24.九尾絢爛5
「エルミラ!」
ロードピス邸の寝室の扉をルクスは勢いよく開く。
そこには涙目になりながら両手に武器を構える専属治癒魔導士のターニャ、ベッドの傍で剣に手をかける使用人兼護衛のクーリア、そしてベッドにはお腹を大きくしたエルミラがいた。
「ふう……よかった、本当に旦那様だった……」
「本当にって何よターニャってば……ふふ、来てくれたの? ルクス?」
「よかった、領内の落ち着き具合を見て大丈夫だと思ってはいたけど……直に安全を確認するとやっぱ安心するな……」
ルクスはすぐさまベッドに駆け寄ってエルミラの額にキスをする。
くすぐったそうにしながらもエルミラはそれを受け入れ、顔を綻ばせた。
「エルミラに付いてくれていてありがとうみんな……えっと、ターニャくんは何で斧と剣を両手に……?」
「え、エルミラ様はこのターニャがお守りするんですうううう!!」
「う、うん、嬉しいんだけどあんたは専属の治癒魔導士なんだから戦わないでもらっていい……? 護衛はクーリアに任せていいから……」
通信が繋がらないという異常事態のせいか、武器を両手に取りながら混乱しているターニャをエルミラが落ち着かせる。
「エミリーとアルカは?」
「今は寝てる。そっちにも護衛を送って貰ってるわ」
「そうか……しかし通信を妨害しているのに動かないとは何か変だな……?」
「ええ、ルクスが到着する前がチャンスだったと思うんだけど……あ、妨害用魔石の場所は警備に調査させて――」
エルミラが領内の状況を伝えようとしている最中、ルクスとエルミラはどこからか不快な重圧を感じ取る。
遅れて護衛のクーリアも何かに気付いたのか再び剣に手を伸ばした。
「エルミラ様……これは……」
「あんたも感じた? クーリア?」
「はい、これは祖国でも感じた嫌な空気です……」
「私も感じた……この空気……」
クーリアは元はダブラマの数字名の魔法使いであり、エルミラの人柄に惹かれてマナリルまで来た異色の経歴を持つ護衛だ。
当時ダブラマで起きた事件に多少なりとも関わっており……今エルミラ達と同じように感じている不快な空気から共通の答えを導き出す。
肌で感じた尋常ならざる悪寒。エルミラはルクスのほうを見る。
「もしかして妨害用魔石すら罠ってやつかしら?」
「この状況を作り出すためだとしたら……可能性はあるね……」
顔を見合わせたルクスとエルミラは戦慄する。
正確にはわからないが、遠くに現れた巨大な力の塊の存在。
それは十年前に戦った怪物達のようで、しかし即座に駆け出すわけにもいかない状況に唇を噛んだ。
『はっ……! はっ……!』
【あっはっは! アハハハハハハ!!】
大地を薙ぎ払う黒き尾。その正体は鬼胎属性の魔力の塊。
草原だった場所は枯れ、花は咲いた事実を隠すように黒ずんでいく。
生を剥奪するその力に一匹の白狼は翻弄され続けるしかない。
【なんて、なんて美しいの! ようやくその力の一端に触れられて……私は……私はぁ……! 嬉しくてシンデしまいそうですわぁ!!】
イリーナの感情の発露と同時に雲から黒い雷が降り注ぐ。
この場に一人残されたネロエラは草原だった荒野を走り、その雷を躱していった。
相手にとっては攻撃ですらない力ですらネロエラは全力で回避するしかない。
二度目の血統魔法を使ったおかげで何とかまだ動けている。
(そ、存在の規模が違う……!)
笑うだけで雷を落とし、尾を払うだけで生を剥奪する。
全ての行動の結果が人間と違い過ぎる現実にネロエラは絶対的な差を感じてしまう。
他の魔法生命を見た時と同じ感覚。ミノタウロスと出くわした時も絶望を感じたがそれ以上。
大蛇と同じように尾の数だけ能力がある可能性もある。
(尾の数は恐らくは力の程度……九尾という事は、その半分でもこの差か……!)
たった一つの救いは、恐らくこれでも弱い状態だという事。
イリーナに纏う魔力の塊を生命であると認識はしてしまっているが、魔法生命側の意思は一切感じない。
その姿もあいまって完全な形での出現でないのはネロエラにも理解できていた。
相手は九尾であって九尾ではない。ただの力の塊だ。
それでなお、先程までの戦闘がまるでお遊びに見える差がある。
不完全でありながら圧倒的な"現実への影響力"によって蹂躙されている現状。
実体だったなら周囲の枯れ草と同じように一瞬で摺り潰されていただろう。
【どうしたの"魔獣令嬢"? さっきまであんなに食らいついてくれたではないですか!】
『ぐっ……! うっ……!?』
魔力の塊が前足を無造作に空を引っ掻く。
同時に疾風。魔力の刃がエリュテマとなった肉体を裂く。
その一挙一動が世界に影響を与え、攻撃へと変わる。
血統魔法によって作られた外皮など無かったかのように全身から血が噴き出す。
それでもネロエラは倒れない。四本の脚で大地を踏みしめ、爪を立てて衝撃に耐え切った。
『ガアアアアアア!!』
そして耐え切った直後、獰猛な牙を巨大な九尾を模した魔力の塊へと向ける。
狙いは突き出した前足。少しでも魔力を削ぎ、"現実への影響力"を下げればそれだけ後の人間が楽になるかもしれない。
力一杯に込めた四本の脚は土を舞い上げ、その牙を恐怖の塊へと突き立てた。
『う、ぐっ……!?』
【あはぁ……残念ねえ?】
しかしその結果は絶望を助長する結果へ変わる。
文字通り、歯が立たない。
魔獣の獰猛な牙も鋭利な爪も、肉体の無い魔力の塊の九尾にすら傷をつける事はできなかった。
ネロエラの攻撃を阻むのは魔法生命の外皮。最低限の"現実への影響力"を有していなければ傷一つつけられない魔法生命特有の防御。つまりは火力不足。
九尾を模した魔力の塊は前足を噛みついて固まるネロエラごと地面に叩きつけた。
『か、はっ――!』
【無様ねえ? まるで子犬の歯と爪みたぁい!】
裂かれた皮膚からの出血と共に叩きつけられた衝撃で呼吸が一瞬止まる。
地面がめり込むほどの衝撃を受けても絶命しないのは信仰属性の防御性ゆえ。
しかしそれにも限度はある。ネロエラは全身の痛みに耐えながらも上を見上げて、死を覚悟した。
【う……ぶ……!】
『あ、れは……?』
見上げてとどめの一撃が来ると覚悟しているとイリーナが突然苦しみだす。
何故訪れたかわからない好機にネロエラは急いで距離をとった。
魔力の中でもがくイリーナ。何事かとネロエラが見届けているとイリーナの右腕がぼこぼこと盛り上がり、次の瞬間、獣の前足へと変化した。
その腕は金の毛が生え、指の先には毒々しい鉤爪を有す獣の前足のよう。
およそ人間からかけ離れた獣化のような変化、魔力の塊の中で起こる歪な変貌……イリーナはそんな右腕を見つめて、口を開く。
【ああ、なんて、綺麗……!】
イリーナは心の底からの蕩けるような笑顔を浮かべた。
まるで高価な宝石を身に着けたかのような感想。自分の右腕を見るその瞳は自分の腕に見惚れている。
それは力の同調か。それともイリーナが九尾に浸食されているのか。
ネロエラには判断がつかなかったが、イリーナがそれを受けれいているというのは嫌というほど伝わる笑顔だった。
【この身に彼の神を宿し! ワタシはようやく、ようやく舞台に立てた……!】
感極まったのかイリーナは笑いながら涙を流す。
その様子に、ネロエラは恐怖で背筋を凍らせた。
お読み頂きありがとうございます。
『ちょっとした小ネタ』
イリーナの体が変化しているのはアルムの【幻魔降臨】と同じ存在の"変生"です。
生きながら自分の存在を変える危険な行為なので普通は誰もやりません。




