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「さぁ、回収に行くぞ」ユボットはすっかりいつもと同じに戻っていた。ハンマースは体の中身すべてを吐き出すように、尊敬をこめて言った。「あんたすげぇよ」
「すごいのは机さ、マジでよくやってくれた」
「わし、さっそく交渉してくる。今ならこっちの言い値でバンバンさ!あいつらもしたがうしかないんじゃないか」市長は若返ったように少々残虐的な雰囲気をまとって、人の流れをかきわけながら去って行った。
「みなさん、馬が戻ってきます。危険ですから観覧席に戻ってください!危ないから戻ってください!戻って!危ないから戻って!危ないから戻って!早く戻ってください!ほんとに危ないから!」アナウンスの声は怒りで子供がだだをこねたみたいになっていたが、誰も言うことを聞いてやらなかった。芝生に触れたり、寝転がったり走り回ったり、写真を撮ったりして、みんな好きなことをしていた。離れがたいのはハンマースも一緒だった。ユボットがいなかったらもっとゆっくりしていただろう。
「ユボット、あんた一皮むけたんじゃないか? ずいぶんクールだな」
「バカいえってマジで。めっちゃ心臓はねてるわ。俺は絶対負けると思ってたんだ。惨敗もあるかなって思ってた。想像以上だったよ、すげぇなアイツ」
「ほんとに?とてもそうは見えなかった」
「けっこう顔に出るタイプなんだが、それがわからないのはアンタが鈍感なんだな」ユボットはタバコに火をつけて口の端から煙を吐いた。馬がしっぽで虻でも追い払うかのように口をひんまげて。煙は勢いよく舞っていた。しかめつらだが、これ以上ないぐらい満足な顔をしていた。こんなふうにタバコを吸っている連中を見ると、煙を食うのも悪くなさそうだとハンマースは思った。
馬たちが戻ってくると、観客たちも道をゆずった。おっかなびっくりのもいれば慣れた手つきで馬に触るのもいた。次々に戻ってきた馬たちが尻っぱねをしたりいなないたりした。太陽は沈みかけていて、島の半分を影が覆い始めていた。馬は空を見て、雲を見て、海を見て、何か感じるところがあるのだろうか? 机と走って負かされた悔しさはあるのだろうか? 水滴のような馬の瞳は風が吹くとさざ波がたつのではないかと思うほど澄んで潤んでいた。いまにも滴があふれてしまいそうだった。
「ありゃなんの冗談だ?」ゴーグルを外して二人を見下ろしながらジョッキーが言った。表情はいかついが、言葉にはぺてんにかけられたことを楽しもうとする雰囲気も感じられた。こういう男は、本気なのか冗談なのか、初手の対応を間違えるとえらいことになるものだ。
「この港じゃ、机が馬のように走るんですよ」弁解するようにハンマースが言った。
「馬よりも早くだ」ユボットは笑いながらかぶせた。二人ははじけるように笑って、まるで若い女みたいだった。ジョッキーは鞭を振り上げたが、二人をひっぱたくこともなく、器用に鞭を回転させて遠くを見ていた。
「納得した?」ユボットはいたわるように言った。ジョッキーは笑ってつばを吐いて馬を動かした。「あんた名前は?」ハンマースの呼びかけの途中ですでに馬は駆け出していた。「机が戻ってこないな。どうしだんだろう」ハンマースはだんだん不安になってきた。もともと性格的に不安が強く出るのだ。市長とユボットは自分とは逆の性質なので、ハンマースはそれを頼りにしているところもあった。
「誰かがもっていっちまったのかもな」ユボットは、そんなハンマースの不安をゴミでも蹴っ飛ばすかのように言った。続けて、「冗談さ」と言って、タバコを指ではじいた。
ハンマースの不安はそのタバコの不始末で島が燃え落ちるところまでいっていた。ユボットは吸殻をふみつけて顔を手でなでまわしていた。「ここで吸っちゃだめだぜ」ハンマースの忠告に「ヒヒヒ」と息を吸って笑うと、持ち前のヤク中のような顔になった。
二人はまるで恋人の散歩のようにゆっくりとコースを一周した。同じように歩いている者もかなりいて、夕方の商店街のような雰囲気だった。家路に着こうとするものや、まだ帰りたくないと思っているものなど。丘に登ってみても机は見当たらなかった。
「みんな帰ってるな。机も犬みたいに戻ってきてくれると助かるんだが」ハンマースはもう一度願いを込めてあたりを見回してみた。
「犬はそんなにかしこくないぞ」ユボットはタバコに火をつけて大義そうに煙を吐いた。「ひとまず帰るか」ユボットの言葉にハンマースは愕然とした。やはり、この男と自分とはまったく違う感情の生き物なのだ。生まれ、育ち、環境、あるいは双子として生まれてきたとしても、個性の違いというものはどうしようもないものだ。
「俺はあんたほど机のことをよく知らないからな、ほんとにだいじょうぶだろうか、誰かにつかまってないか、すごい気になるぜ。蹴飛ばされて足でも折られてたら?」
「だいじょぶだろ、馬より早いんだから」
「だけどふだんはただの机だ。いきなりやられたらかわしようがないぜ」
「かもな。だけどそんなに心配したらキリがないぜ」ユボットは鼻で笑った。ハンマースは納得いかないものの、腹は立たなかった。もしも鼻で笑ってくれなかったらそれこそ一大事だからだ。




