10.邪悪な瞳
シモン・ウェクマクはイリーナに恋慕を抱くカンパトーレの貴族である。
上級貴族としては平均的な能力を持っていたシモンは子供の頃からイリーナに惚れ、出会うごとにアプローチをしてきた。
イリーナが大蛇の疑似核を受け付けられる時も共に蛇神信仰の集会に付き添っており、幼馴染と言ってもおかしくない関係性だ。
「シモン……私に協力してくれる? こんな事、幼い頃から一緒にいるあなたにしか相談できなくて……」
自分を見つめる潤んだ瞳にテーブルに置かれた手を握ってくる白い手。
カンパトーレのとあるレストランで食事をしながら、イリーナは祖国の現状とこれから変えなければいけないシモンに語った最後にそう言った。
正直に言って、シモンは祖国の腐敗なんてどうでもよかった。なにせシモンもまたうまい汁を啜っている上級貴族の一つだったからだ。生活に不満なんてものは全くない。
それでも、イリーナの頼み事を断る選択肢など無かった。
――初めて、初めてイリーナに頼られた!
イリーナの期待に応えたいという恋心から来る献身が彼を頷かせていた。
「あなたはとても優秀な魔法使いだもの。きっと二つくらいは大丈夫でしょうけど……念のため最初は一つ、しばらくしたらもう一つと段階を踏みましょう?
私はカンパトーレを救ってくれる彼の神を呼ぶわ。その全てが終わったら、きっと平和なこの国で私達……ね?」
甘い、毒よりも甘美な脳髄に染み込むような女の言葉。
こうして、シモン・ウェクマクは十年前イリーナに植え付けられていた大蛇の疑似核をサンプルに開発された人工魔法生命の核を二つ体に植え付けた。
イリーナの予想通りか、シモンは宿主として最低限の素養を持っており……二つ目を植え付けられる三か月前までは常人の精神を保つ事ができていた。
核を植え付けられてから半年間イリーナの期待に応えるためと家族の死の光景と耳に残る悲鳴を悪夢に見ながら……植え付けられた人工魔法生命の能力を使ってマナリルの警備の穴を完全に見抜き、偵察員を送り出し続けていたのである。
「……あまりに早く壊れてしまったら困るもの」
イリーナが呟いていたこの言葉さえ聞いてさえいれば、目の前の美女が魔性だという事に気付けたかもしれないのに。
『ア! ア! ア! 怪物! オデもカイブツ!! たおぜる!! マナリルのえいうう!? ごいつを倒せば! イリーナも俺を! 俺と!!』
魔法生命の力そのものに姿を変わってしまったシモンは辺りに魔力を撒き散らしながらアルムへと突進する。
支柱のように巨大な六本脚は岩肌を破壊しながら突き進み、巨大な眼はアルムから目を離さない。
「魔法生命本体の人格ではなく宿主の人格のまま一体化している……これは報告通りか」
三年前、ネレイア海でマナリルと常世ノ国の商船がことごとく消息不明になる事件が起きた。
常世ノ国と取引していた貴族の中で一際被害が大きかったラヴァーフル家当主、サンベリーナ・ラヴァーフル主導で調査が行われた所……とある存在をカンパトーレが開発した事が判明した。
それが人工魔法生命。
かつて大蛇が自身の分身を各地に出現させるために使った疑似核をサンプルにし、特殊な魔石に鬼胎属性の魔力を蓄積させる事によって完成した魔法生命のまがい物。
まがい物であっても魔法生命と名付けられるほどの事はあり……異界の存在の名によって"存在証明"を、植え付ける宿主の存在によって高い"現実への影響力"を獲得する事に成功しているカンパトーレの魔法兵器である。
(三年前にサンベリーナが戦った"餓者髑髏"と"スクーグスロー"の宿主にはこれほど不安定になっているなんて報告は無かった……やはり適合しない宿主には無理があるのか?)
アルムは三年前に聞いたサンベリーナからの情報を思い出しながら突進を横に跳んで躱しながら強化を唱える。
「『抵抗』『強化』」
『ゾンな! 教科書通りの! 無ぞく性、魔法ごときで!!』
魔力の宿った巨大な眼がアルムのほうを向く。
ぎょろぎょろと気持ち悪く動く瞳に見つめられた瞬間、アルムの体が途端に重くなった。
「なに――!?」
『ア! ア! ア!』
今まさに巨体の突進を軽々と躱した体が急に膝をつく。
まさか魔法式の構築を失敗した?
アルムは一瞬、自分の構築能力を疑ったがそんなはずはない。今唱えた二つの強化はしっかりとアルムの身体強化に成功している。成功した上でこの重さなのだ。
『潰しでやるよ!! マナリルのええええゆうううう!!!』
「"変換式固定"!!」
再びシモンがその黒い巨体でアルムを轢き殺そうと突進する。
山の岸壁やなだらかな地面を削りながら向かってくるその膂力は前にアルムは冷静に新たな魔法を構築する。対魔法生命として自分が創り上げた魔法を。
「【幻魔降臨】!」
『翼だとぉ!?』
膝をついていたアルムの背中から白い翼、手には白い剣、腰からは白い尾。
恩人の姿を象った膨大な魔力に任せた存在の変生。数多の魔法生命を葬ってきた魔法生命アルムとしての姿がここに現出する。
翼の羽ばたきでアルムは空に。再びシモンの突進を躱したが、アルムの体の異変は続く。
「……っ!? この姿になっても重さがほとんど変わらない……?」
【幻魔降臨】は対魔法生命特化の魔法。
魔法生命の天敵としての在り方を伝承として自身を魔法生命へと変え、この姿になるだけで生半可な呪法は通用しなくなるはずが……アルムの体の重さは先程とほとんど変わっていなかった。
「まさか、相手が本物じゃないからか……!?」
アルムの使う【幻魔降臨】は対魔法生命においては驚異的な"現実への影響力"を誇る……しかし、敵が魔法生命でなければ"飛行"の特性を持っているのが特徴の少し強力な強化の魔法くらいの力しかない。
相手はカンパトーレが人工的に作った人工魔法生命であり、厳密には魔法生命そのものではない。
結果、アルムの【幻魔降臨】はその能力を弾く事はできなかった。
『その奇妙ナ魔法……! スノラにいるお前がナゼごごにいるのが! どんなトリックを使っだがは知らないガ!! わざわざごごに来たオマエが本物なんだロ!?』
アルムの様子を見てシモンは得意気に喋り出す。
巨大な眼の下に隠れている小さい口がいやらしく、見下すように笑っていた。
「俺の姿に変身してるクエンティが見えてる……やはりその魔法生命の能力で警備をすり抜けていたな」
『この眼はすごいぞぉ! マナリルのクズ共の動きは手に取るようにわガる!! 国境警備!? 感知の魔法使い!? ムダムダムダアアアアアア!!』
シモンは魔力の宿った巨大な眼を再びアルムに向ける。
アルムの体がさらに動きにくくなり、今度は翼の羽ばたきすらもぎこちなくなっていった。
そして、シモンの自慢気な言葉と二度目の視線を受けて……アルムはどこか既視感を覚える。
遠くにいる人間の感知、そして今自分を襲っている重さにも似た硬直。
それはどちらも、よく知った人物の血統魔法にひどく似ていた。
「まさか……ベネッタの血統魔法をベースにしてる……!?」
『とっとと堕ちてごい! ショゼンは平民!! 貴族である! カンパトーレの! ごのシモン・ウェクマクのできではないんだあああああ!!』
シモンの体に魔力が迸り、そのまま膨れ上がる。
六本脚が暴れるようにじたばたと山を削り取りながら、魔力は長い首を通じて巨大な眼に集まった。
『苦ジめぇ! 『絶命刻む瞬き』ぅ!』
「!!」
軌跡も無く、視線によってアルムの体で破裂する黒い魔力。
アルムを中心とした爆発音に近い音が周囲に響き渡る。
魔力の破裂は何十、何百と繰り返されて、霧状になった黒い魔力光が日差しを遮る曇天のように山の上に広がった。
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