3.よぎる過去
タンズーク領は北部では小さい領地である。
正確には魔獣の生息域が多いため人間の居住域が少ない。
そんな不遇な環境を逆手に魔獣との交流を選び、今の血統魔法として昇華させたのがタンズーク家である。
だが魔法使いの家としては成長しても領地運営まで改善するわけではない。加えて、タンズーク家の前領主でありネロエラの父であるミルドリア・タンズークには問題もあったので領地として栄えているわけではなく……現在はネロエラが多忙なのも相まって代理人が統治しているのが現状だ。
「帰ってくるのは久しぶりだな」
フロリアの代わりに補充される隊員との合流地点。
懐かしき故郷タンズーク領に帰ってきてぽつりとネロエラは呟いた。
帰ってこれた事の喜びや郷愁などはない。見えてきた変わらない町並みを見ても心に湧き立つものもなかった。
タンズーク領が合流地点となったのは万が一に備えてネロエラの動向を探らせないため、つまりは里帰りに見せかけたというだけの事である。
「お前達は山のほうで待機だ。カーラ、客車を頼むぞ」
「ウオン」
町から少し離れた場所でカーラ含めた四体のエリュテマと別れる。
客車は王都で作られたもので比較的高価だが、乗ってきた客車を守るのは四体のエリュテマ。万が一にも誰かが襲ったり盗もうなどと思うはずがない。
町の名はエリュクートリ。狼の餌場という意味だ。
魔獣の被害が多く、人が住むには過酷な地域だった事から名付けられたが今はタンズーク家がエリュテマと交流しているために魔獣被害はほとんど起きない。
小さい町だが染物業が盛んで北部の名産品の一つであり、カエシウス領の首都スノラでも売られている出来だ。
どこにでもあるような田舎町で平和そのものだが、ネロエラはあまり好きではない。この町にいると苦い思い出が蘇ってしまう
「うわぁ……白い髪に赤い目……エリュテマみてえ……」
「マナリルの国章……貴族様って事はタンズーク家の……」
「こらお前ら、頭を下げんか」
「だ、だってー!」
ネロエラが歩くと好奇の視線が集まり始めた。
マナリルの国章が刻まれた軍服に加えて、ネロエラの見た目がそうさせる。
白い髪と赤い目という特徴はこの町の人にとってはエリュテマそのもの。
口元を隠している黒いフェイスベールがさらに好奇心を掻き立てる。
「……牙が見えなければ、少しは普通に見えるのか」
つい口元のフェイスベールに手を当てる。
町の人々は好奇の視線を向けてはいるものの、怯えは無い。
しかしタンズーク家は民との関係はあまりいいとは言えない。
悪くもないが、干渉がほとんどないのだ。
民は魔獣と交流するタンズーク家を恐れ、タンズーク家もそれをわかっているから滅多に町に下りる事は無い。
先代であったネロエラの父は血統魔法の研究に熱心だったのもあってそんな状態を改善する気も無かった。
結果、小高い丘の上にある屋敷はまるで幽霊屋敷のよう。
領主はまるで恐ろしい怪物のように語られる時期もあったくらいである。
「ん?」
歩いていると、軍服のズボンを引っ張られる。
足元にはいつの間にか子供がいた。
「お姉さん、エリュテマみたいだね」
「……っ!」
言われて、ほんの少し視界が揺れた。
ネロエラは子供はあまり得意ではない。つい自分も子供だった時代を思い出すからだ。
まだ小さい頃、屋敷から町に下りた時に石を投げられた苦い思い出を。
"な、なんだよその歯……! ば、ばけものじゃん!!"
物心ついた時から体を血統魔法用にいじられて歯を牙にされた。
それが普通だと思っていたが、町の子供達には牙など無かった。
こんにちは、と笑い掛けた時に浴びた罵声が頭の裏側に今でもこびりついているかのよう。
乳歯から永久歯に生え変わる時、もう一度牙に変えた。
その時にはもう笑顔を見せようなどとは思っておらず、そしてその日がネロエラ・タンズークが血統魔法を継承した日でもある。
「こ、こら!!」
子供の父親らしき小太りの男性が慌てて駆け寄ってくる。
相手は貴族である事に加えて、恐らくはここの領主であるタンズーク家の人間というのは予想がついているだろう。
子供の無礼は親の責。罰せられる可能性を思い描いたのかその表情は青褪めていた。
「も、申し訳ありません! うちの子がとんだご無礼を! どうかお許しを! どうか!!」
「気に、しなくて、いい。子供のやった、事だから。軍服を引っ張られるくらい、かわいい、いたずらだ」
「あ、ありがとうございます! ほら! お前も謝るんだ! 貴族の方に迷惑をかけるんじゃない!」
「ご、ごめんなさい……」
子供を連れた父親はぺこぺことネロエラに頭を下げながらその場を去る。
子供はまだ気になるのか、振り返ってネロエラのほうを見た。
ネロエラが手を振ると、子供も手を小さく振り返してくる。
苦手ではあるが、嫌いなわけではない。
ただ……容姿の事を言われるとは思っていなかったようでネロエラは少し動揺している。
「ああいう言葉に敏感になって……入学の時にもわざわざ男の制服なんて着て……今思えば馬鹿なものだ……」
一年の最初のほうまで男装していた頃を思い出す。
元々小柄で大して育ってなかったからな、と自虐気味にネロエラは自分の胸元に視線をやる。
言うまでもない事だが、学生の頃から大して変わってはいない。すとんと視線が地面に落ちて……心なしか吹く風が冷たくなったような気がした。
「ベネッタほど、大きくとはいわないが、せめてもう少し……むむ……」
そういえば男子用の制服はどこへやったか?
頭によぎった苦い思い出を誤魔化すようにネロエラは学生の頃を思い出す。
自分の容姿は恐がられたり、好奇の視線に晒される事も正直もう慣れたと思っていたが……どうにも苦い思い出が再生されるとそんな慣れは意味が無いらしい。
向かう足が少し早くなる。口元のフェイスベールはフロリアからのプレゼントであり、ネロエラとってはお守りだ。
そのお守りが風で揺れる度に少しびくっと肩が震える。急いで用を済ませようとネロエラは合流地点へと向かった。
合流地点は使われていない空き倉庫。到着するとそこにはすでに直立不動で待機している男がいた。
それだけ真面目なのか。いや、震える肩はその緊張を物語っていた。
「お初にお目にかかります!! こ、今回! 輸送部隊アミクスの臨時補佐を務める事になりました!! ジェイフ・キャステレであります!!!」
「輸送部隊アミクス隊長ネロエラ・タンズークだ……まずは、そう……もう少し、声のトーンを、落とそう……。一応任務だから……」
「申し訳ございません!! 以後気を付けます!!!」
「いや、だから声を、だな……」
九十度を超える勢いで頭を下げる臨時副官を見てネロエラの眉が下がる。
明るいのは好きだが暑苦しいのは少し苦手なネロエラは心の中で呟く。
――フロリア……戻ってきて……。
常世ノ国で別の任務にあたっている親友に向けて。無論、その呟きは届くはずもないのであった。
お読み頂きありがとうございます。
紹介できていませんでしたが、先月牙神さんからレビューを頂きました!ありがとうございます!!