92.濁り
昨夜の出来事の追及は終わり、アルム達は町へと繰り出した。
今日はミレル祭という事で、祭りの会場であるミレル湖で充分な調査ができるとは考えにくい。
なので、シラツユ本人の提案により、町を歩いて霊脈の範囲を調べることとなった。
アルムは最初に会った時のように地べたに這いつくばる姿を想像したが、ミレルではそんな事をしなくてもよいらしく、要するにただの散策と言えるだろう。
一先ず、一番最初に見た噴水のある広場へと四人は着く。
噴水の水は魔力の光と朝日に照らされているのもあってより一層きらきらしている。
「そういえばシラツユがお土産にってワインを買っていたよな?」
歩きながら、アルムは顎に手をあててむむむと悩む。
「俺も買っていったほうがいいのかもしれないな……ベラルタに来てから世話になっている人に……」
「あら、それはいい考えですわね。どなたにお渡しするのですか?」
ミスティが聞くと、アルムは折った指を立てながら名前を挙げ始める。
「ヴァン先生に、寮長のトルニアさん……後は会えるかどうかわからないがドレンさんにも渡せれば渡したいな」
「そう、ですね……よろしいんじゃないですか? きっと喜ばれますよ」
名前の挙がらない学院長を哀れむミスティ。
だが、ミスティも積極的に名前を出そうとはしない。それもアルムが学院長を苦手だと知っているがゆえだった。
「ああ、ラナさんにも買っていったほうがいいか?」
「ラナには私が買っていきますから大丈夫ですわ、アルムからはお気持ちだけ頂いておきます」
「そうか……なら少し選んでこよう」
「今ですの?」
「ああ、今買う訳じゃなくて、どんなのか選んでおこうかと思ってな。帰りに時間かけるのも疲れるだろう?」
「それもそうですが……シラツユさんの許可を頂きませんと」
ミスティはそう言ってシラツユのほうを見る。
アルム達はシラツユの護衛だ。シラツユの予定を崩すような行動は極力起こすわけにはいかない。
「……来た」
「シラツユ……さん?」
「シラツユ……?」
気付けばシラツユは足を止めていた。
その呟きは誰にも聞こえない。
目を見開き、地面をじっと見つめるその姿は何かに魅入られているようだ。
横にいるベネッタが顔を覗き込んでもなおシラツユは反応を示さない。
「……どうした?」
「シラツユさん? 大丈夫ですか?」
ミスティは様子のおかしいシラツユに駆け寄り、その肩を揺らす。
するとようやく声に気付いたのか、シラツユははっと三人の顔を見た。
「え……あ、はい……なんですか?」
「大丈夫ですか? 体調が優れないのでは?」
「ご、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃって……元気ですよ! 元気!」
笑いながらシラツユはなんでもないと手を振る。
今のは何だったのかと思うほど元のシラツユに戻っている。
「本当ですか? それならいいのですが……」
「ごめんなさい……それで何の話ですか?」
「その、少しお土産のワインを見たいというお話をしていましたの。シラツユさんが買っていたのをアルムが思い出して自分も選んでおこうと……」
「全然大丈夫ですよ! いってきてください!」
シラツユは両手を振って、アルムに気にしないようジェスチャーする。
だが、アルムの目には少し顔色が悪いように見えた。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫ですって! あ、そんなに心配するならそこの噴水で休んでおくので見てきてくださいよ」
そう言ってシラツユは噴水を指差した。
町民の憩いの場だけあって、座れるスペースもある。休む場所としては最適だ。
「……ベネッタはどうしますか?」
「私はアルムくんとミスティの話聞いて帰りにぱぱっと買っちゃうー」
「でしたら、ベネッタさんと待っていてもらってよろしいですか? 私も少し行ってきます」
「はいはいー、任せてー」
ワインの店に向かう二人を見送りながらベネッタは広場の噴水まで移動する。
それに続くようにして、シラツユも噴水のところまで移動した。
店の外にある看板には観光客向けに人気ワインの説明が書いてあり、その看板の説明を見ながらアルムとミスティは何やら話している。
「あの……ベネッタさん?」
ワインを選ぶ二人の背を見ながらシラツユは隣のベネッタに声をかける。
「なにー? やっぱり体調悪い?」
「いえ、そうじゃなくてその……あの二人は、好きあってるんですか?」
シラツユの眼差しはアルムとミスティ。
看板を見ながら話す二人の背中はシラツユから見ても仲睦まじい。
「いやー、それはないかなー」
だが、ベネッタは即座に否定する。
「そうだったら面白いだろうなーとは思うけどー……今のところアルムくんにとってミスティは色々教えてくれるお姉さん、ミスティにとっては世間知らずの世話が焼ける弟って感じだもん」
だから昨日の夜一緒にいたの驚いたんだけど、とベネッタはボソッと付け足す。
ベネッタ的にも衝撃だったらしい。
「アルムが色々直球で、そういうのに慣れてない私達は照れたりするけどね。他の人だったらおだててるだけって思ったりするんだけど、アルムくんは嘘が顔に出るらしいからさー」
「顔に出るんですか?」
「ミスティとエルミラはそう言ってるー。ボクはまだ嘘つかれたり誤魔化されたことないからどんな風になるか気になるんだけど……」
ベネッタはどう説明したらいいものかと少し間を置く。
シラツユの様子が気になるのか、時折ミスティとアルムがこちらを向く。
そんな二人にベネッタは小さく手を振りながら口を開いた。
「ほら、貴族の世界って色々上辺だけの会話が多いでしょー? 大体自分の後ろにくっついてる家名を見て皆話してくるんだけど、アルムはいい意味で視野が狭いというかー、家名とかじゃなくて、今ここにいる本人だけを見てるから、それが嬉しいんだろうなって。
だから友達になったわけじゃないけど……一緒にいる時間が多いのはそういうのが嬉しいのかなって思う」
「……素敵ですね」
シラツユは遠い目で羨むように感想を口にした。
もう手に入らない何かを掴もうとするかのような、そんな精一杯の言葉。
「ボクは元々四人だったとこに入れてもらった感じだからちょっと場違いかなーなんて思うけどさー」
言っていて恥ずかしくなったのかベネッタが頬を掻きながらそう言うと、シラツユは首を横に振る。
「そんな事ありません。たった数日でしたけど、皆さんの関係はとても素敵だと思いました。
少しの間だけでもそんな方々と触れ合えて今までにないくらい楽しかった。楽しかったんです私」
その声はまるで何かを名残惜しんでいるかのように聞こえた。
シラツユは少し空を見上げると、再び看板を見て話す二人に目を向ける。
「私もそんな……そんな、素敵な人でありたかった」
それはまるで罪の告白。
噴水の音がかき消した独白はベネッタの耳には届かない。
眉の下がった名残惜しそうな微笑み。
濡れた瞳が映しているのはアルムとミスティの背中だった。
その背中に何かを重ねているかのように。
シラツユの小さな変化にベネッタは気付いたのか、それとも偶然か。
アルムとミスティの背中を見ていたベネッタは不意に隣のシラツユ向けてその顔を動かした。
「"私はここにいない"」
「え――?」
ベネッタは目を疑った。
シラツユの小さな呟き。
その呟きを聞いた瞬間、隣にいたはずのシラツユが瞬きの間に消えたのである。
「シラツユ? シラツユ!?」
焦るベネッタの声に異常を感じ、ワインを選んでいたアルムとミスティも振り返る。
「ベネッタ?」
「シラツユさんは……?」
アルムとミスティはすぐさま辺りを見回すベネッタに駆け寄る。
二人もまた辺りを見るが、シラツユの姿は見えない。
ここは広場だ、隠れる場所があるとすれば建物の中くらいだが、ベネッタに気付かれずに店まで行けるとは考えにくい。
「ごめんなさいごめんなさい……! 見失う寸前まで喋ってたのに急にいなくなって……い、言い訳に聞こえるかもしれないけど、本当に急に……! だって目の前で喋ってたのに……!」
二人が駆け寄るとベネッタは見るからに気が動転していた。呼吸も走った後のように荒い。
アルムはベネッタの視線に合わせるように少しかがむ。
「落ち着け。謝る必要は無い。非があるとすれば今のうちにお土産を選ぼうなんて言った俺だ。ベネッタのせいじゃない」
「で、でも……」
「それに……シラツユの様子は変だったが、何も言わずに消えるなんて想像できなかった」
「はい……それにこの噴水からベネッタに気付かれずに消えるのは流石に不自然です……」
ミスティは険しい顔で辺りを注意深く見回す。
町の人がまばらにいるものの、シラツユらしき人物はいない。
「ベネッタ、魔法で連れ去られた可能性はありますか? 転移魔法は何かしら穴のようなものを出現させて人を移動させると聞きますが、そのようなものはありましたか?」
「ううん、ほんとにぱっと消えたの……! シラツユが何か呟いたと思ったらぱって……だから何が起きたのか……」
焦ってはいるものの、ベネッタは錯乱してるわけではない。
アルムとミスティが目を離していた間の出来事を何とか伝えようとしているのがその様子からは見て取れる。
呟き、そして消えた。
ならそれは魔法の可能性が高い。
「考えたくはありませんが……シラツユさん自ら姿を消した可能性が高いですね」
「何故だ……? 何か様子が変だったのと関係があるのか?」
「わかりません。ですが、これよりシラツユさんを捜索し、見つけ次第拘束します。
状況を考えるに無いとは思いますが、拉致された可能性もありますので同時に他魔法使いの潜伏を警戒しましょう」
「ならまずはベネッタの血統魔法で見てもらいながら探すのがいいな。ベネッタやれるか?」
「う、うん……!」
シラツユがいなくなった後すぐに動く三人。
だが、シラツユはいなくなってなどいない。
「……っ!」
辺りを警戒して見回す三人のすぐ横。
それもベネッタのすぐ隣。
消えた瞬間と全く変わらないその場所に、顔を手で覆い、声を殺すように唇を噛むシラツユはいた。
誰も気付かない。
誰にも見えない。
いや――正確に言うのならば、彼女は今この場に、いない事になっていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日はもう一本短いのを更新します。