加賀なつみのケース⑦
俺はゆっくりと目を開ける。
目の前のソファには顔をうつむかせた加賀なつみが、そしてすぐ隣には同じく目をつむり顔をうつむかせたままの平島ほのかが座っていた。俺は左手にはめた腕時計を見る。時計の針が四時三十分を指していることから、加賀なつみが事務所に訪れ、俺が能力を使った時刻から大体一時間が経過していることがわかった。
俺の目の前に座っていた加賀なつみは小さなうめき声をあげ、気だるげに顔を上げて俺の方を見つめた。しかし、目の焦点が定まっておらず、まだ意識もうろう状態から完全に抜け出してはいないようだ。
俺はソファから立ち上がり、事務所奥のキッチンに向かった。そこで俺はお茶を汲みなおし、元の場所に戻ってそれを加賀なつみへ手渡す。その間に平島もようやく起きたらしく、意識をはっきりさせるためか両腕を上方向へ伸ばすしぐさをしていた。
加賀なつみは手渡されたお茶をぼんやりとした表情のまますすり、テーブルの上に置いた。
「落ち着きましたか?」
「……はい」
加賀なつみはゆっくりとうなづく。そしてじっと俺の方を見つめた後、小さな小さな声でつぶやいた。
「ありがとうございました」
加賀なつみはその後、少しだけ俺たちと談笑してから帰っていった。
加賀なつみが帰った後、平島はテーブルの上のお茶を片付けながら、加賀なつみの告白に関する詳細について尋ねてきた。俺はソファにもたれかかりながら平島が知らないことをかいつまんで話したが、平島は眉をひそめ、なんだか納得いかないような表情を浮かべるだけだった。
「毎回、この仕事をしてて思うんですけど……」
事務所の掃除が終わるころ。平島は小首をかしげながら俺に喋りかけた。
「昔できなかった告白をマタタビくんの能力でやり直したって言っても、結局はフィクションの世界での話であって、私たちが今いる現実世界に関して言えばなんの変りもないわけじゃないですか」
俺は平島の方へ顔を向け、じっと平島の顔を見つめた。しかし平島は俺のその様子を気にかけることもせず、言葉を続けた。
「それなのに、加賀さんはきちんと過去の清算をできたのかって、いつも不思議に思っちゃうんです。マタタビくんはそんなこと思わないんですか?」
俺はソファに首をもたれかけ、ベージュ色の事務所の天井を眺めた。天井には所々茶色い染みがついていて、俺はその中の一つを丁寧に観察する。
「それでいいんだよ。現実であろうと嘘であろうと、過ぎ去ってしまえば単なる記憶になるんだ。だから、あとは加賀なつみがどれを選択するかだけ。俺たちはそのための手助けをしただけで、そこから先に関してできることはない」
「なんか、無責任すぎません?」
「大丈夫だ。その分、お値段は良心的なものにしてる」
平島は呆れ顔で肩をすくませると、キッチンに行き、使った湯のみを洗い始める。俺は仕事終わりの疲労感を覚えながらゆっくりと目を閉じ、そのまま水道水がキッチンで流れる音に耳を澄ませた。