19.歩く先に
「ネロエラ隊長……元気ないですね……」
「そ、そんな事は、ないぞ?」
「いや、流石にわかりますよ……」
オルリック領に到着して二日。警備の衛兵や訪れていた補佐貴族と段取りの相談も終わり、代理とはいえ執務をやる必要のないネロエラ達は英気を養うために外を散策していた。つまりは暇というわけだ。
歩ている途中、ジェイフの指摘にぎくりとするネロエラ。
もしかしたら自分はわかりやすいのだろうか? そんな疑問が頭に浮かぶ。
オルリック領の気候は比較的安定していて今日も過ごしやすい天気だ。
空を見れば雲が緩やかに流れ、日差しはぽかぽかと暖かい。
オルリック邸の周りはなだらかな丘となっていて、散歩をすれば美しい町を眺めながら歩く事が出来る。
そんな陽気な散歩日和に表情を暗くしているネロエラにジェイフが気付かないわけもなかった。
ジェイフだけでなく、付いてきているエリュテマ達もどこかネロエラを気遣うように近くにいる。
「オン。ワオオン」
「ほら、あの塩対応のスリマですら心配していますよ」
「いや、塩対応なのは、お前にだけだが……」
「え?」
カーラほどではないがスリマも長年ネロエラと一緒にいる個体である。
信頼している相手には自然に甘えるが、そうでない相手は完全に無視して近寄る事すらしない。フロリアでも仲良くなるのに苦戦した個体なのだが、そのスリマがジェイフをいないものとして扱いながらも隣で歩いている。
ジェイフがどうこうよりもネロエラの様子が気になるようだ。
「すまない、大丈夫だから」
そんな心配してくれるエリュテマ達をネロエラは順番に撫でる。
カーラは控えめに喜び、スリマは擦り寄るように頭を押し付けた。
フロックとヒルドルはまだネロエラと過ごした日が比較的浅く、ネロエラの変化を完全には読み取れなかったようだが……それでも撫でて貰えるのが嬉しいのか駆け寄ってきた。
一応ジェイフもそろっと手を伸ばしてみようとするが、噛み切られそうなのですぐに引っ込める。正解である。
「何かあったのでしょうか?」
「……いや、少し夢見が、悪くてな」
まさか自分の過去の事を考えていたなどセンチメンタルな事を部下に言えるはずもない。
それも鏡の中に過去の自分が見える気がする、などと言えばすぐに病院を薦められる事請け合いだ。
「ま、まさか……」
何か勘付かれたかとネロエラはつい身構えてしまう。
元気がないと指摘されたのだからせめて取り繕うべきだったかと多少の後悔をした。
「隊長は枕を変えると眠れないタイプですか!?」
「……いや、そんな事は、ないな…………」
しかし、あまりに的外れな予想にネロエラの肩の力が抜ける。
この一か月、枕どころか寝床を転々としていたので少し考えれば違うのがわかるだろうにとため息をつく。
初めて会った時からだったが、ジェイフはやる気が空回りする時があるようだ。
「そ、そうですか、私見ですが隊長は繊細そうに見えたので……」
「散々、色々な場所で、寝泊まりしただろう。それに、友人の部屋に、泊まる時も普通に、ある」
「そうなんですか!?」
「な、なんだ……そんなに、食いつく話でも、ないだろうに」
「あ、いえ、申し訳ありません!」
ジェイフからすれば不意にプライベードな話を聞けて嬉しかったのだが、前のめりすぎた自覚もあったのですぐさま頭を下げる。
茶の髪を勢いよく揺らした突然の九十度のお辞儀がツボだったのか、ネロエラのフェイスベールの下で口角が少し上がった。
「学生の頃は、特にな。フロリアが、突然来たり、二人でグレースの部屋に、押しかけたり、していたもんだ。ミスティ様の家に、なんて時もあったぞ」
「お、おお……」
北部で成り上がったフロリア、魔法使いより強い脚本家として有名なグレース、そしてマナリルの頂点ミスティ……現代の魔法使いなら知らないほうがおかしい名前がさらっと出てくる事にジェイフは少し緊張する。
エリュテマ四匹に囲まれているこの状況のほうが緊張すべきだと思うのだが、彼はもう慣れてしまったらしい。
「……懐かしい、な」
ネロエラは遠い目で過去を思い返す。ベラルタ魔法学院での日々はネロエラにとってもかけがえのない時間だった。
だからこそ、過去の自分が何故今の自分を責めるのかが余計にわからない。
舞い上がって、喜んで、笑って、恋をして。
今が悪いわけではないがあの時の自分が一番充実していたといってもいいというのに、今の自分が過去の自分を羨む時こそあれど過去に今を恨まれる理由などないはずだった。
「ね、ネロエラ隊長は……」
「ん?」
「い、いえ……」
そんなネロエラを見て焦りを見せるジェイフ。
思いを寄せる身として、今を見てほしい我が儘がつい口から出そうになるがすぐに喉奥に引っ込める。
この一か月、自分が意識する事はあっても意識される気配など微塵もない。そんな男が言う資格などあるはずないのだ。
顔はそれなりに整っているほうだと自分でも思っているが、恐らくネロエラが異性に求めるのは美醜とは違うものだというのは容易に想像がつく。
二人で散策というシチュエーションに少し期待してしまっていたジェイフはわかりやすく肩を落とした。
「ワオン」
「カーラさん……」
その様子に真っ先に気付くのもネロエラではなく隣を歩くカーラ。
魔獣でありながら人間の様子を読み取る観察眼……やはりさん付けで呼ぶべきだとジェイフはうんうんと頷いた。
「なんだ、お前も、元気がない、のか?」
カーラの声を読み取ったネロエラが心配そうにジェイフの顔を覗き込む。
ジェイフはそんなネロエラの仕草にときめきながらも慌てて背筋を伸ばした。
「い、いえそんな事は! こうしてネロエラ隊長とゆっくり散策するのは気持ちがいいです!」
「ははは、そう、だな。今日は天気も、いいしな」
「ええ全く!」
「ここにいる間は、ゆっくり――」
瞬間ネロエラの表情が一変し、カーラも立ち止まる。
「え?」
他三匹のエリュテマはカーラの視線で警戒態勢へ移行。そんな自分以外の様子の変化にわけもわからずジェイフは立ち止まった。
ジェイフが向こうを見ると遠くから今の自分達と同じように男女の二人組が歩いてきているのが見える。
「この先って確か……墓地でしたよね。墓参りに来た町の者でしょうか」
「……違う」
「え?」
この先にある丘を登っていくとはオルリック家が管理している墓地だ。
首都アムピトを一望できる場所にあり、墓地に眠っても故郷を見れるようにと作られている。
その方向からこちらに歩いてくるのなら、墓参りを終えた者以外にないはずだが……ネロエラはきっぱりと違うと断言した。
先程までの空気は一変して陽気を切り裂くような緊張感。
二人の隣を歩いていた四匹のエリュテマはネロエラの指示が無くとも分散する。すなわち戦闘態勢への移行。
そこまで見てジェイフはようやく事態を察して緊張から喉を鳴らした。
「敵討ちも兼ねてルクス・オルリックを殺める予定でしたのに……予定が崩れてしまいましたわ。不本意ながらも、私達にとって楽なほうに」
声が聞こえる距離まで歩いてきた二人の内、女性のほうがくすりと笑う。
挑発じみた言動でありながら品があり、男女問わず落ち着かせるような澄んだ声。
体のラインが出る細身でスリットの深い純白の服はその美貌と澄んだ声によく似合う。
その髪はネロエラと同じ白髪。何も無ければ親近感を抱きそうなものだが、ネロエラは一切の緩みを見せる事はない。
一見、清楚な令嬢というがわの中に獰猛な意思があるのを看破して。
「危険指定、"魔獣令嬢"ネロエラ・タンズークですね。
私はイリーナ。カンパトーレの初代聖王女……イリーナ・ペレーフト。
――さあ、あなたも私を愛すようになりなさい。その輝かしい人生を貢ぐのであれば、壊れるまでいい夢を見させてあげますわぁ」
こちらを見つめる金の瞳から伝わる強固な精神性。
敵対した覚えのある"魔法使い"達と同じ空気をその女性――イリーナ・ペレーフトは纏っていた。
お読み頂きありがとうございます。
ここで一区切りとなります。恒例の閑話後、終盤の更新を始めていきます。
 




