてくる。
「果実飲料では不満ですか? 朝からアルコールを飲みたいと駄々をこねているのですか?」
「た、確かにワインを好いてはいるがそうではなくてだな……」
マリツィアは伸びた桃色の髪を耳にかけながら立ち上がる。
「ラティファ様、私も夫と数週間会えていないのです……これが虚言でしたら、流石の私も怒りますよ?」
「あ、ああ、わかっている。本当だ。いつもの一人でぶらぶらしたい口実ではない」
「であれば、ラティファ様に聞こえる声が私には声が聞こえません。呪詛の可能性を考えてたほうがよさそうですわね」
マリツィアはすぐに通信用魔石を取り出した。
「こちら王家直属のマリツィア。ラティファ様への呪詛攻撃の可能性あり。第二位の権限によって第四位"理性者"を緊急招集致します」
『了解しました。現時点でミリュネル様へのマナリル遠征任務を一時凍結。セルダールへ緊急招集します』
通信室への連絡を終えると念のためマリツィアは周囲を警戒する。
ここは女王の執務室。当たり前だが、誰もいない。気配もない。
「ミリュネルはエルミラ様に会いたがっていましたから……嘘だったら恨まれますよ?」
「ああ、わかっている。大真面目だ」
それでもラティファの耳には声が聞こえてきた。
どこから?
耳を澄ませながらラティファはまた天井を見た。
同時刻――マナリル・カエシウス領トランス城。
カルミナとお茶をしていたミスティの耳にも声が届く。
青みがかった銀髪をさらりと揺らしながら立ち上がる。
「……カルミナ、今の声が聞こえた?」
「え? 声、ですか……? ごめんなさいお母様、私には何も……」
「ラナ、カルミナを連れて部屋に。それとセーバさんに周辺の様子を探らせてくれる? ヴィオラとクラスの安全も確保して」
「かしこまりました、カルミナ様こちらに」
「お、お母様……」
「大丈夫よカルミナ、少し調べるだけだから」
ラナに手を引かれてカルミナはミスティを心配そうにしながら部屋を出る。
声が自分にだけ聞こえるというのなら攻撃だとしても狙いは自分だろうと推測して、愛娘を自分から離した。
"警告……を――に――! 目覚――ま……に……!"
また聞こえた。やはり気のせいではないとミスティは部屋の窓を開ける。
眼下に広がるスノラの町並みには何の変わりもない。
「【白姫降臨】に反応はない……悪意ではない……?」
聞こえるのは女性の声。
一体どこから……?
そう考えている内に、ミスティは空を見上げた。
スノラは今日も快晴だ。悪意ある何かが渦巻くには不似合いである。
「アルムは今ベラルタ……私がしっかりしないといけませんね」
空を見上げた後、ミスティは無意識にベラルタの方角を見つめていた。
城内がばたばたと忙しなく動き始める音を聞きながら。
同時刻・ベラルタ魔法学院第三実技棟。
特別授業の真っ最中、どこからか聞こえてくる声にアルムは顔を上げた。
耳に届くこの声は気のせいではないという確信。声には明確な意思がある。
「何だこの声は……?」
周囲には指導しているティアを含めた生徒達、そして共にベラルタに訪れていたベネッタがいた。
アルム以外には聞こえていないからか、突然表情が険しくなったアルムに生徒達が顔を見合わせる。
「声ー? どういう事ー?」
「外から聞こえてこないか?」
「んー? 別に……?」
「お父……アルム先生、どうされましたか?」
未だ呼び慣れない呼び方でティアが心配そうにアルムを見上げる。
少し頬が赤いのは学院での呼び方を呼び間違えたからだろうか。
その後ろではティアの友人であるカワヒトはからかえるネタを入手した事に喜んでいるのか口元をにやけさせている。
「遠くから聞こえるというか……何か掠れて聞こえるというか……?」
アルムの耳にはどこからか届く声がある。
ベネッタやティア含め、他の者は耳を澄ませても聞こえない。
"警告――警告……警告を――! 今の、時代に――星に……者達に――!"
確かに聞こえる。今度は先程よりもはっきりと。
一体何が聞こえてくるのかはアルムにもわからない。
しかし警告という言葉ははっきりと聞き取れた。
「俺だけに聞こえてる……どこからか呪詛をかけられてるか……? いや、違うな……嫌な感じがしない……百足も反応していない……ならなんだ……?」
耳に届く声が妙にすっと入ってくるのもアルムからすると不気味だ。
警告という言葉から察するに、この声自体に悪意はなく……これから悪意ある存在が現れるということか。
「もう四十近いんだ……今更また魔法生命相手とか勘弁してくれよ……?」
「アルムくんー? どうするー?」
「ベネッタはここで授業を進めてくれ。ヴァン学院長に報告してくる。現状特に変わった様子はないからすぐに戻ってくる」
「任せてー」
ベネッタに任せてアルムがその場を去ろうとすると、娘のティアが立ち上がった。
「お、お父様……!」
「大丈夫、念のためだから。ティアはベネッタからちゃんと授業を受けるんだ」
「はい……」
ティアは不服そうではあったが大人しくその場に座る。
事実、その日は何の音沙汰もなく一日は終わった。
アルムの耳に聞こえてくる声も一時間もしない内に聞こえなくなって……何だったのかは一先ず闇の中となったのだった。
……その翌日になるまでは。
アルム達に声が聞こえたのと同時刻――マナリル王都アンブロシアの観測室はベラルタ近郊にて霊脈の乱れが観測された。
アルムが魔法学院で勤務中とあってその乱れはアルムの影響だと推測されたが……念のためにと翌日には王都の魔法使い部隊が派遣されることとなる。
そこで、彼等は目撃した。
「なんだ、この……光る石……?」
ベラルタ近郊の平原に出来た一つのクレーター。その中心には真っ白な石。
魔法使い七人で構成される部隊は万全を期し、防御魔法を展開した。
瞬間――光る石が形を変えた。
「総員警戒!!」
それは光る石ではなく、石の形をしていただけの光だった。
輝きはそのままに柔らかそうに形状を変えて、ついに細く伸びる。
手が。足が。そして首も。
石だと思っていた輝く何かは人型に変わって、その輝きが落ち着いていく。
「警告を。この時代に警告を。目覚める時が来たのならまずは彼等に。
警告を……警告を……私の警告は何人に届いている? この時代に生きる、星に近き者達に……」
唖然とする魔法使い部隊を他所に、人型の何かは独り言を呟いている。
光の形は、最終的に一人の女性となった。
何も着ておらず、先程までの輝きが束になったような白い髪とふくよかな胸を揺らしながらクレーターを覗き込んでいる魔法使い八人を見上げる。
「……違う。彼等じゃない。私が伝えなければいけないのは、ああ、よかった。近くにいる」
その女性はクレーターを駆け上がる。女性とは思えない身体能力。
いやそもそもこれは人間なのか。
女性はそのままクレーターを取り囲むように展開された防御魔法に触れる。
「なにかしら、これ?」
魔法使い八人が警戒する中、女性は首を傾げる。
「まぁ、なんでもいいわ」
後の報告によれば、女性はただ手を強く押しただけだと言う。
女性がぐっと手に力を込めたかと思うと、クレーターの周囲に展開された防御魔法は粉々に砕け散って、女性は魔力の破片を浴びながらベラルタを目指し始めた。
「防御魔法を破られた! 全魔法の使用を許可する!! この女を拘束しろ!!」
「おどきなさい無辜の民。私は彼等に会いたいだけ……私の呼び声が聞こえる者達の所へと行きたいだけですから」
現地で最初に彼女と遭遇した部隊の報告はこう続く。
――ただ歩いているだけの丸腰の女性を私達は止めることができなかった。
「私の声が聞こえますか星に近き者達。安心してください、私はあなた達の味方です」
放たれる魔法を全て弾きながら、全裸の女性はただベラルタを目指して歩く。
届けなければいけない何かを伝えるため、ここにはいない誰かに呼び掛けながら。
お久しぶりです。お待たせしました、予告していた短編となります。
ゆっくり更新なのと短編なので四話(多分)くらいで終わります。




