17.静かな夜に
「え!? 領地の視察じゃなくて離れたのですか!?」
「声が、でかい」
オルリック領の客室にジェイフの大声が響く。
オルリック家の使用人が用意してくれたコーヒーを零す勢いだったが、何とかそれは避けられたようでジェイフはカップをそっと置く。
「い、いいんですか!? そこらの下級貴族ならともかくオルリック領の領主様が……!」
「ロードピス領は、ルクスさんの、妻も子もいる。領地が、別れているだけで、無関係じゃない。そこで異変が、起きているとあれば、ルクスさんが出向くのは当然、だ」
「そ、そうか……家名が違うだけですもんね……。失礼致しました。うちは領地を持っていないので少し想像しずらく……」
「私だって、今こうして、領地を離れているだろう?」
「い、言われてみれば!!」
ネロエラが自分に指を差すと、ジェイフは納得したように頷いてコーヒーを飲む。
猫舌なのか、息を吹きかけても少し熱がりながらもカップに口をつけていた。
「私達の役目は、簡単な話、留守番だ。オルリック領全体とは、いかないが、この町アムピトでの、指揮権は貰った。何か起きた場合は、領民を避難させる。領民を任せられている、から……大事な仕事、だぞ」
「了解です!! あ、ですが……この町の人達にエリュテマを見せて大丈夫なのでしょうか……? 一応国章のスカーフを巻いてはいますが、これだけ大きな町ですとパニックになりませんかね」
ジェイフが言うと、ネロエラはジェイフをじっと見る。
ネロエラに見つめられてジェイフはつい笑顔を返してみるが、ネロエラの表情は変わらず……そしてようやくネロエラの言いたい事に気付いた。
「あ、そこを何とかするのが自分ですね。失礼致しました!」
「ふふ、頑張って、くれ、臨時補佐。ここで、何かが起きる、なら……私はその対処に追われる、だろう、からな」
「お任せ下さい! カーラさんとは少し打ち解けましたし、我々の仲睦まじい様子を見せれば害はないとわかっていただけるはずです!」
「カーラ、とは……他の、三体とは、どうなん、だ?」
そう聞かれて、ジェイフは笑顔のまま目を逸らした。
気持ちのいい笑顔が苦笑いに替わった瞬間である。
「あはは、悪い、な。少し、意地が、悪かった」
「本当ですよ……そんな事聞かなくたってネロエラ隊長が一番わかってるじゃないですか……」
「まぁ、その時になったら、頼りに、している」
「本当ですか……? 隊長ほどの御方ならどんな事起きても一人でぱぱっと解決できちゃうような気がしますよ……」
ジェイフの弱音にネロエラがぴくっと手を止める。
その様子が自分の言動にネロエラが怒りを覚えたと勘違いしたのか、ジェイフはすぐさま背筋を伸ばした。
「あ、いえ! そう思っているからといって決して手を抜くつもりがございませんのでご安心下さい!」
「そこは心配、していない。どうせ、お前は、手を抜けない、人間だ」
そうだ、とネロエラはカップをテーブルに置く。
「ジェイフ、お前の、血統魔法は?」
「え」
自然に聞かれて、ジェイフは一瞬躊躇う。
血統魔法は極力、その能力は隠すべきと教わっていたからだ。その力を広めて問題ないのは強さを誇示する事で他国への威嚇となる四大貴族のような一部の存在のみ。
でなければ、ジェイフのような弱小貴族の万が一の切り札にはなり得ない。
弱いのならせめて手札のカードがばれないようにしなくてはいけないのだ。
「戦闘向きか、どうか、だけ教えればいい」
「は、はい……戦闘にも使えはしますが……。ネロエラ隊長クラスの戦闘を援護できるほどの"現実への影響力"はありません。ど、どちらかといえば逃亡に便利です!」
「強みが、わかるなら、十分、だ。それに、今回の任務向き、だ。もしもの時は、期待しているぞ」
「は、はい……」
「どうした? 何か変な、事言ったか?」
「い、いえ! そんな事は!」
予想だにしていなかったネロエラの言葉にジェイフはつい口角が上がる。
逃亡に便利などと自分でも情けなさを主張するような事を言ってしまったのに、まさか期待しているなどという言葉を掛けられるとは思ってもいなかった。
下手な照れ隠しでジェイフは俯いて、そんな様子にネロエラは気付く事は無かった。
血統魔法の"現実への影響力"は魔法使いの戦闘の勝敗を左右する。それは間違いない。
しかしそれを踏まえても血統魔法に合った局面も魔法の相性も存在する。
強い魔法使いほど、他者の血統魔法を侮らない。どれだけ"現実への影響力"が低かったとしても、強みを理解しているのなら切り札に相応しい使い方ができるものだ。
「私の血統魔法も、戦闘向き、ではないから、な」
「……」
ネロエラの突然の暴露にジェイフは目をぱちくりとさせる。
「なんだ?」
「いえ……ネロエラ隊長はご冗談も上手だなと思いまして……」
「冗談、じゃない。私の血統魔法は、あくまで、エリュテマ達との、対話がメインだからな、戦闘向き、じゃない」
タンズーク家の血統魔法はあくまでエリュテマとの対話。
エリュテマの姿に獣化するのも、そもそもは魔獣との意思疎通のための副産物なのである。
タンズーク家の血統魔法はその副産物が予想以上の成果を上げてしまっただけに過ぎず、ネロエラの言う通り戦闘に重きを置いた血統魔法ではないのだ。
……それでもそこらの魔法使いより遥かに高い実力だからこそあの世代で卒業できているわけではあるが。
「部隊名を、思い出せ。魔獣輸送部隊、だぞ。そもそも、戦闘部隊、じゃないんだ。エリュテマ達で、自衛ができる、ってだけの話だ」
「で、ですが隊長! 普通の輸送部隊は敵国の偵察者を捕縛するような任務を任されません!」
「……っ!」
「ネロエラ隊長!? その顔は今気付かれたのですか!? もう少しご自分が特殊な立場であると自覚してください!」
言われてみれば確かに、という表情ではっとするネロエラ。そんなネロエラの様子がツボに入ったのはジェイフは笑いを堪え切れていなかった。
一見、部隊長と補佐の和気あいあいとした会話。
有事に備えての緊張を残しつつ、リラックスした雰囲気で待機している二人。
しかしそれは片方だけで……フェイスベールのお陰で気付かれる事は無かったが、ネロエラの笑みだけはどこかぎこちない時があった。
オルリック邸カリタス庭園。
見張りと警備を兼ねて、庭園で寝そべるエリュテマ達のリーダー……カーラが目を開ける。
耳をぴくりと動かして周囲を確認するも、一緒に休んでいた二体の仲間の寝息と見張りとして起きて庭園を歩いているもう一体の足音しか聞こえない。
その嗅覚でも他の誰かを察知する事はできなかった。
「……?」
しかし確実に、何かを感じた。
この感覚は果たして自分だけなのか。ネロエラはどうかと屋敷のほうに目をやる。
まだ起きている気配はあるが、慌てているような雰囲気はない。
念のためにと、カーラはのそのそと木陰から出てきて早めに見張りに加わる。
眠気は無い。先程感じた何かのせいで睡魔よりも危険信号が頭の中を叩いている。起きたばかりだというのにあくびも出ない。
月が庭園に座る自分を照らす。
――ああ、綺麗だ。あの子みたいに。
嫌な予感を誤魔化すように、カーラは月に一度だけ吠えた。




