14.思い出は今なお
「……いやな、自分でも、わかってはいるんだ……。アルムはもう、結婚しているし……どうしようも、ない事だというのはな」
外の草原の爽やかさとは打って変わって客車内の湿度は妙に高い。
部下に恋心がばれるという羞恥を乗り越えたネロエラは今後は自己嫌悪に陥ったようで、膝を抱えて顔を伏せながら座っている。
一方その原因となってしまったジェイフはそんなネロエラに対して真剣な表情を向けている。
未だ四匹のエリュテマの区別がつかない癖にこの厄介な恋心を見抜くんじゃないと、ネロエラはジェイフに逆恨みのような恨み言を吐きたくなるも……次の瞬間には、自分がわかりやすいだけか、と冷静に自分を省みる事が出来てしまうのが妙に悲しかった。
「誰に思いを寄せるかは自由ですし、止められるわけでもありませんから……相手方に迷惑をかけないなら思い続けるのは自由だと思います!」
「うん……ありがとう……。だが、学生時代、からだからな……相手が既婚者になっても、というのは、重いだろう……」
「多少は!」
「うぐっ……!」
どこまでも直球なジェイフの言葉が突き刺さる。
軽々しくではなく、熱のこもった本音なのがまたネロエラにとっては痛い。
「ですが、だからといって悪いわけではありません。仲を引き裂きたいと思っているわけではないのでしょう?」
「あ、当たり前だ! ミスティ様は、私にとって、もかけがえのない友人だ……それも、私が抱く思いを、理解してなおだ……。それを、裏切るような、真似はしない」
「でしたら、個人の自由なのでなんら問題ないかと! 貴族として血筋は残さなければいけませんし……ネロエラ隊長の才が途絶えるのはマナリルの損失でしょうから、そこは考えないといけないでしょうが……」
「……わかって、いる」
魔法大国マナリルにおいて、ネロエラほどの魔法使いが子孫を残さないなど許されない。いや、どの国であってもそうだろう。
ネロエラは歴史の浅いタンズーク家の生まれにもかかわらず、魔獣との交流を成功させ、思考を引っ張られるなどのデメリットもない唯一無二の獣化を血統魔法として確立させている稀有な存在。
強さという点においてはアルム世代では見劣りするが、魔法と才の貴重さという点では引けを取らない人物なのだ。
このまま婚姻の話や前向きな姿勢を見せないのであれば、いずれは国王から縁談の話が雨のように降りかかるだろう。
「ええと……ご友人であるならミスティ様に頼むというのは……?」
「……何をだ?」
「アルム様の第二夫人として迎えてもらうというのも手かと。貴族としては珍しくな――」
「な、なんて恐ろしい提案をするんだ貴様は!?」
「うぐっ!?」
ネロエラはジェイフの胸倉を掴み、そのまま引き寄せる。
少しそうなった自分を想像したせいかほんの少し頬を赤らめていた。
「ミスティ様はどれだけアルムに惚れていると思っている!? そんな事を頼もうものなら私はミスティ様の中で友人から家畜の糞尿以下の存在として下げられる事になるに決まっているだろう!」
「ぢからづよ……! し、死にます……! 隊長! その手を何とか……!」
「それにアルムは元平民だ! 貴族の常識を軽率に持ち込んでひかれたらどうする!」
「だいぢょ……! だいぢょう!!」
小柄な体とは思えないネロエラの力にジェイフの首は服で完全に絞まっていて顔が徐々に青褪めていく。
普段とは違ってネロエラの喋り方も流暢になっていて、よほど動揺しているようだった。
ジェイフの頭の中に子供の頃の思い出がよぎり始めた頃、ようやくネロエラはその手を離した。
「ぜぇ……ぜぇ……。し、失礼しました……」
「わ、わかれば、いいんだ……。全く……全くけしからん……」
ジェイフは呼吸を整え、改めてネロエラの正面に座り直す。
ネロエラは少し気まずかったのかつい目を逸らしていた。
「じ、自分はアルム様とお会いした事はありませんが……ネロエラ隊長にこのような奇行をさせる所を見ると、よほど素晴らしい御方のようですね」
「あ、ああ……私を救ってくれた、素晴らしい友人だ。この外見を、色々と言われて、周りが信じられなくなっていたが……彼の言葉で、今の私がいるんだ」
「……っ」
「ん? なんだ……?」
幸せそうに微笑むネロエラを見てジェイフは言葉を詰まらせ、頬が少し赤くなる。
「ど、どうした、ジェイフ……? しゃ、喋り、過ぎたか? アルムの話、になるとどうも、口が緩んでな……」
「い、いえ! なんでもありません!!」
「そ、そうか……?」
「ですが、その……」
「なんだ? 言いたい、事があるなら、遠慮、するな」
ジェイフには一つだけ、本当に一つだけ気になった事があった。
だが自分が触れていい事なのかが全くわからない。
この一か月である程度の信頼関係は築けたという自負はある。こうしてエリュテマ無しで客車の中で二人きりでいられるのも、先程首を絞められたのもそれだけ砕けた関係になったからだろう。
……それでも、触れていい事なのか?
普通に接していても見え隠れするネロエラのコンプレックスに自分のような若輩が触れていいのだろうか?
「い、いえ……なんでもありません」
「そう、か? ならいいが……」
ジェイフにはまだそこまでの勇気が持てなかった。
ネロエラと最初に出会った時、わざわざ歯を見せられて釘を刺されたからというのもあるだろう。
アルムへの恋慕で紅潮する頬は見えても、コンプレックスを象徴する白い牙はフェイスベールの下のままなのだ。
「あ、言うまでもなく、この事は、秘密にしてくれ。そうだな……対価は、三日分のランチとディナーを、奢ろう」
「いえいえ! そんな事していただかなくとも秘密にします!!」
「遠慮、するな。ランチとディナー、と言っても王都の店を、エスコート、するわけじゃ、ないんだ。部下の、ご飯を奢るくらい、させてくれ」
そう言って話を切り上げるようにネロエラは客車の外へと出ていく。
外では四匹のエリュテマが思い思いの時間を草原で過ごしていたが、ネロエラが客車から出てくるとすぐに集まってくる。
「はぁあ……部下、か……」
ジェイフもまた大きなため息をつくと客車の外へと出る。
外ではネロエラがエリュテマを客車に繋いで、出発する準備を整えていた。
ジェイフも手伝おうと前のほうに駆けていくと、一体のエリュテマがジェイフをじっと見る。
「なんですか……カーラさん……」
「ワフ」
ジェイフをじっと見ていたのはカーラだった。
当たり前の話だったが、カーラ以外の三体はジェイフを無視している。
カーラはジェイフをじっと見たかと思うと、今度はネロエラに視線をやった。
「ウォオン……」
そして再びジェイフのほうに視線をやると悲しそうなため息のように鳴く。
まるで内心を見透かされているような鳴き声にジェイフは慌ててカーラに駆け寄る。
「カーラさん! 勘弁してくださいよぉ……」
「ウォオ……オンオン……」
「何が無理なんだ、カーラ……? 随分、仲良く、なったんだな?」
縋るようなジェイフとそんなジェイフに哀れみの視線を向けるカーラ。
そんな一人と一体が仲良くなった(?)様子を見てネロエラは小さく微笑んだ。




