4.普通
「歳は二十二、か。若い、な」
「はっ! 若輩ですがこき使ってやってください!」
「言われなくても、君の任務は、私が動いている、事を気付かれないように、私の代わりに聞き込みや、捜索をする、事だ。仕事は、多いぞ」
「光栄です!!」
「……声は、もう少し抑えて」
エリュテマの引く客車の中、ネロエラとジェイフは任務内容を確認する。
ジェイフの声の大きさに慣れないのか、ネロエラの眉間には皺が寄っていた。
しかし、コミュニケーションを放棄するわけにもいかない。会話は苦手でつい言葉がたどたどしくなってしまうが、フロリア以外と組んだらだんまりというわけにもいかないのだ。
(悪い奴ではなさそうだが……)
気だるげな目でジェイフのほうをちらっと見る。
清潔感のある茶の髪に精悍な顔つき。そして隠し切れないやる気を宿した眼。
普通ならば歓迎すべき人材なのだろうが、ネロエラとの相性が悪いというべきか……とはいえ、その熱意をわざわざ落とさせるような事も言えない。ネロエラに出来るのは声量を落とせと言い続ける事だけだった。
「自分を若いと仰りますが、ネロエラ殿も相当お若いように見受けられます。それであの有名な魔獣部隊アミクスの隊長とは……!」
「私は、もう二十八だ」
「ええ!? あ、いえ! 失礼しました!!」
ネロエラの年齢を聞いてジェイフは表情を崩しながらも頭を下げる。
臨時補佐とはいえ配属される隊の隊長の情報はある程度公開されるはずだが、どうやら年齢はその情報の中には無かったらしい。
「私は、小柄だからな。小娘に見える、だろう」
「そ、そんな事は……!」
「私より、そっちだ。出身は?」
「南部のダンロード領です。家が小さいので領地はありません! ローチェント魔法学院を卒業してからはダンロード領で事業をいくつか!」
「南部……ローチェント、か」
ジェイフの出身を聞いて昔話して貰ったエルミラ達の任務の話を思い出す。
ローチェント魔法学院が半壊したほどの戦闘があったらしいが、卒業生が問題無く配属されている所を見ると問題はないようだ。
懐かしむように思い出していると、ジェイフは少し不服そうに眉を動かす。
「ローチェントがどうかしましたでしょうか?」
「いや、昔話して貰った事を、思い出した、んだ。友人が、そっちで任務を、こなした話をな。エルミラ・ロードピスという魔法使いを、知ってるか?」
「も、勿論です! ローチェントの英雄! 南部以外で唯一ダンロード家が支援する有名人です! そうか、ネロエラ殿はアルム世代の御方ですものね!」
十年前に魔法生命――表では"自立した魔法"による災害となっている大蛇迎撃戦を終結させたマナリルの英雄アルム。そのアルム含めた同世代の十一人はアルム世代と呼ばれる。
ベラルタ魔法学院では珍しい二桁の人数が卒業している世代であり、他の魔法使いと一線を画す存在として語り継がれている。
「強いのは上のみんな、だ。私は大した事、ない」
「ご謙遜を! 魔獣を運用する輸送部隊アミクスの隊長たるネロエラ殿を知らぬ者などいません! こうしてエリュテマを操るなんて――」
「操ってない。協力しているんだ。訂正しろ」
会話が苦手でたどたどしかったネロエラの声が怒りで滑らかになる。
目の前に座るネロエラの空気が一変した事にびくっとジェイフは肩を震わせた。
「し、失礼致しました! てっきりそういった血統魔法かと……」
「わかったなら、いい。外のエリュテマ達の、前で言ったら……その日の、エリュテマ達のご飯は、お前に、なるからな」
「肝に銘じておきます!!」
ネロエラの忠告にジェイフは思い切り背筋を伸ばす。
ジェイフからすれば、前に座っているネロエラはさっきまで小柄な女性だったのが明確に自分より巨大に見える。
存在感とでもいうべきか。怒りで目を剥いた赤い双眸が睨んでいる。
少しして、客車の空気は元に戻った。ジェイフの緊張がネロエラに伝わり、怒りを収めてくれたようだ。
「魔獣と、交流できる血統魔法、は私くらいだから……勘違い、もわかるがな」
「申し訳ありませんでした。あまりにも自分の発想とかけ離れていたと言いますか……言い訳にしかなりませんが、どのようにして"現実への影響力"を作り上げるのかイメージもできません」
「私の見た目で、わからない、か?」
ジェイフは言われてネロエラをじっと見る。
白い髪に赤い目。まるでエリュテマのような見た目だなと思った。
察していないジェイフに、ネロエラは答えを明かす。
「タンズーク家は、歴史が浅い。他の家に追い付くために……他でやっていない、魔獣関係の魔法を、伸ばすと、決めた。そして強く、社会性の高い、エリュテマを魔法の、対象に選んだ。
だが、相手は魔獣……当然、生半可な、やり方で交流など、できるわけがない」
「そう、ですよね……容易であれば他にやっている家もあるでしょう」
「だから、祖先は最も簡単な、方法を思いついた。ああ、我々のカタチを近付ければいい」
ネロエラは髪に手を置く。
「エリュテマのように髪を白く」
次に瞳を指差す。
「瞳を赤く。腕を食われ、頬を裂かれ、骨を砕かれながら、自分達を、エリュテマの姿に、寄せる事で……タンズーク家は、ついに、エリュテマとの交流に成功した」
そして黒いフェイスベールをとって口を開いた。
「そして、極限まで、近付けた結果が、私だ」
「っ!?」
ジェイフの表情が驚愕に染まり、強張る。
人間の歯と言うにはあまりに鋭い形。全てが犬歯よりも鋭く尖っていて、牙と呼ぶ他無い。人間というよりは肉食獣そのもの。
タンズーク家は代々、生まれた子供に儀式を施す。
髪も目も変えて、生えてきた乳歯はもちろん次に生えてくる永久歯にも。
それはもう現代では行われていない、子供を血統魔法に適した体に変える非人道な儀式。
勿論、家名継承の儀式のような神聖さはない。血統魔法に適した存在になるためという意味で形式上は儀式と呼べるだけの実験に過ぎない。
「私は、自分の髪と目が、元々どんな色、だったのかも知らない」
「……」
無言で聞くジェイフを前にネロエラはフェイスベールを付け直す。
臨時とはいえここから数日間は部下として付き合う以上、牙の事を隠し通せない。
見せる事に抵抗はあったが、後に知られるほうが厄介だと判断してネロエラはジェイフに自分の牙を見せる事にした。
ジェイフは黙ったまま、ネロエラのほうを呆然と見ている。
「そ、それは……」
「ん?」
やがて小さく口を開いた。
先程までに賑やかさはなく、陰鬱な空気が客車内には漂っている。
「その、違法……なのでは……?」
「ああ、そうだが?」
魔法による人体実験はマナリルでは現在禁止されている。
タンズーク家のこの儀式も勿論、禁止されている実験に該当するに決まっている。
ネロエラは当たり前のようにジェイフの問いに肯定で返した。
「私の父、ミルドリアは、私にしたこれが、発覚してから数ヶ月の禁固と、私の代までの、増税を課せられた」
ネロエラはフェイスベールの下でくすっと笑った。
いい青年だ。正しく、純粋で、正義感のあるいい魔法使いだ。
皮肉でも何でもなく、自分に対して正直に疑問をぶつけてくる姿を見てネロエラはそう思った。
「それで? 君の、その言葉は……私を、救ってくれるのか?」
「――」
だが、その疑問は被害者にあたるネロエラを救わない。
違法な実験を施されたからどうしろと?
どうしようもないほど手遅れで手放せるはずもない肉体をどうしろと?
そう語り掛けてくるようなネロエラの目にジェイフは何も言う事ができなかった。
「……重ね重ね、失礼致しました。本人を前に、言う事ではありませんでした。どうかお許しを」
「ふふ、君はいい、魔法使いに、なるな」
ジェイフはこの世の終わりのような表情をしているが、ネロエラが受けた印象は本人が思っているよりもいいくらいだった。
恐怖するのが当たり前で、フロリアですら最初は驚いて身を引いていたくらいだ。
人間の口の中にこんな獰猛な牙が並んでいればそれが普通。当たり前。
今の友人のように、牙を知ってもなお普通に敬意を持って接してくれようとするジェイフは間違いなくいい人だと確信しているくらいである。
「込み入った事情に理解を示せぬ若輩ではありますが、仕事はしっかりとこなしますのでご安心を!」
「肩の力を、抜け。別に、怒って、ない」
「ありがとうございます! 精一杯足を引っ張らないように務めます!」
何度も頭を下げるせいでジェイフの茶の髪がぶんぶんと揺れる。
いつの間にかジェイフに抱いていた苦手意識も少し消えていて、ネロエラはその真面目さに自然と微笑む。
――そう、この牙を前にしてまず褒めるなんて普通は出来ないのだ。
だからこそ、当たり前のようにありのままを受け入れてくれた……あの少年が言ってくれた言葉にあの日、少女だったネロエラは救われたのだから。