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市長はどういうつもりなんだろうか? 正式に発表していない以上、まだ他の誰かが市長に指名される可能性はある。あれだけ適当な人だから、平気で撤回しかねない。そうするとすぐ返事をしなかったのは悪手だったか? もしかしたら、あんな調子でそこらじゅうに声をかけているのかもしれない。
人間ってのは不思議なものだ、まったく一瞬で昨日と今の自分はもはや同じではないのだ。前の自分には戻れない。環境も立場も考え方も行動さえも永遠に同じ状態ということはありえない、なかったことにはできないのだ。いや、できるかもしれない、それは心を失くすことだ。そんなことはとてもできないと言う、やろうとしてやるものではないと人は言う。しかし、この数年間の自分は、無理やり自分をそんなふうにしてきたのだ。誰のために? 何のために? そんなことを強制する法律はひとつとしてないはずなのに。
「俺さ、五月の連休四月の頭に持ってこようかと思うんだけど」
「何いってんだ。突然」机は呆れて言った。
「いいアイデアだよな。絶対、連休は四月の方がいいよ、。花はあっという間にかれちゃうんだから。咲いているのはほんとに短い。人が手をかけなきゃ咲かない花もあれば、誰も何もしなくてもしっかり花を咲かせるヤツもある。五月はダメよ。緑はうんざりだ」
「いったい何の話だ? 突然どうした?」机は客が持ってくる訳の分からない話に付き合うのは毎日のことだったが、それを聞き流すようなことはできないタチだった。だから誰もが机によた話をしにくるのだ。
「俺、市長になる」
「そりゃひどい。ちょっと考えなおせよ。まだ遅くないぜ」
「もう、決めたんだ。というか、このまえ市長から話があった」
「それなら昨日、タクシーの運ちゃんにも言ってたって話だぜ」
「ほんとかよ!? ほんとにあの人はなぁ…。ほんとにボケはじめてるのかもしれん」
「ボケてるのはお前もだぜ、誰が市長なんてやるかよ」
「そうなの? てっきりみんなやりたいかと」
「誰がやるかよ、そんなもん。よっぽどのものずきだぜそんなの。まともな奴ならまずやろうとは思わん。実際、お前はちょっとあれだから市長をやるっていっても不思議じゃないが、ふつうのそこらの人間が市長をやるってならよ、いよいよお迎えがきたのかと思う。」
「そんなものなのか」市長の間近で仕事を見ているとこんな楽な仕事はないと思うぐらいだ。てっきり誰もがやりたいと思っていたのだ。自分はひょっとすると、浮かれているのかもしれない。
「じゃぁ、競争は激しくないのかな?」
「安心しろよ。なんといっても指名制だ。市長が声をかけている中で本気で次の市長になろうと思っているのは、きっとお前ぐらいかもしれんぞ」
これはひょっとすると市長にならない方がいいかもな。
机はその後過去の市長についていろいろと教えてくれた。なかには一年とたたず辞めた者もいるらしい。
さて、どうしたものか―これぐらいの歳になると、自力で新しいことを探すのは無理というものだ。市長の誘いは自分をよみがえらせたことは間違いない。若ければ、誰が何といおうが、なんにでもあっという間に飛び込んでいけたものが、今やすっかり腰が重い。
ハンマースは若かった時のことを思い出していた。とはいっても、子供のころの話ではない。まだ、ほんの5年ぐらいのことだ。だが、この5年の中味は30年50年のように、彼の若さを奪っていった。
無抵抗だった自分にも問題があったのだと思った。ただ、彼はひとつ気付いたことがある。それは、この症状は自分一人固有の問題ではなく、すべての人間に共通の問題なのだ。おそらく、この町の人間だけでなく、この星の全ての同じ世代の人間が同じことを感じているに違いない。
ハンマースはやはり市長になろうと思った。そして、この問題に立ち向かいたくなってきた。自分が若返れば、きっと世界も若返るだろう。調子がよくて単純な彼は、いつも自分と世界をごっちゃにしていた。だから思慮深くしているつもりでも、その結論や行動はいつもとっぱずれていて、それでいてそのことに自覚はなかった。




