20.九尾絢爛
(カンパトーレと……後ろの男は常世ノ国の人間か……?)
イリーナの一挙一動を見張りながら、ネロエラは後ろの男にも目をやる。
男はネロエラを見た瞬間、不服そうに眉間に皺を寄せた。
「予定と違うな。増援をロードピス領に差し向けて孤立したルクス・オルリックを討つはずだったというのに……この女では箔が足りぬ」
「私達の想像以上に、ルクス・オルリックは妻想いの男だったようですね。
けれどキヨツラ、ここ最近、私達の送っていた偵察員を全て捕縛していたマナリルの番犬……アルム世代の"魔獣令嬢"の首となれば十分ではぁ?」
「ふん……」
ネロエラはその男の事はわからなかったが、着ているのは着物という民族衣装。
イリーナはカンパトーレの聖王女と名乗っていたが、男のほうは名前の音といいどうやら常世ノ国の人間で間違いない。
「わざわざロードピス領に妨害用魔石を配置したというのに……まぁ、いい。君が言うように楽になったと考える事にしよう」
まだいささか不満そうなキヨツラの言葉にネロエラは二人がここまで辿り着いたルートに気付く。
執拗なほど送られてきた北部への偵察員がアルム達の動向を調査する以外にも目的があったのだと。
(海路か……! 北部の川からネレイア海へ出て船に乗り換えた……!)
北部にはスノラの町にも流れているようにネレイア海に繋がる巨大な川がある。
この一か月カンパトーレが北部に偵察員を送っていたのはアルム達を北部に縛るだけではなく、あたかも北部が目的かのように誤認させ、川から東部への侵入ルートを悟らせないため。
現在マナリルと常世ノ国とは友好国。十年も関係が続いている。
港で荷のチェックはあるにはあるが、この二人が贔屓の商船を装って上陸したとしたらチェックも多少甘くなる可能性が高い。なにせ男のほうは本当に常世ノ国の人間なのだから怪しめというほうが難しい。
少なくとも、カンパトーレを警戒して強化された北部方面の警備を突破するより遥かに楽なルートだ。時間だけはかかるが、ミスティとエルミラの出産が終わるまでに事を起こせばいい相手にとっては全く問題ない。
「ええ、その意気ですわキヨツラ。多少の些事は笑い飛ばせなくては、ね」
「ああ、そうだな」
「……」
対峙するネロエラ達を小馬鹿にするような会話中もネロエラは二人を観察する。
会話上の力関係は女のほうが上。男は何らかの協力者と見ていいか。
感じた力量通りの関係性の二人のようだが、まるでルクスを倒せる算段があるような内容が少し気になってしまう。
「あなた達が、ルクスさんを?」
挑発がてら、ネロエラは有り得ないと言いたげに鼻で笑いながら探りを入れた。
数々の手練れを目にしてきたネロエラの眼がその強さを嗅ぎ分ける。
確かに強いのは間違いない。だがその強さはあくまで常識の範疇に過ぎないもの。
自信に満ちたこのイリーナという女は精々が自分と同程度か多少上な程度、そして後ろのキヨツラのほうはその域にすら達していないというのがネロエラの見立てだった。
ネロエラ自身、マナリルの魔法使いの中でも上澄みではあるが、本当の頂点にいる魔法使い達は格が違う。アルムやミスティといった頂点の一角と親交のあるネロエラだからこそ自分と同程度のイリーナではルクスには絶対に勝てないのがよくわかる。二人がかりだとしても結果は同じになるだろう。
「ええ、その通りですよ」
イリーナは絶対の自信を持って笑顔で返す。
虚飾や見栄ではない。勝つ算段がある表情だ。
それだけ相性がいい血統魔法を持っているのか、或いは――
(やはり魔法生命の復活か?)
アルムが予想した通り魔法生命をその身に宿す気なのか。
ネロエラは一歩後ろのいるジェイフに視線を送り、小声で指示する。
「ジェイフ、町の人の、避難を頼む」
「ですが、相手は二人……ここは……!」
「駄目だ。優先すべき、は、ルクスさんに、託された、民の安全……それに、あの女は、私と互角か、上……お前を守り、ながらでは難しい」
「――っ!」
暗に足手纏いだと言われたジェイフの表情が一瞬曇る。
ジェイフとて魔法使い。それなりの戦力になるが……ジェイフはまだエリュテマ達との連携もとれず、ネロエラの戦い方に合わせられる程の経験もないためどうやっても孤立してしまう。
ジェイフ単体の戦力が有利になる可能性よりも、足枷となってしまう可能性が高い。
「だから、お前が今やるべき事は、ここで戦う事、じゃない」
「……!!」
ネロエラの言葉に、ジェイフは姉の言葉を思い出す。
"自分の出来る事からだけは逃げない男になりなさいね"
子供の頃に交わした姉との約束が頭の中でこだまする。
戦力外と言われた事は辛く悲しい。しかし、だからといって自分の意地を張って戦う事が正しいのか。それこそ、逃げではないのか。
思考停止して実力も伴っていないくだらないプライドを優先する事はきっと魔法使いのやるべき事じゃない。
ジェイフは秘めた恋心が燃やしかけた恋敵への間違った対抗意識とプライドを見事自分で鎮火させた。
「ふぅー……! 了解致しました。民の避難誘導、このジェイフにお任せ下さい」
「ヒルドル、ジェイフに、付いてやれ」
「ワウ」
ネロエラの指示で一体のエリュテマがジェイフへと駆け寄る。
その様子にイリーナはくすりと笑う。
「相談は終わりましたか?」
「行け!!」
「はい!!」
ジェイフはすぐさまヒルドルに飛び乗り、来た道を引き返す。
ヒルドルはまだ背中にジェイフを乗せていいほど信頼はしていないが、ネロエラの命令とあらばそれが優先。
残されたネロエラと三体のエリュテマを振り返る事無く、町のほうへと駆けて行った。
「いいのかイリーナ」
「ええ、別に追う理由もありませんので」
イリーナもキヨツラも町へと走るジェイフを追う気配もない。
彼女達の目的は虐殺ではなく、目の前のネロエラに向けられている。
「大変ですわね、守るものが多いというのは」
「聖王女と、名乗るくらい、なら、そちらのほうが、守るべきものは、多い、のでは?」
「……? いいえ?」
意味がわからないと言わんばかりにイリーナを首を傾げる。
「私は守りません。ただ進む。ただ歩む。その後を私という光を愛する者達がついて来ればよいのです。私は強く、美しい。そしてカンパトーレという祖国を想う真なる愛国者。ゆえに、私の歩む先にこそ祖国が再び輝く未来がある。
腑抜けた民は私の道に人生を貢ぎなさい。堕落を極めた貴族の豚は私の美に鼻を鳴らしてなさい。そして、その道を阻む敵は私と、彼の神の力の前に膝を折りなさい。
私こそ彼の神に支配されるカンパトーレの初代聖王女イリーナ・ペレーフト。守った所で祖国が救われる事はありません。ならば、私に捧げられた全てを、そして私という器すらも捧げて必ずや彼の神をこの地に。千の死で染まる血の絨毯を敷きましょう……私の望む未来に向けて」
イリーナが目を剥き、ネロエラの背筋に寒気が走った。
残ったエリュテマ達も全員が警戒態勢から一気に臨戦態勢に。
目の前の女の危険度がネロエラ達の中で一気に跳ね上がる。
ネロエラの見つめるイリーナの瞳には一切の偽りがない。
言葉はひたすらに傲慢不遜。しかしただ傲慢なわけではなく、傲慢でありながら光と比喩した自分すらも犠牲になっていいと語るその歪さに善悪を放り投げた信念が垣間見えた。
「あら、光栄ですわぁ。あの"魔獣令嬢"に警戒されるなんて」
ネロエラに続いてイリーナもくすりと笑って戦意を剥き出しにする。
互いの戦意が混ざり合い、まるで空気が歪んだかのような錯覚があった。
「下がりなさいキヨツラ。そちらのタイミングは任せるわぁ」
「最初といい今といい……君は案外遊び癖があって構わんな、もうすぐ馴染むぞ」
「音に聞きしアルム世代……魔法使いならば、どれほどのものか確かめたいでしょう?」
キヨツラは戦闘に参加する気が無いのかイリーナに言われた通り下がり始める。
しかし戦闘に参加しないとはいえ、あちらが企てている何らかの計画と無関係なはずがない。ネロエラは隙があればキヨツラのほうも狙う気でいた……無論、隙があればの話ではあるが。
「よそ見だなんて流石アルム世代の御方は余裕ね。ああ、本当に、恐いわぁ」
イリーナは笑みを見せて――
「――"変換式固定"」
「っ!?」
――ネロエラの不意を突く一手を当然のように打ってくる。
ネロエラにとって聞き覚えがあり、そして知識としても知っている追加詠唱。
動揺を瞬時に収め、魔力を高める。ネロエラの見立てでは互いの実力は拮抗している。であれば、敵が切り札を切るのならば当然こちらも切り札をぶつけるしかない。
「【気高き友人】!」
「【夢幻踊る薄氷の姫】!」
二つの歴史の声が晴れやかな空の下響き渡る。
陽気に吹く爽やかな風でさえ、二つの殺意を吹き飛ばす事はできなかった。
お読み頂きありがとうございます。
今回の番外長編も終盤に入りました。最後までよろしくお願いします。




