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星空のビーチコーミング  作者: 上高田志郎
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 アスパラは音もなく海面に飲み込まれた。波は港に到達し、街を穏やかに洗い流しながら山の斜面を登っていった。その時に起こった波の高さは足首までで済んだのだ。蟹たちは山の斜面に片づけられたり海に引き戻されたりしていた。通りに港の人々が顔を出し始めるとあっという間に蟹たちは敗走を始めた。

 ハンマースは砂浜に漂着した。足もとを波が追い越していった。昔の戦争さながらに、波の大軍が生き物のように道を埋め尽くしていった。机を抱えてハンマースは砂浜に降り立った。自分の運動不足を呪うのは何度目だろう? 港の連中はホウキやブラシで戦いを続けていた。

「こっちこっち、あがってこいよ」

 屋根の上からハンマースを呼ぶ声がした。さすがにハンマースは机を抱えて梯子を上る気力がなかった。輪になって集まっていた連中のなかに知った顔はいなかったが、何十年も一緒に時間をすごしたかのような空気がただよっていた。「この世の終わりかとおもったぜ」その笑顔はすでに危機を脱しきった者がみせるものだ。みんな元気でハンマースもほっとしながら手を振った。「また波がくるぞ!」しぶきをあげて音が大きく近づいてきた。町から引き揚げてきた波とぶつかってうねりからみあいながら波はうずを巻いた。慌てて梯子をよじ登れば机は波に揺られていた。

「これで終わりだな、一時はどうなるかと思った」全員が身を乗り出して波を見下ろしていた。軽口も言い尽くすと、誰もが無言で波を眺めていた。

 机は波にさらわれてゆっくりと流れていった。あれぐらいならどこかでひっかかって止まるだろう。ハンマースは降りていく元気がなかった。

「ちょっと横になるよ」

「好きにしな。ゆっくりするといいさ」

 ハンマースは体を横にしながらこれだけのことをしてきたのに自分の体がびしょぬれじゃないことが信じられない気持ちだった。

 再び目を開けた時、空は夕方から夜空へと変わり始めていた。水平線の向こうは、瞼を閉じ切る前の最後の光のように細く燃えていた。屋根から砂浜を見渡すとまるで花が咲いたように大小の焚火が燃えていた。風に乗って煙の臭いをかいだとき、説明のつかない懐かしさに体を包まれた。そんな記憶はどこを探してもないはずなのに。

 砂浜は波の音に負けないぐらいにぎやかだった。ハンマースは簡単に机をみつけることができた。脇に抱えながら歩いていると、聞き覚えのある声がした。火を囲んで司書が興奮してしゃべっていた。「アスパラが伸び続けるのが正解だったのか、切られたのが正解だったのか? 分からん! 地球はひとつの種だとしても、鳥や虫が運んではくれないからな。自分で転がるようにできてるんだ」誰も司書の話には興味がなさそうだった。ハンマースはその場を離れ別の焚火へ移った。「ユボット見なかったか?」見覚えはあるが名前を知らない男に声をかけた。

「いや、いっしょじゃなかったのか? 会ったらあんたが探してたと伝えとくよ。まだいるんだろ?」男はもうだいぶ飲んでいるらしかった。

「あぁ、せっかくだから砂浜全部見て回るつもりだ」

「金目のものはないだろ、カニだらけだ。」火を囲んでいる連中がみんな笑った。ハンマースも笑って手を振った。砂浜から見るアスパラが黒い大きな影になっていた。折れて残っているのも海に浮かんでいるのも。鮮やかな緑も今はただ黒く、すべてを音もなく染め上げて、朝には洗い流されているのだ。夜は実に偉大である。いつかもう一度アスパラが生えることがあるかもしれないが、その時自分はこの世にいないだろう。これが自然のものなのか、どこかの誰かが何か手を貸しているのか、兆候はきっとある。しかし、自分はそれを知ることはないだろう。

「おい!人がいるぞ!」砂浜の人間がいっせいに立ち上がった。「生きてるのか?」「生きてる!生きてる!」影が大きくゆらめいて砂を蹴る音がした。ハンマースも机を置いて走り出した。夜の海から両肩をささえられて引きずり出されたのはずぶぬれのユボットだった。

「ユボット!だいじょぶか!」

「ハンマースあんたうまくやれたんだな。俺はこのザマよ。結局ガレキにつかまってバタ足さ」

「そうか! こっちはサーフィンみたいだったよ、波が運んでくれたんだ」

「俺もそのつもりだったんが、うまくいかないもんだ。机はどうだ?」

「いっしょさ。信じられないぐらいうまくいった。あんたやっぱすげえよ!」

 その時、雷が走ったような音がした。夜の海と空に亀裂が走った。ハンマースは濡れた足の重たさを感じながら、必死で振り返った。机は四本の足をへし折られて炎に包まれていた。誰かが油でも入れたのか砂浜で一番大きな焚火になって人が集まっていた。火にかけよろうとして立ち止まると、周りの連中は大笑いした。まるで火に初めて触れた人のようだったからだ。「どうした?」ユボットが後ろから声をかけた。まだ体に海藻がひっついていた。

「すまん。燃やされちまった。」

 ハンマースの言葉にユボットはヒヒヒといつもの笑いをした。ハンマースも一緒になって笑った。馬の砂浴びのように転げまわった。見上げた夜空に飛行機が飛んでいた。

「朝まで燃やそうぜ、なんなら市長が帰ってくるまで燃やすか?」ユボットが言った。

「あぁ、燃やしまくろう。燃やすのならいくらでも転がってる、ユボット、あんたは体をあっためてくれ、いっぱい拾ってくるから」

「蟹とアスパラで大儲けできるな、一生遊んでくらしてやる」ユボットが大声で言った

「ほんとだ!」ハンマースは今日一番の大声を出した。

 炎を離れて長く広い砂浜を歩いていった。すれ違う人はみなゆっくりと大きな炎に歩み寄っていった。消えてしまった焚火がいたるところにあった。すぐそこの賑やかな声がずいぶん遠くに感じられる。月も星もよく見える夜空であったが、炎からはなれると暗闇はどんどん濃くなっていた。一足進むごとに上塗りされていくような闇の濃さを感じて歩くのは、誰かの手で背中を撫でられているようだった。今日という一日をいたわるように。

「火にあたらないのか?」消えてしまった焚火の前に座り込んでいる女がいた。死んでいるのだろうか? ハンマースは驚きすぎて非難するような声になってしまった。「あそこの炎にみんな集まってるよ。一番大きい。机を燃やしたからな」

「机?」女の顔は暗くてよく分からなかった。

「そう。口をきいて歩いたりもした」

「神さまがやどってたのね」

「神様? まさか。そんなんじゃない、普通の、普通のただの机だったよ」

「あたしの国では物にも神さまが宿るのよ。百年ぐらい使ってると」

「なるほど」ハンマースは女がイカれてるのではと思いとりあえず同意することにした。かかわらない方よさそうだ。燃えそうなものを探すと、ガラクタだらけだった。魚や蟹の死骸のほかに、流木や靴や子供が遊ぶボールなどが転がっている。朝がくればもっとはっきりするだろう。女は隣についてきてハンマースと同じことをした。女はハンマースを見て笑っているようだった。

「なんで笑ってるんだ?」ハンマースは笑ってきいたが女は笑って答えなかった。どうやら、この女はこの女で俺の頭がイカれてると思ってるらしい。

 二人は並んで大きな焚火へ歩いて行った。笑い声が近づいてくる。火は消えそうにない。

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