26.九尾絢爛7
"ハッ! ハッ! ハッ!"
"あなたはカーラね! ふふ、私がお姉さんよ!"
倒れるカーラを見て蘇る幼い記憶。
大きく口を開けて笑えた頃の過去。小さかったカーラを抱き上げて、抱きしめていた時。
まだ血統魔法すら継ぐ前に、最初にパートナーとなったエリュテマが力無く倒れる姿にネロエラは血の混じった涙を流した。
「カー……ラ……なん、で……戻って……」
ふらふらとした足取りでネロエラはカーラに近寄る。
もう魔法無しではカーラの体を持ち上げられない。
「カーラ……駄目……駄目だよ……。あなたは、アルム達に、この事を……違う……そうじゃな、くて……駄目……駄目駄目駄目……! やだ……! やだ……!」
ネロエラが生きている事に安心したのかカーラはゆっくりと目を閉じていく。
血統魔法がさっき解除されてしまった。つまりカーラは強化無しで九尾の一撃を受けてしまっている。
長く魔法の"現実への影響力"を受けているエリュテマゆえにその"存在証明"は高くとも、都合よく致命の一撃を耐え切れるようなものではない。
狼狽するネロエラと静かに目を閉じていくカーラ。
その光景を満足そうに、九尾の力で左足が変化していくイリーナが見下ろす。
【く、はぁあ! はっ……はぁっ……! ああ、また一歩アナタに近付けたのデスネ……! わかります……ワカリますよ彼の神……!】
イリーナは自身の肉体の変貌を喜び、九尾の力を受け入れる。
ゆっくりと行われていく存在の"変生"。
イリーナの精神はそのままに、存在だけが根本から生まれ変わっていく。
【クヒっ……! アッハァ……! こんな味がスルノネ? 恐怖と悲しみって……!】
ネロエラの感情が九尾の魔力を通じてイリーナの舌の上で踊る。
それは脳髄に染み込むかのように甘く、"現実への影響力"が徐々に上がっているのがよくわかった。
すぐに殺さないのは、この感情が続けば続くほど有益だからに他ならない。
もう死に体のネロエラから恐怖と悲哀を搾るだけ搾り取って力とし、その後苦しませて殺す。
鬼胎属性の魔力の特性をその身で感じられるようになったからこそ、色々と試したい事がある。捕まえて、失血死するのを眺めるのもいいかもしれない。
恐れるべきはこれから先、不完全な状態で他のアルム世代と出会ってしまう事。イリーナが望んでいた神の存在に近付くのは喜ばしいが、この変化中は流石に隙が出来てしまう。
ネロエラの感情を餌に出来るだけ"完全体"に近付けば、そのリスクも減る。
すでに勝負は決しており、イリーナに焦る理由は全く無い。
「カーラ……カーラ……!」
そんな下卑た視線にネロエラは気付きつつも構っている余裕は無かった。
どれだけ呼び掛けてもカーラは目を開けない。
「カーラ……カー……ラ……!」
幼い頃からの友に■が近付く。
考えたくもないと首をぶんぶんと振った。
「カーラ……一緒にいてよ……」
寂しいよ。
辛いよ。
恐いよ。
子供のように喚き散らしたかった言葉を、ネロエラは一言に込めた。
奇跡的に起き上がってくれる……そんな起きるわけのない奇跡を願って。
【お別れは、すんだ?】
あまりに悪辣な水を差す声。
最初こそ無垢さを感じていたが、もうそんな事は思いもしない。
怒りに震えながらネロエラはイリーナのほうを睨む。
「まだ、だ……まだ生きてる……!」
微かだが腹がまだ上下していてカーラはまだ生きている。
だがそれも時間の問題。すぐに治療しなければイリーナの言う通り別れは訪れてしまう。
【そう。なら、シッカリ守るのよ?】
イリーナはネロエラ向けて指を弾く。
すると九尾の魔力から人間の指先ほどの魔力が放たれ、ネロエラの肩にめり込む。
「う、ぐ……!」
【ほらほら! ホウラ! ほらほら!】
次々と放たれる鬼胎属性の魔力の弾。
ネロエラはカーラの体を庇うように覆いかぶさるよう。
何度も放たれる魔弾はネロエラの背中や肩にめり込み、魔弾が命中した激痛と魔力を通じて見せられる吐きたくなるような惨劇の記録でネロエラの精神を削っていく。
ネロエラの恐怖や悲哀を引き出すために、イリーナはネロエラをいたぶり続ける。
それで死んでくれたらそれはそれ。ただこの場が片付くというだけだ。
「ぶ……『強化』……!」
【アッハ! まだ耐えてクレルのね! いいわ! 彼の神の礎になれるエイヨを噛み締めながら! 逝きなさい!!】
ほんの少しでも抵抗をと咄嗟に無属性魔法で肉体を強化する。
痛みはましになったが、鬼胎属性による精神攻撃はほんの少しも軽くはならない。
こみ上げてくる吐き気を下にいる友の姿を見てこらえる。
身を挺して自分を助けてくれたカーラを助けたい。助かって欲しい。
ただ庇う事しかできない自分が、情けない。
ネロエラは悲しみからではなく、何もできない自分の情けなさに震えてポタポタと涙を落とす。
「誰か……!」
誰か、この子を。
この子は恐くありません。
「誰か……!」
この子は化け物なんかじゃありません。
人の心に寄り添える子供の頃からの友達なんです。
「誰か……! この子を助けて……!」
私、お姉さんになるって言ったのに。
何で私が守られてるの――!
「…………おお……」
【ん……?】
イリーナの指が止まる。
何かが聞こえてくる。
(この魔力濃度の中を……?)
周囲には九尾の魔力が充満している。
並の人間では近付く事すら出来ずに逃げ出すか倒れるはず。
という事は魔法使い? いや、魔法使いならばこの空間の危険度がよりわかる。
魔力から通じる惨劇の記録でまともに魔法など唱えられまい。
では自分に抗える強者? 違う。そんな大きな力は感じない。
イリーナが強化された視力で遠くを見ると、何か馬車のようなものが走ってくる。
「おお……! おおおおおお!!」
【あぁら、実力不足の役立たずが、戻ってきたの?】
イリーナはその何者かを視認して拍子抜けする。
魔法で作られた戦闘用馬車に乗り、一体のエリュテマと並走してこちらに向かってくるのは先程見たばかりの男。
この場から逃げ出した腰抜け。九尾の力が顕現する前から逃げの一手を選んだ羽虫。
もしかすれば、一緒に走ってきているエリュテマのほうがまだ戦力になるのではと感じた男だった。
「じぇ、ジェイフ……?」
「おおおおおおおおおおお! 男ジェイフ登場! 役立たず上等!!」
向かってくるのはネロエラの命令で一時はここを離れた臨時副官ジェイフとカーラと一緒にここを離れたはずのエリュテマのスリマ。
この場に来た所でイリーナをどうにかできるはずがない。それでも、やれない事がないなんて事はない。
お読み頂きありがとうございます。
次の更新から番外長編最終章となります。




