32.適任の男
終わってみればオルリック領の丘が破壊されただけで被害は小規模と言える事件だったが、その全容は事情を知る者であればぞっとするもの。
大蛇を知る当時の者にとっては特に、あれと並ぶ魔法生命を呼ぼうとしていたなど想像もしたくないものだった。
イリーナとキヨツラの侵入に使われた常世ノ国の船はマナリルに押収され、北部に散らばっていた偵察員もクエンティの指揮によってほぼ全てが捕縛された。
ロードピス領に置かれた妨害用魔石も破壊され、回復した通信用魔石によって全員の無事が確認される。
今回の功労者であるネロエラはすぐさま病院に運ばれ、王都から派遣された治癒魔導士達によって一命をとりとめた。
外傷は勿論、打撲から骨折、内臓の損傷など……外も中も傷ついていて、無理矢理動いたのが手に取れるような怪我だった。治療にあたった治癒魔導士の一人がぼそっとよく生きてられたな、とつい呟いたなどという噂まで流れるくらいの重体であり……今はオルリック領の病院に入院している。
こうして、今回の事件は終息した。
しかし……イリーナの遺体はあったが今回の事件を画策した片割れであるキヨツラ・ヤコノは行方をくらました。
「ネロエラー!!」
「あ、フロリア……おかえり……」
今回の事件が終わり、常世ノ国から帰ってきたフロリアが病室の扉を勢いよく開ける。
全身包帯塗れのネロエラを見てフロリアは抱きしめようと広げた両腕を我慢した。
「怪我は!? 治癒魔法かけてもらった!? どこか後遺症とか!」
「だ、大丈夫だ。治癒して貰ったが、怪我が重くて完全に動けないだけだ……これ以上はベネッタぐらいの腕前の人を呼ばないと治せないみたいだが……ベネッタを呼びつけるわけにもいかないからな。後はゆっくり、治すさ」
「はー……よかった……」
ネロエラの笑顔にフロリアは心からの安堵のため息をつきながら、近くの椅子に腰かけた。
「ヘリヤとロータは?」
ネロエラはフロリアについていったエリュテマ二匹の事を聞く。
不測の事態に備えて常世ノ国に行くフロリアにつかせたが、結果的に一番安全だったといえよう。
「他の子達と一緒にオルリック邸の庭にいさせてもらってるわ。大丈夫、何も無かったから……あなたのほうがよっぽどよ?」
「流石に今回はきつかった、かな」
「でしょうね……相手が相手だもの」
フロリアは手を伸ばし、ネロエラの頬に触れる。
そこでようやく、ネロエラがいつもと違う事に気付いた。
「あなた、いつも着けてるあれどうしたの? ほら、私があげたフェイスベール」
「え? ああ、ちゃんと持ってるぞ。そこの、ほら、引き出しの中だ」
ネロエラはそう言って、病室に置かれた小さなタンスのほうに視線をやる。
ベッドからは少し距離があって、手を伸ばして取れるような距離ではない。
フロリアの目に少し涙がこみ上げる。自分が贈ったプレゼントを使わなくてよくなった事が嬉しいだなんてきっと初めての事かもしれない。
「そう……本当に、頑張ったのね」
「こ、子供扱いか?」
「違うわ、褒めてるの」
フロリアは笑いながら、ネロエラの頬を撫でまわす。
口の中の牙が少し見えても、ネロエラが嫌がる事は無かった。
「それより、常世ノ国のほうはどうなんだ? イリーナと戦って私は限界だった……もう一人いたんだが、逃してしまって……」
「ああ、常世ノ国のほうはもう大丈夫よ。近い内に話が纏まると思うわ。私よりも適任が向かったから」
「……? 適任?」
「そ、適任」
フロリアはもったいぶっているわけではなく、それ以上を語ろうとしない。
その様子にネロエラもそれ以上追求する事は無かった。
「……なら、フロリアも任務終了、だな」
「ええ、でもまずはあなたが怪我を治さないとね……治ったら美味しい所に食べにいきましょ?」
「うん、楽しみだ」
過酷な任務を終え、久しぶりに出会った二人は昨日会った続きのように雑談に花を咲かす。
フロリアもまたネロエラが退院するまでオルリック領で過ごすのだった。
常世ノ国の首都ヤマシロ。
モルドレッドの屋敷にて頭を床に擦り付ける一人の男がいた。
「申し訳ありません!!」
「…………」
常世ノ国の王モルドレッドはその男の謝罪に無言で応える。
先日、常世ノ国を脱走し、そして戻ってきたキヨツラの謝罪を。
「このキヨツラ、祖国を想う心を暴走させこのような事態を! どのような罰でもこの身に! しかし何卒! 何卒我が家の取り潰しだけはご容赦を!! 我が家の名だけはどうか寛大な心でお許しくださいませ!
常世ノ国の貴族として何代も続いた由緒正しきヤコノ家だけは!!」
ネロエラがイリーナに敗北した後、キヨツラは隙を見てオルリック領を脱出し……ネレイア海の警備が厳重になる寸前に常世ノ国へと帰還する事に成功していた。
あのままマナリルにいればすぐに捕縛され、尋問や拷問が待っていたはず。
であれば今回はプライドに泥を塗って常世ノ国に戻り、許しを乞うほうがましだとキヨツラは考えていた。
(このキヨツラが、この男に頭を下げねばならんとは……! だが、マナリルのゴミ共に好き勝手されるよりはましか……!)
床に額を擦り付けるキヨツラを前にしてモルドレッドは表情を変えぬまま口を開く。
「……常世ノ国は他の国々よりも弱い。俺様以外の魔法生命に一度滅ぼされている国だからな。であれば、他の国を出し抜くようにその差を埋める方法が必要だ。綺麗事ではこの差は埋まらない」
「仰る通りでございます!」
「お前は正しい。俺様がマナリルと手を結ぶ方針でこの国の発展を願ったように、お前の今回の行動も国を想った結果なのだろうな。俺様は王としてまだ未熟……であればお前の方法のほうが優れている可能性もある。
俺様としては、お前のやり方が優れていると示してくれれば今回の件は不問とし、再び常世ノ国の力となってもらいたいと思っている」
モルドレッドの言葉にキヨツラは頭を上げる。
まさか家の存続だけでなく、自分まで許される可能性があるとは思っていなかった。
思いのほか甘い奴だ、とキヨツラは内心でモルドレッドを見下す。
力はあっても、王としての格はやはりない。その甘さはやはり王に相応しくないとまで。
どんな条件を出されるかはわからないが、これで不問となればまた再起が可能だ。
鵺の魔力残滓はすでにこの身に回収してある。ならば機会は訪れよう。
今度こそ……今度こそ常世ノ国を人間の手に戻すための策を、とキヨツラは表情を明るくした。
「では正しさを示して貰おう。入ってこい」
モルドレッドが合図すると、キヨツラの後方にある襖が開く。
人の気配だ。誰かがこの部屋に入ってきた。
キヨツラはちらりと、肩越しに後ろを見た。
「"魔力の――!?」
希望を抱いたキヨツラの表情が一気に青褪める。
部屋の入口にはマナリルの白い軍服を纏った黒髪……アルム・カエシウスが立っていた。
イリーナとの作戦において、徹底的に遠ざけようとしていたマナリルの英雄。
九尾復活後の予定ですらしばらく遭遇を避けようとしていた一番の危険指定。
キヨツラは目を逸らすようにモルドレッドのほうに顔を向ける。
「どうしたキヨツラ? すでに話は通してある。お前はマナリルと手を結ぶ俺様の方針が気に食わなかったのだろう? ならばお前が正しかったと今ここで示してくれ。その男を殺す事が出来れば、確かに俺様の方針は間違っていた。マナリルなど恐れるに足らず。今すぐお前の方針を主軸に常世ノ国を発展させる事にしよう」
「あ……う、ぐ……」
――詰んでいる。
キヨツラは自分の未来を悟ってしまう。
モルドレッドはキヨツラを許す気など無い。
これは常世ノ国という場を使った罪人の引き渡し。あるいは処刑。
キヨツラがこの場を切り抜けるには、本当にアルムを倒すしかない。
「そんなに怯えてどうしたキヨツラ? 怯えたいのは俺のほうだ。見ろ、ずいぶん恐い眼をしている。そうでなくても、あれは魔法生命の死神……さあ助けてくれキヨツラ」
出来るわけがない。アルムを倒せるならそもそも、他国のイリーナと手を結ぶなんてしていない。
鵺の魔力残滓を手に入れてはいるも、あれはそんなものでは倒せない。
「何もしないのならキヨツラ……これで話は終わりにするか?」
言外に身の破滅を告げられて、キヨツラはぶるぶると震えながら立つ。
このまま黙っていても要求が通らずに処刑されるか、それか逃げようとしてアルムとモルドレッド二人を敵に回すかの二つの一つしかない。
ならばと、キヨツラはモルドレッドの提案通りアルム一人と戦う道を選んだ。
「【異界伝承】ぉ!」
「【異界伝承】」
アルムとキヨツラが唱える文言は共に同じ。
その瞬間、モルドレッドはため息をつく。
「【夜帳雷鳴観音開】!!」
「【幻暴異聞・鬼々礼賛鬼哭神楽】」
魔力残滓は一度表に"放出"されたらそれで終わり。一度きりの現界のチャンスを失い、消失する。
キヨツラの目的のためには今唱えた鵺の魔力残滓の力が必要……だが、この土壇場になってキヨツラは迷うことなくその力を自分のためだけに使った。
常世ノ国の人間のプライドのために、モルドレッドを玉座からどかす。
そう語っていた本人のプライドなど、所詮はその程度だったとモルドレッドはキヨツラを完全に見限って……その戦いを見ようとすらしなかった。
キヨツラの足下からは巨大な影が伸び、アルムの背後には天井を突き破らんとする巨体の鬼がげらげらと笑い声を上げた。
「常世ノ国の貴族ヤコノ家の誇りを今こそ!」
「ぐっ……ぬおおお!! な!? ば、馬鹿な! 影となった鵺を掴むだと!?」
「ごぶっ……! ぐ、ぼ……。じ、自分が、このキヨツラ・ヤコノが……こんな卑しい血にいいい!」
「あ……が……。だ、ず……げで……! だずげでください!!」
「ごめんなざい! ごめんなざい!! なんでもじまず! なんでもじまずがらあ! もう! がおは――げべっ!?」
「二度ど! 二度どあなだの前にはすがだを! みぜまぜん! 靴も、なめまず! なめざぜてぐださい!!」
「あぎゃあああああ!? う、うで……うでが……。あ、はは……はは……腕がとれて……ひっ……!? も、もう、いいでじょ……? 一本、もうない、のに……ひっ! やだ! いやだ! いやだいやだいやだ! いやだあああああああああ!!」
「だれが、だれが……! だれがあああああああ!!」
襖と畳、天井の梁にまで赤黒い血が飛ぶ。
げらげらと笑う鬼の笑い声と徐々に弱弱しくなっていくキヨツラの声、一度だけ聞こえてきたモルドレッドのあくびの音。
目の前で行われる処刑を前に、アルムはただ無言でキヨツラの最期を見届けるだけだった。
「英雄らしからぬ戦い方だな、アルムよ」
「今回のやり方があまりに悪質だったからな。わざわざ妊娠しているミスティやエルミラを狙うような情報を流されて不安を煽られたんだ……流石に殺意の一つも湧く。妊婦のストレスになったらどうする」
「おお、恐い恐い。温厚な者ほど怒らせてはならないというのは万国共通……いや万界共通だな」
鵺の魔力残滓を巨大な鬼が食らう所を見ながら、モルドレッドは笑う。
畳にはキヨツラだった肉塊が無惨に転がっていた。
「悪いな、汚した」
「よいよい。新しい屋敷を作るという仕事を民に与えると思えば大した事はない」
「それで? モルドレッド王……どうするつもりで?」
アルムの目から殺意が消え、マナリルの使いとしての顔になる。
モルドレッドは無意識に身構えていた警戒心をようやく解く事が出来た。
「ヤコノ家は常に監視を置く。キヨツラのような過激な思想は持っているとは思えないが放置はできん。跡継ぎとなる子供は時が来たらマナリルに留学させよう。
幸い、キヨツラはいい父親ではなかったようだからな。マナリルで過ごさせ、交友関係を作って情を抱けばキヨツラのような馬鹿な考えも浮かぶまい」
「わかった。その方向で国王に報告しよう」
「鵺の魔力残滓が消えたとはいえ、一度は異界に触れた血統魔法だかららな……これくらいは当然。我が国の貴族が迷惑をかけた。俺様は変わらず、マナリルとはこれからもいい関係を築けたらと思っている事に変わりはない。この場を用意した通りな」
「その言葉のまま、必ず伝えよう」
アルムはモルドレッド王に一礼してその場を後にする。
この場は勿論非公式。アルムはここには来ていない。
マナリルと常世ノ国の友好関係を今一度確認するために用意されたに過ぎない。
「玉座に俺様がいるのが気に食わないというのなら最初から俺様に挑めばいいものを……馬鹿者め。貴様は反逆の仕方すら間違えた」
四肢のちぎれた肉塊に向かってモルドレッドは唾を吐く。
危うくマナリルとの関係を壊しそうになった大罪人を一瞥してモルドレッドも部屋を後にする。
屋敷の使用人も秘書のカヤももう別の場所へ移動済み。
ここはもう取り壊すのを待つだけの、空っぽな屋敷となっていた。
お読み頂きありがとうございます。
次の更新でエピローグとなります。




